年をとればみんなクソじじいだ。 「志ん生×内田百閒 深夜の初会」@「古今亭志ん生」
2016年 05月 27日
このところ、歌舞伎座、山種美術館に連日、墓参のあと八重洲で飲み会、横浜散歩のあとは小満んを聴いて関内で飲んで、七里ヶ浜でランチ、船橋で孫の運動会、国立名人会、用賀の病院で二科受診して都電荒川線から浅草で遅くまで飲んで、落語研究会、昨日はやっと近所の散歩だけ、、歩数も16895歩(19日)11705歩(21日)14115歩(22日)14062歩(24日)11108歩(25日)と1万歩を超えた日が多い、1万歩は越えない日でも目安にしている8000歩はクリアしている。
隠居にしては、いささかたまった疲れたが出たのかもしれない。
今朝は日々のストレッチ・筋トレメニューから、アレイと手ぶらぶら、寝ころがっての足ぶらぶらをカットした。
というよりも、毎日の五月晴れに「老人よ、書を捨て街にでよ」の気分になったのだ。
そうしておいて昨日、久しぶりに、捨てたはずの、あるいは街で求めてきた本を読むと、これがまたいいのだ。
きのう読み終わった本を紹介しようと思ったら、
夢の中の、誰かが何か言ってるというのは福さんのコメントだったのかもしれない。
俺はリアルな志ん生の高座ではっきり覚えているのは一回、新宿末広亭で板付きで出て、「死んだと思ったら戻ってきた」と語ったときくらい。
でも全集(テープ)も買ったし、旅先で就寝用に買ったり、NHK名人寄席のテープを小さな箪笥に一つ分も収録してくださった人もいて、その中には志ん生が多い。
そういうのを、ほとんど毎晩聴いている、いわば枕頭の噺家だ。
大学時代の寮の友人たちと飲んだ時、エラクなった先輩から「佐平次は百閒なんかを読んでいたもんなあ、あんなのどこが面白いのかと思ったよ」と変人ぶりを「ちゃんと勉強しなかった」的ニュアンス満載で回顧された、そんな仲の百閒先生。
だから、本は買わない・図書館(と友人)から借りる主義にしているのに、本書は例外として買ったのだ。
1300円、寄席を一回我慢すればいいのだ、と。
一昨日「はじめ」でほろ酔いになって帰り、寝酒ならぬ寝本に読んだのが「百閒vs志ん生対談」だったのは当然。
(志ん生)わたしは患ったことないんですよ。まだ医者に行ったことないなんていう頃の対談だ。
(内田)憎いですね
(志ん生)うちのそばに医者がいて、会うと「どうです、この頃は、、」
(内田)どうですって、どっちが言うんです。
(志ん生)その先生がね。「この頃はお酒飲んでるんですか」「ええ、飲んでます。お宅へ伺いたいんだけど、あいにくと丈夫なんでね、済みません」(「寝床」の茂造みたいだ)
(内田)何も済まねえことはない
「師匠、あんたさんは東横(落語会)じゃとんがらしが乾いたような顔をしていましたね。こうやって咫尺に伺ってみると、みずみずしいいいおじいさんだね」。なんて言って志ん生が東横は「落語を聞くべき容れものじゃないですよ。」と応じて、やはり酒(毎日一升とか高座で寝ちゃった失敗談など)や飛行機(二人とも嫌い)の話が弾む。
(内田)まあ酒飲みましょうや、酒を飲む者の方がこのごろどうも統計の率がよくなってきたのでね、酒というものは寿命を縮めはしないらしいね。そうなると飲んだだけ得ということになるかな。払いは別だが。
(志ん生)確かに飲むだけ得ですよ。酒飲まない人はこの酒の酔いの心持ちってものを一つ知らないんですからな。
「師匠酔ったような顔をしていて、まだまだ酔やしない。注げえ、オイッ」志ん生は明朝早いから失礼するといい、
(内田)ちょっと志ん生さん、握手しよう。クソじじい、よかったね。ってな調子、志ん生は一万田日銀総裁とか吉田茂、池田勇人などとの付き合いを自慢気に語り、とくに吉田茂なんかが(酒を届けてくれたりして)オツだと褒め始める。
(志ん生)みんなクソじじいだ。年をとれば、、、。(笑)
(内田)だって僕より年下じゃないか。
(志ん生)一つ違いだから同じようなもんだ。
(内田)ずっと知恵が違う。一年が大事だ。
(内田)クソじじい、えらいごきげんになってきた。で終わってる。
(志ん生)私は女の方には人気があるんだ。
(内田)あんなこと言ってるよ。
(志ん生)こっちは操を守るからね。守りっきりだ。(笑)
そのあとどれだけ飲んだかは不明。
枕頭の書ができた。
KAWADE夢ムック 文藝別冊
総特集 古今亭志ん生(増補新版)
つい先日、百閒先生の 〔阿呆の鳥飼〕 という掌編が文庫化されたので、それを今まさに、読んでいるところです (^^)
それにしても、百閒と志ん生ですか・・・
不思議な組み合わせだけど、こんなに興味をそそる組み合わせも、なかなかないですね。
この二人を 「対談させよう!」 と思いついた、編集者がスゴイ (笑)
目白と百閒先生はセットですが。
この対談、小説新潮に載って福武発行の全集、ちくま文庫にもあるらしい。
わが講談社のでかい全集には入っているのかどうか、納戸の本棚の前にいろんなものが置いてあるのでたどり着かない。
そろそろ大整理しないといけません。
分厚くて軽い気持ちで寝ころがって読むには適さないです。
古本屋にいくと百閒のほかの全集も安く手に入るんです。
なんかバカみたいです。
百閒全集をもちながら新しい本ばかり読んでいますが、そろそろ全集に取り掛かるときが来たような気もします。
漱石、鴎外、鱒二、辰野隆などが処分しないで残っているのです。
落語も志ん生、文楽、志ん朝、米朝など。
田舎に引きこもって、、。