読まなければならない ルーカ・クリッパ/マウリツィオ・オンニス「アウシュヴィッツの囚人写真家」
2016年 07月 21日
サンチの散歩に出なくてもよい、ほっとする気分もある。
暑い日の食器洗いは気持ちがいいけれど、きょうはだるいし、カミさんにお任せ。
少女は洟をすすりあげると、頭にスカーフを巻き、首の後ろで大きな結び目をつくった。それから囚人服の袖口で、唇ににじんだ血をぬぐった。ルスキ(きわめて凶暴なポーランド人のカポ)にひっぱたかれたところだ。まるで、写真を撮れば無邪気に遊んでいた子供時代にもどれるとでもいうかのように、笑顔になろうとしたができなかった。
ブラッセは、ピントグラスに写る彼女のようすを観察した。ぶかぶかで形も定まっておらず、すぐにずり落ちてしまう囚人服と、額まで深く覆ったスカーフのせいで、男の子のようだった。ブラッセは見れば見るほど少女が哀れでたまらず、胸に熱いものがこみあげた。これほど無垢な少女に対し、運命はあまりにも過酷な仕打ちを与えすぎる。こんどはブラッセが唇を噛みしめ、涙がこぼれ落ちるのをこらえる番だった。ぐっと唾を呑み込むと、チェスワヴァという名のその少女に、動かないようにと言って、シャッターを切った。写真を撮りおえると、少女の手を引いて撮影室の外の廊下まで見送った。いつか戦争が終わる日が来たら、彼女の家族や友人が収容所の書類の束からその写真を見つけ出すかもしれない。そうして彼女の姿は永遠に記憶のなかに生き続けるのだ。ただ無駄に死んでいくのではない・・・。
同じ貨車に乗せられていた438人の大半が数週間のうちに殺された。
10代の頃、国際色豊かなカトヴィツエで叔父の経営する写真スタジオで学んだ写真の技術と流ちょうなドイツ語がブラッセを救う。
アウシュヴィッツの名簿記載班に登用されて、他の囚人たちより恵まれた待遇のもとで解放までの4年を、4~5万枚の肖像写真を撮影して生きのびる。
途中で何回か、ドイツへの忠誠を誓えば解放し出世もさせると言われながらも峻拒し続ける若者・ブラッセ。
自分だけが食料や暖房に恵まれて、シャッターを押すたびにその囚人の死期を早めていること、メンゲレやクラウベルクのおぞましい人体実験の記録写真も撮らされる。
そういう自分に苦悩し、政治犯でありながらカポ長にのぼりつめて仲間の役に立っている男を見て、そういう勇気がないことを情けなく思う。
こんなことが二度と起こってはならない。ブラッセはそう自分に言い聞かせた。一人では背負いきれないほどの責任がのしかかってくるのを感じた。自分のすべきことと、その理由がようやく見えてきたのだ。そのせいで命を落とすことになるかもしれない。それでもなお、心ある人たちがいつか自分の撮った写真を見て、真実を知り、判断し、嘆き、記憶に刻めるようにすべきなのだ。ブラッセは収容所内の抵抗運動に助力する。
写真家というものはきっと、そのために存在するのではないだろうか。
ソ連軍が解放する前に、写真を焼却せよという命令に逆らって多くの写真を残す。
そのなかにはブラッセ自身が撮った写真のほかにSSの上官たちが撮影してブラッセに現像やプリントを依頼した、恐ろしい写真も含まれる。
なにかの弾みで自分が入れられようとしているガス室のなかを見てしまった女の恐怖と驚愕と絶望を湛えた目の写真も。
ナチスの残虐行為の決定的証拠だ。
戦後のブラッセは、ファインダーを覗くとナチスの犠牲者の顔が浮かぶようになり、もはや写真を撮ることはできなくなる。
ほかの商売が軌道に乗って穏やかな生活を送り子供や孫にも恵まれる。
その一方で、アウシュヴィッツ博物館の設立に積極的にかかわり、ホロコーストを語り継ぐ活動に携わり、若い世代の教育にあたった。
2012年10月23日生まれ故郷で逝去。
アウシュヴィッツの日々が、恐ろしい出来事が生き生きと描かれる。
写真も何枚か。
辛くても、俺たちは読み・見る義務がある。
関口英子 訳
河出書房新社
一気に読みました。
ブラッセという一人の青年カメラマンがいたことも知りませんでした。
ヴィクトール・フランクルが収容所でのことをメモに残して持ち帰ったように、ブラッセは写真を記録として残そうとしたのですね。
辛くても、これは読んで知らなければならないことですね。
ユネスコ世界遺産、強烈な印象の負の世界遺産。
目に残る、鉄道の引き込み線、収容所内部に残された死者達の頭髪の部屋、靴・カバン・メガネが山と積まれていました。
犠牲者の囚人服の写真が並んでいました、涙している人がいました。ぎゅうぎゅう詰めに立ったまま、毒ガスが流された部屋もそのまま残っています。人間の狂気、残虐な行為、山と積まれた犠牲者の遺品、その中に人の頭髪で織った毛布だとーー信じられない現実を見ました。
先日行ったツアーの添乗員は、アウシュビィッツが入るコースは仕事を断っていると言ってました。恐怖で耐えられないそうです。
日本のヘイトデモで、ナチスの旗を掲げて行進するバカがいますが、クズですね。
収容所で恋した女性を解放後に、収容所で隠れて撮った彼女の写真を携えて尋ねていくのですが、彼女は見るなりその写真を破いてしまい、帰ってくれというのです。
なんとかすべてを忘れたいということ、真面目な恋愛まで成就しなくなるような狂った世界です。
ナチスの残酷さは 言うまでもなく、でもねナチスの要請にユダヤ人たちををさっさと引き渡したたくさんの国家がいるということ 、そしてそういう人たちはナチスを非難する世界中の人々の追及の影にひっそり隠れ何も責められないでいるということ、そしてナチスも含め 彼らは 社会の中では 一般市民として普通に家庭を守り 普通の人として生活していた人たちであるということ
この普通ってのが厄介で 普通な つま平凡とまで言えてしまう人々が状況によって豹変するという事実を見逃してはいけないと思います
だから 酷いとか 可哀想とか そういうのもう聞き飽きたんで
つまり 何かが起きたとき そういう人間にならない一般市民になろうと心に誓わなければ、知らないことを知ってショックを受けてるだけでは何も変わらないと思うのです
今の安倍政権を支えているのも平凡な一般市民です。
いざというときは弱いのが多くの人々です。
それだけにその先の恐ろしさを知ってもらう必要があると思います。
どれだけのつっかいぼうになるかはわからないけれど。
本当にそうですね。
こんなに恐ろしい事を、戦争という理由、国の正義の名の元に、何の感情も持たずにできる恐ろしさを人間は持っています。
そして自分の身に降りかからなければ、何も考えずに従う弱さも持っています。そういう事が今までも沢山あったという事を、こういう人達が伝えてくれているのに、多くの歴史が教えてくれているのに、あたかもそんな事実はなかったかのようにいう人達もいます。
シッカリ自分の目で見て、考えなくては..。
日本に住む人のおおくが対岸の火として我がこととは考えないのです。
沖縄の基地から誰がどこに飛び立ち何をしているかを考えようともしない。