普通ってなんですか? 村田紗耶香「コンビニ人間」
2016年 08月 11日
体操ニッポンが逆転優勝をすれば人並みに興奮するし、スローモーションで見せられる身体の動きに驚嘆もする、どうしてあんなことができるのか!
それにしても、もうちょっと普通にならないのかなあ。
つまり従来のニュース番組の時間内で報道する、とか。
朝の海外ニュースやFM音楽番組(高校野球になってる)がないと寂しい。
うちはオリンピックについての報道は一切やりません、なんていう局が現れる、、はずはないね。
普通の家に生まれ、普通に愛されて育った私は、少し奇妙がられる子供だった。公園で小鳥の遺体をみつけて、ほかの子たちが泣いているのに、「お父さん、焼き鳥好きだから、これを焼いて食べようよ」という子だった。
自分の言動に他人がする反応が両親を困らせるのが嫌で、
家の外では極力口を利かないことにした。皆の真似をするか、誰かの指示に従うか、どちらかにして、自ら動くのは一切やめた。そんな私はコンビニ店員として生まれ変わる。
マニュアル通りに、笑顔を作り、先輩スタッフや店長のしゃべり方に影響され(真似をして)、彼らが怒るときは怒ってみせて、変わるけれど変わらない日々を過ごす。
18年間同じ店でバイト店員として完璧な仕事を続ける私だけど、この年になって結婚もしない、正規社員をめざさないことを人々に説明するのに疲れて、どうしようもない男と同棲を始める。
見せかけの男との同棲生活、それで私は普通の人間になったかのようだ。
だが、、。
普通の人、って相対的多数、みんなと同じ生き方をする人のことか。
アンチジャイアンツで(昨日のように)広島が負けてジャイアンツが勝つと面白くないってのは「普通」のうちに入るのだろう。
でも卓球で愛ちゃんを応援しないで北朝鮮選手を応援する人は(日本では)普通と見なされない。
尖閣諸島や北方領土が古来日本の領土であることを否定するのもそうだろう。
でも中国やロシアにいけば岸田外相みたいなことを言う人は変人奇人だろう。
「みんな」ってのが曲者だ。
普通であれば幸せ?そうでもなさそう。
不幸せもそこそこにある方が普通。
生き生きとした明るい文章で現代の普通をユーモラスに描く。
コンビニの舞台裏も興味深い。
オリンピック報道をしない局を望むのも、まだ普通のうちか。
普通じゃないとみなされて仲間外れになるのはどこからだろう。
善悪正邪、とは必ずしも関係がないようだ。
入手して、ぼつぼつ読んでおります。
この本の中の老人たちは、確かに独特、で普通ではありませんね。
今、weblio対義語辞典を見たところ、
普通の対義語は、希少、奇抜、異常、特別、とか、
色々あるようです(笑)
独特、も入れてもいいですね。
「普通じゃない」にも色々あって、楽しいですね!
奇、希、異、特、ときましたが、変、がないのも変だなぁ〜
新聞を見て金メダルすごいね~とはいいますが。
啄木の文机、これなんですね。
背が小さかったのかな?
今の人だと窮屈で座れない、もっとも正座そのものができませんね。
この机から数々の文学が生まれたのですね。
感慨深いです。
啄木は以前ここで拝見して『一握の砂』と『悲しき玩具』を読み返してみました。啄木の家族は全員不幸の塊みたいに思えました。妻節子さんは啄木と結婚したためそれはそれは苦労の連続、翌年啄木の後を追って亡くなったのですね。
借金を重ねて得たお金は芸者遊びに使われたとあって、あ~あとため息が出ました。
座卓、これは盛岡の家にあるものです。
啄木はこの新婚の家にあまり住まなかったんじゃないかな。
私の高校時代の机はオヤジの遺品、これより少し大きいくらいでした。
今じゃ、五分と座っていられないなあ。