『源氏物語』はどこがおもしろいのか 長谷川宏「日本精神史・その17」&加藤周一「日本文学史序説」&藤井貞和「日本文学源流史」

『枕草子』は、貴族社会を生きる場とする宮仕えの女性が、そこでの見聞や想念を明るい開放的な批評のことばにうつしとったものだ。たいして、『源氏物語』は、同じく貴族社会を生きる場とする紫式部が、雅びの美学をしっかりと踏まえつつ、豊かな想像力に導かれて理想化された男女の織りなす恋、栄華、策略、嫉妬、罪責、絶望、死の世界を、時間とともに進みゆく一つの壮大な物語に仕立て上げたものだ。
長谷川宏「日本精神史」だ。
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<時間とともに進みゆく>、加藤周一は『日本文学史序説』において、
『源氏物語』の与える強い印象は、仏教思想でもなければ、「宿世」概念に代表される運命の仏教的解釈でもない。また理想化された美男美女の性格でさえもない。相次いであらわれては消える男女の心理的交渉は、たしかに巧みに描き出されて、それぞれの場面を魅力的にしているが、全体の印象を決定するものではない。
といい、「『源氏物語』がその五四帖の全体を以ってしか表現できなかったもの、『源氏物語』を必然的に大長編小説たらしめたものは、何であったか」と問い、こう答える。
それは、時の流れの現実感、すべての人間の活動と喜怒哀楽を相対化せずには措かないところの時間の実在感、あるいは人生の一回性という人間の条件の感情的表現であった。
光源氏の一代記、文体に語り手が現在することによる持続性、季節の移り変わり、社会的背景の変化、登場人物の変化、が長い時の流れを感じさせる。

さらに、年月を措いて反復された同様の状況に対し、同じ当事者が示す反応が異なることも時の経過を鋭く印象付ける。
とともに、過去の現在におよぼす影響の強調、過去と未来とを一時の感情に凝縮させることも、年月の流れをあざやかに浮かび上がらせる。
このような小説的手法を動員し、駆使して、紫式部は、時間というものの密度を表現することに成功した。『源氏物語』がわれわれに啓示する人間の現実とは、運命にあらず、無常にあらず、時の流れという日常的で同時に根本的な人間の条件である。その表現、または啓示のために、たしかに大長編小説は必要であった。
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長谷川は、
自然がどんなに美しく、権力と栄光の世界がどんなに華やかであろうとも、その反面で、人びとの心には苦悩と悲哀がわだかまり、それを見つめつつ生きるところに人生の真実があり、それを表現するところに文学のおもしろさがある、-そのような人生観ないし文学観につらぬかれた作品が『源氏物語』だった。
という。
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今、読んでいる、とてもおもしろい(難しいけれど)、文学と歴史高等講談みたいな本。
その第九章に「『源氏物語』の仏教」という文章があって、『源氏物語』に登場した女性で出家した人、成仏できた人、最多登板回数は仏では阿弥陀仏、経では法華経だとか、いろんな話を聞かせてくれて、通説のいうように、『源氏物語』の仏教は”天台浄土”思想をベースにしているとは言えないことを明らかにするのだ。
その結び、
『源氏物語』の内的世界を、十世紀、十一世紀以前の精神風景に置き直して読むことにする。もしひとびとの内面を彩る宗教が、決まりきった一種や二種に限定されてしまっている時代ならば、『源氏物語』が生まれることはなかっただろう。多様な価値観が物語のおもしろさを支えたのだとぜひ論じてみたかった。八世紀か九世紀かには始まっていたらしい乞食行(こつじきぎょう)が、『源氏物語』にも見られるとか、鎌倉時代になって優勢になるはずの”悪人往生”が、早く『源氏物語』のどこかに覗いているとか、従来の宗教史の常識を混乱させる事態が、この物語のなかだとふつうのことなのかもしれない。こうした実態を描いて見せてくれるのが文学という装置の効用ではないか。
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こういう風にいろんな見方を知るとわくわくする。

ところで、問題は俺自身が『源氏物語』を通読していないってこと。
いよいよ、逃げられないぞ、「いつかは」は、もうタイムリミットだ。

Commented by at 2016-09-01 06:49 x
源氏は歴史だ、と感じたことがあります。
やはり、時間が重要な役割を果たしています。
また、これほど色々と語られる作品もありませんね。
偉大なプリズム・・・
寂聴は自らに擬えたのか、源氏に愛された女性たちが出家する物語だと言っています。
Commented by ginsuisen at 2016-09-01 07:50 x
三田村雅子先生の源氏物語の講座も、10年目で、やっと宇治十帖になりました。宇治になって、紫式部が本当に書きたかったことがおぼろげながら、わかってきたところです。
女性たちの悩み、男たちとの違い、人生、昔も今も同じです。
源氏が築いた砂の楼閣・・宇治の意味・・おもしろいですよー。原書読むだけは、無理です。キッパリ。
道案内は、寂聴や田辺聖子、谷崎でも・・違うなーです。
むしろ、大和さんの漫画のほうがおすすめ~
源氏なので、思わず、コメント。お許しを。
Commented by saheizi-inokori at 2016-09-01 08:45
> 福さん、藤井は密通した女性5人が出家し、密通していない女性9人は出家していないと書いています。
これはいよいよちゃんと読まなきゃ!
Commented by saheizi-inokori at 2016-09-01 08:48
> ginsuisenさん、おお、久しぶりですねえ、うれしいな。
≫原書読むだけでは、そうでしょうが読まなきゃなんにもならない^^。
多くの読み方があるのだから面白い、奥ふかいのだと思います。
Commented by ginsuisen at 2016-09-01 09:31 x
追記)
原書の解説者でもある大御所・秋山大先生に生徒の三田村先生が意見交換のこの本。サブとしておすすめでーす。
「源氏物語を読み解く」
https://www.amazon.co.jp/%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%81%BF%E8%A7%A3%E3%81%8F-%E7%A7%8B%E5%B1%B1-%E8%99%94/dp/4093620636/ref=sr_1_18?s=books&ie=UTF8&qid=1472689636&sr=1-18&keywords=%E4%B8%89%E7%94%B0%E6%9D%91%E9%9B%85%E5%AD%90
Commented by saheizi-inokori at 2016-09-01 22:25
> ginsuisenさん、ありがとう。さっそくアマゾンしました。
Commented by wawa38 at 2016-09-04 22:08
原書でお読みになるのですか。私には講義を受けながらでないととても無理です(^^;
若いころ、円地文子の源氏を読みました。
「雨夜の品定め」ところで、男たちに腹を立て、
紫の君を連れてきてしまうのは幼女誘拐だと思ったり、
怨霊になる葵の君が可哀そうと思い・・・
それでも、面白がっていました。
「風と共に去りぬ」でスカーレットとメラニー、レットバトラー
とアシュレを比較する読み方と似ているかもしれません(笑)

Commented by saheizi-inokori at 2016-09-04 22:23
> wawa38さん、辞書を引きながら、注釈書を頼りにしなければ生きているうちには読めないです。
それでもなかなか、、早く取り掛からなければと思いつつ、、。
「雨夜の品定め」、懐かしいです。
今は女性の方も負けていないでしょう^^。
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by saheizi-inokori | 2016-08-31 11:37 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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