善意だけに満ちた世界の薄気味悪さ J・M・クッツエー「イエスの幼子時代」

台風の接近で農作物の収穫前の人たちはどんなにか心配なことだろう。
いぜん嵐が好きだ、なんて書いてごめんね。
せんじつ紹介したマッケンジー・ファンク「地球を『売り物』にする人たち 異常気象がもたらす不都合な『現実』」 には、保険会社と契約した民間消防社が、契約先の家だけを防火・消火活動の対象にするという事例(アメリカ)が載っていた。
東北の農家も、そんなことができるならお金を払うから畑や田んぼをよけて行ってくれと思うかもしれない。
気候工学につどう天才たちは局部的に台風の進路に介入できるようなことを考え出すかもしれない。
そういう農家の足元をみて台風保険なんか売りだしたりして。
お金が払えず台風をよけられなかった農家は隣りの農家の分まで大きくなった台風の被害を受けるのだ。

どうも頭がおかしくなってるな。
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2003年にノーベル賞を受賞した南アフリカ・ケープタウン生れの作家・J・M・クッツエーの2013年の作品。

どこやらかから移民してきた初老の男・シモンと男の子・ダビード。
過去をすべて捨てて新しい名前と年齢を与えられて住む人々の街に着いたのだ。
シモンは血縁のないダビードの母親を探すのを使命と考えている。
名前も知らない母親、でも遇えばすぐにわかると信じている。

パンと水だけで満足して、単純な荷役の繰り返しに満足し、仕事が終わると無料の「学院」に通い、プラトン哲学・人体デッサン・スペイン語・習字・・を自主的に学び、どこまで行っても癒えることのない”もっとなにか”欲しいと求めてやまない思考法こそ捨て去るべき=足りないものなんてなにもない、と考えるような人々。

ユートピアのようで、なにか夢の中に現れる街のようなシュールで生きる情熱を欠いた街。
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(Philippe Ramette)

シモンが港湾荷役の仲間たちに機械化を進め、変化と歴史について語ると、若い男が、歴史なんて現実ではないと反論する。
風が吹けば帽子が飛ばされる、という人間の知覚で捉えられるような現実の顕現すなわち現象を伴うから、気候は現実のものとなり現実世界のヒエラルキーにおいて、現象の上にくる。
一方、歴史に帽子を飛ばされたという人はいない。
歴史には現在において顕現がない、歴史は現実のものではなく、過ぎ去ったものの中にわれわれが見るパターンに過ぎない。
現在にまでおよぼす力はない、と。
倉庫にうずたかく積みこまれネズミの食うままになっている穀物を明けても暮れても肩に担いで運ぶことに満足している”やさしく・教養のある”仲間たちなのだ。
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シモンはイネスに会って(初めて)すぐに直感によりデービッドの母になってくれ、という、イネスは受け入れる。
そのイネスと言ったら、無教養でどうみても頭はよくない、家事はダメ(トイレに生理用品を落としてつまらせる)、デービッドを閉じ込めて盲目的に甘やかす、親友・フイデルと切り離すような嘘をいう。
でもデービッドに「三男物語」をしてくれる、三男が母親の病気を治すためにクマに心臓を食われて空高く昇っていく物語だ。

なんでも「どうして?」と尋ね、僕だけの言葉をしゃべりたいという、天才・デービッドは次第にモンスター、独裁者になる。
二人に部屋を提供して自分は埠頭の小屋で暮らすシモンはデービットが気になってならず、訪れては「ドン・キホーテ」の絵本を教材に文字を教えてやろうとする。

不条理ともいうべき展開をみせるストーリーだが、どこかぞくぞくするリアルも感じる。
善意はあっても強い私的な愛情(欲望)はなく、性欲を処理する清潔な公的施設がある。

登場人物の名前が聖書に出てくる名前、寓話なのかもしれない。
寓意は定かには分からないけれど面白かった。
続編がある由、楽しみだ。

鴻巣友季子 訳
早川書房

Commented by unburro at 2016-08-30 18:37
saheiziさんの、審美眼ならに審本眼⁉︎には
いつもながら驚嘆するばかりです。
その上、図書館の品揃え?の良さにも驚きます。
さすが世田谷区!民度が高いです。

先日、ご紹介の『戦場のコックたち』、昨夜、読了しました。
本当に、読んで良かった一冊です。
ネット古書店で探した甲斐がありました。
この『イエスの幼子時代』も、探してみます。
Commented by ikuohasegawa at 2016-08-30 20:12
青のバックの写真が気になってなりません。どういう状況ですか。
Commented by saheizi-inokori at 2016-08-30 21:08
> unburroさん、好みが合うとは嬉しい限りです。
世田谷区には地区ごとに全部で20か所ほど、ひとつひとつは小さな図書館があってそのどこからでも取り寄せることができるのです。
ネットで検索して予約しておけば順番が来たら教えてくれて近所の図書館に取りに行くのです。
来ないときはなかなか来ないのですが、さっきはいっぺんに分厚いのばかり8冊も届いたので読むのが(身障者は一か月)大変です。
Commented by saheizi-inokori at 2016-08-30 21:30
> ikuohasegawaさん、シュールレアリスムの作品をネットからいただいてきたのですが、作者はPhilippe Ramette です。
Commented by unburro at 2016-08-30 23:21
『戦場のコックたち』深緑野分について、今日の拙ブログで触れましたが、私の筆力では紹介するに力足らずで、saheiziさんのところへリンクさせて頂きました。
よろしくお願いいたします。
事後報告で、申し訳ありません。
Commented by j-garden-hirasato at 2016-08-31 06:38
二枚目の写真が、
気になります。
どこで撮られたのでしょう。
Commented by saheizi-inokori at 2016-08-31 09:16
unburro さん、光栄です。
Commented by saheizi-inokori at 2016-08-31 09:21
> j-garden-hirasatoさん、これはPhilippe Rametteというシュールレアリスム作品です。
どこの町かはわかりません。 
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by saheizi-inokori | 2016-08-30 12:16 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(8)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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