Y君ありがとう、大潟・男鹿・秋田、行ってきたよ、みんなで
2016年 07月 05日
都知事選、民進党の松原・都連委員長が自民党の推す増田を推してもいいと(民進党の方針に反して)言ったり、長島昭久が民進党の都議から知事選に出ないかといわれていると言ったり、素人には分かりにくい現象が起きている。
松原も長島も日本会議のメンバーだということを考えると、民進党右派(前原も日本会議)と自民党(の改憲派)の間でなにか密約があるのかとも思う。
そんなことを考えるとのんべんだらりと旅行記を書いている場合でもないような焦りを感じる。
でもこの旅は亡くなった友人が誘ってくれたようなものだから、俺にとっては忘れられない・忘れてはいけない旅なのだ。
というわけで、今日は二日のこと。
「この旅は亡くなった友人が誘ってくれたようなものだ」というのは去年の今頃、友人が毫も傍目にはそう見せずに病魔と壮絶な戦いをしていた頃、大潟から男鹿を見てうまい魚を食おうと誘ってくれたことをいうのだ。
去年の4月の末に角館から玉川温泉を夫婦そろって歩き、翌日は熊をみたり、雪の回廊を通って、楽しくも切ない(おくびにもださなかったけれど)旅をし、病躯を推してずっと車を運転してくれた。
そのあと、すぐに夏になったら大潟に泊まって花火を見よう、との誘いだった。
その後、それはちょっと大変だけど、8月の大曲の花火には我が家に泊まってぜひ、といいながらその花火の日・23日に亡くなった。
奥さん・Hさんが遺志をついで俺たちを呼んでくれたのだ。
天気予報では今日明日は豪雨だったが、レストランに入るときは小ぶりになり旅館に着くころはすっかり上がってしまった。
俺は、俺が晴れ男だからなんていばっていたが、なあに友人がやってくれたことはみんなが知っている。
ポスターにもなっている森林をバックにしたシャチの写真が宇宙の知性を感じさせた。
カミさんたちは何か買っていたけど。
館山崎を目の当たりにする旅館に落ち着き、展望風呂・大ご馳走から翌朝のストレッチまでのことは一昨日書いた通り。
ちょっと訛りが違うので尋ねると台南からきている由、昨日からほんとにニコニコと子供たちの遊ぶのを見守ってくれたり、お世話になりました。
ノドグロの刺身にきったのが1000円、Hさんが醤油持ってるから車の中で食べますか、と言ったが(市場の中でも食える)、朝ごはんがまだ腹いっぱい。
ちょっと山のなかに入るだけで神気が漂う。
今はカドミウムなんて使わないというコメントも貰ったけれど、じゃあ古いのは使っているんだし、車のように回収騒ぎはなかったなあ。
「ビールは?」水を向けられてつい頼んでしまったが飲むのは俺一人、その上調子に乗って比内鶏の串焼きも食うのだからたまげた食いしん坊。
藤田嗣治の「秋田の行事」にご対面は何度目だろうか。
縦3m65横20m50、この壁画をたった15日で描き上げたって、信じられないと絵を描くカミさんが驚く。
ワンちゃんが何匹いる?T君、5匹、ぶー、6匹いる。
真ん中に大きな顔をしているのは土佐犬だ。
じゃあ、ほんとにおせわになりました、またね、こんどは東京に来てくださいね。
お別れもそこそこに列車に乗った。
http://www.aises.jp/introduction/
日照時間が短く積雪が多く風も強いという地元秋田で、その土地の風土を最大限に生かした自然エネルギー利用を長年にわたり開発してきました。
もちろん、完璧に理想的なエネルギーではないのでしょうが、先日佐平次さんがいっていた「このままでは外資に日本のエネルギーは牛耳られてしまう。」という憶測とは真逆の経営展開をしている企業です。
そうでないことを祈っていますが、こと太陽光発電だけに限って善意の業者ばかりとは思えないのと、それを取り締まる役人が信用できないのです。
美術館のカフェからの眺め、よかったでしょう。
もてなしの心あふれる旅、これほどまで慕われるsaheiziさんはすごい方ですね。
最後の写真、かやの実ですね。
硬い木で狂いがないので将棋板などに向いていると聞いたことがります。
最後から2枚目の写真のなまはげの立つ場所、今日は私もそこで友人を待っていました。
秋田の行事秋田のお祭りがいろいろ出てきます。
竿燈が倒れて燃えているところも・・・・フジタはよく見ています。
竿灯、カマクラ、ぼんでん、、みんな友人と一緒に行きました、あ、竿灯だけは違う人(彼女も亡くなりました)です。
祭りとは寂しいものです。
もとより人工の山です。
実際に一番低いのは仙台市の日和山(3メートル)、これが認定されるまでは大阪の天保山、4メートル強が一番だと言われました、ここには私も行ってます。