代わるものを考えなくちゃ ウルリケ・ヘルマン「資本の世界史 資本主義はなぜ危機に陥ってばかりいるのか」
2016年 08月 16日
戦場に倒れられたみ霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、はるかな異郷に亡くなられたみ霊、皆さまの貴い犠牲の上に、私たちが享受する平和と繁栄があることを片時たりとも忘れません。という常套句は間違いだ。
それをいうなら、
あなたがたは、赤紙一枚で無謀な戦いに駆り出され、鬼畜米英に対して降伏することなく最後の一兵となっても闘えとの愚かにして残酷かつ誤れる命令のもと、敵弾に斃れあるいは杜撰・無責任な兵站作戦のために悲惨極まる餓死をされ、そのために今私たちがその鬼畜米国の属国となり彼の核の傘の下で享受している平和と繁栄にあずかることができませんでした。とでもいうべきだ。
あの愚かな戦争を遂行した愚かな指導者たちに成り代わってお詫びします。
靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです。という稲田朋美の発言も伝えられる。(リテラ・赤池誠章衆院議員らとの座談会、「WiLL」06年9月号/ワック)
独裁は文化芸能を大衆操作に悪用する、いいタレントと悪いタレントを峻別する権力は危険だ。
私たちが生きているのは市場経済のなかではなく、これまで「資本主義」以外にいい呼び名が見つからなかったシステムのなかなのです。それは国家と民間のハイブリッドであり、巨大寡占企業と、飲食店経営のような現実に無制限に競争が行われている隙間産業とのハイブリッドです。このシステムの原動力は、お金を投資すれば、そのお金が後々増えるという考えです。これが紙の上でのみ資産が増える雪だるまシステムでないとすれば、同時にモノの量も増えなくてはなりません。でも、実質成長は技術の進歩のみによって可能です。それは裏を返せば、技術の進歩がなければ資本主義は終わってしまうということです。1964年生まれ、ドイツの日刊紙の経済部記者による、ドイツのベストセラー。
「市場経済」というのが私たちのシステムにとって誤った呼称であるとしても、なぜこんなに強迫観念に取りつかれたようにこの概念に固執するのでしょうか?理由は単純です。誤った理論が現実の利益につながっているからであり、暴利をむさぼっているのが大企業だからです。
イギリスの社会学者コリン・クラウチの言い方を借りれば、「新自由主義の政策が支援するのは市場よりも企業のほうである」
ドイツ(世界)はこのわずか10年の間に、ITバブルがはじけ(2001)、米国からに金融危機の波が押し寄せ(2007)、今はユーロ危機に瀕している。
さらにジョージ・ソロスのいうところの「スーパーバブル」もパンパンに膨らんでいつ弾けてもおかしくないところまできている。
日本にもこのくらいのことを書けるジャーナリストはいるのだろうか。
資本主義は労働者の賃金が高かったイギリスで始まった、ユーロ危機のよってきたる4つの要因、ドイツは自国労働者の賃金を上げるべきだ、緊縮財政の間違い、富裕層への増税(所得税・相続税)は当の富裕層を救う、お金を神秘化し不思議な力があると信じる点で金融業界と左翼活動家は似ている、、。
金融危機の仕組みを説明する、こういう記述を読むといつも「俺は銀行員にならなくてよかった」と思う。
一人で金融機関の悪と戦うなんてできないもの。
猪俣和夫 訳
太田出版
間違いなく旨いでしょうね。
安倍首相のお友達群も嫌な感じ。
食い過ぎるのでご飯を少なくしてもらうのです。