ボクノワタシノ横浜散歩、漱石に会わずして小満ワールドに
2016年 05月 20日
ついつい麻のシャツを買ってしまう。
神奈川近代文学館で漱石展を見たいので、いいかげんに坂を上っていく。
「これ、チンしても大丈夫ですか」「注ぎ口から垂れませんか」、わざわざ水をいれて実験して見せてくれる。
天目の徳利、気に入ったので買う。
今日は買い物魔物がついている。
きれいな店主が「お茶召し上がりますか」ちょっと遠慮したが、いただいた、冷えた茶。
「九州の友達から送ってもらったのです」「八代ですか」「そうです」「なんとも言えない甘さがありますね」
おばさんたちも何組が大きな声で笑いながら歩いていく。
外人墓地をチラ見して神奈川近代文学館の近くまで来たのだけれどそこらへんの公園の花がきれいなものだからスマホがいうことをきかない。
ジャグジーにゆっくり浸かって13000歩を癒す。
右肩から二の腕にかけてみごとな彫り物をしたお爺さんが腰に大きな絆創膏を貼っている。
湯上りにビールを飲みたいようないい風が吹いて、ぶらりぶらり、あれ?横浜文化体育館だと?
まるで勘違い方向を歩いて行った、足を速めてなんとか滑り込みセーフ。
前座、一猿が「道灌」、この噺久しぶりだ。
前座噺にもはやりすたりがあるのか。
「道灌」、自分も前座噺は好きだといい、師匠の文楽が前座なりたてのときに明けてもくれても「道灌」しかやらせてもらえなかったこと、ときどき高座に穴が開くと出してもらえる、それが三度が三度とも「道灌」、本人も情けなく客にも申し訳ないと思っていたら、客の一人が立ってきて「若いの、ごくろう」といって手の切れるような一円札を三枚くれたという噺。
めくらの小せんが一年間前座噺だけをやって円馬に参ったといわせた噺。
楽屋にいる一猿に聞かせたのかもしれない。
「がまの油」、前半の口上はやや立て板に糊みたいになったが、後半の酔っ払ってからの浪人は良かった。
前半で「こう見えても侍、投げ銭は勘弁してくれ」と断ったのが生きてくるような、笑わせながらも一種の風格のある浪人になった。
この噺、こういう味わいもあるのかと思った。
小満ん「馬の田楽」
味噌樽を背に積んできた愛馬から荷物を降ろさない訳、受取をもらう前に降ろしてしまうと、元々ここにあったものといちゃもんをつけられるかもしれない。
待てど暮らせどアルジが現れないけれど帰らない訳、なにか亡くなっていると俺のせいだといわれるかもしれない。
律儀な田十・馬方、小満んの芸風でやや線が細くなるのはやむを得ない。
「立て場跡馬頭観音残るだけ」
今日の小満ん、川柳や俳句の解説があったのは珍しい。
名人絵描きの噺をいくつか、そのなかで西洋の何とかいう名人が描いた絵、森と草原と道しかないのに「馬を描いた」、馬の運動不足を補うために道をかきたしたら森の中に行ってしまったという。
「馬の田楽」の絵解きに通じ「抜け雀」に通じるマクラ。
宿の亭主、カミさんに頭が上がらない。
雀を描いた無一文の画家に「お前も女房で苦労するなあ」といわれ相好を崩して「よく言ってくれました」、ほんとにうれしそうな顔をしていた。
絵描きの父が抜け雀の絵を見にきて、たあ~っつ!と一気呵成に描き足したのは籠ならぬ「ひと群の呉竹」。
俺は以前からこの噺で、せっかくの雀に籠なんか描いたら絵にならないじゃないかと不満だったので、胸のつかえが降りた。
しかも宿屋の亭主は絵を殿様に二千両で売らずに家宝にしておきたいという。
喜んだ一文無し、今は駿府で一双の屏風を描いて立派ななりをしている、が宿賃のほかにお祝いだなんだと60両の金を出し「雀の涙だ」というサゲ。
彼の退院祝いの含みもあり(割り勘だが)、ノドグロ、クサヤ、トリガイ、稚鮎の時雨煮など、酒は「男山」から「神亀」の燗、しめは親方夫妻も一緒にビール「横浜物語」。
『抜け雀』は、上方版のように、『双蝶々曲輪日記』橋本の段の名文句、「現在親に駕籠かかせ」を踏まえたものなら、籠でも良いのでしょうが、昨夜のように呉竹を描き、雀を休ませるという演出は、小満んらしくもあり、実に結構でした。
もちろん、三席とも、結構でした。
七月も楽しみですね。
もっと遊びに行けばいいのでしょうが。
昔関内に住んでいたのですが、仕事オンリ―、もったいないことを(特に家族に)しました。