小言念仏では極楽に行けない 長谷川宏「日本精神史」その14浄土思想の形成
2016年 05月 15日
方角を変えて足の向くまま、どこに行っても花花花。
巨大な桜の園からツツジ苑になり今はバラ園だ、入場無料、管理お任せの花園の持ち主になった気分。
これが天国だとまでは思わぬけれど。
もっとも、藤原氏の専制のために没落した下層貴族官僚にとってはこの世は厭うべきものだった。
たとえば慶滋保胤(よししげやすたね)は「池亭記」を書いて、出世のために「膝を屈し腰を折り、媚を王侯将相に求」めることを願わないとして、自宅に西堂を作り弥陀をおき、仕事を終えて帰宅するとそこで弥陀を念じ法華を読んだ。
ここまでは加藤周一の「日本文学史序説」の受け売り。
長谷川宏「日本精神史 浄土思想の形成」は、慶滋保胤が「日本往生極楽記」、念仏のおかげで実際に極楽往生した40人余りの伝記をも著したことも教える。
その中には市の聖と呼ばれた空也上人もふくまれる。
その往生のさまはこうだ。
上人は亡くなる日に、法衣を着て香炉を手にもち、西方に向かって正座し、弟子たちにたいして「多くの仏や菩薩が迎えにきて連れていってくださる」と言った。息絶えたあとも香炉を手にもったままだった。そのとき音楽が空に聞こえ、部屋は香気に満たされた。上人は布教の仕事を終えて極楽に帰られたのだった。「読む人は心温まる思いで安らかな美しい往生のさまを思い浮かべ、自分にもそのような美しい往生の訪れることを願ったにちがいない」と長谷川は書いている。
それまでの空海や最澄が現実世界における仏教の俗化や仏者の腐敗・堕落に目を凝らし、既成の教説や制度や組織を超える新しい仏教や仏教団体のありかたを基本的課題としたのに対し、
「往生要集」は人間が生まれてから死ぬまで生きる現実の世界よりも、死後に生きるあの世に目を据えてものごとを考えていこうとする仏法書だった。そこに描かれる地獄と極楽の詳細は漢訳仏典の要約だとはいえ、人並み外れたあの世への関心なしには描き得なかっただろう、その関心は地獄図を精彩あるものとする文学的な力にもなっただろう、いうならば源信は文学的な喜びをもって仏典からの引用を重ね、地獄の図を迫力のあるものに仕上げていっている。
文学性豊かな想像力の発揮が「往生要集」を日本の浄土思想上、画期をなす書物たらしめている、と長谷川は断じる。
源信の説く「念仏」とは、単に「南無阿弥陀仏」を唱えることだけではない。
「仏を念じる」、仏の姿をありありと思い浮かべることだ。
頭の形、髪、耳、耳の巻き毛、顔の細部、、42項目に分けて仏の相好が詳細に説明される。
地獄・極楽・阿弥陀仏、、いずれもイメージだ。
善行を積む、悟りを得る、、ではなくイメージを思い浮かべることが極楽への道、長谷川はこれを”イメージ”の宗教思想と名づける。
いわば美的行為に近づく。
真善美のうち真善を宗教の狙い・課題とするならば、仏の姿がありありと見えてきたときの充実感と喜びは、美に深くかかわる。
ここに日本の仏教の大きな特質=美との親和性を見ることができる。
伝来以来奈良時代中期まで、造寺・造仏・写経などにより美との結びつきを強めていた仏教が、空海と最澄によって倫理と思想の領域に深く入り込み美とのかかわりを薄めたかに見えたが、浄土思想=イメージの宗教により美との道行きを再開する。
大衆は現世が地獄よりましと考え、支配層の貴族は現世がすでに極楽に似ていると考えたからだと。
タックス・ヘイブンをタックス・ヘブンと思っている人もいるようだ。
税金天国に住まう人たちにとっては現世は天国なのかもしれない、つまらん天国だけどね。
その先も天国に行けると信じていることでしょう
まさか閻魔様までねじ伏せてはいないですよね?
庭に四季折々の花を育ててる人には街の美化向上の功績を汲んで、税金が還付されるようにはならないのでしょうか。
しかもそれだけの経済的精神的余裕のある人が多そうです。
税金はもうちょっと払ってもらってもよさそうなくらい^^。