すさまじきものは宮仕え 歌舞伎座・團菊祭五月大歌舞伎
2016年 05月 14日
歌舞伎座の前にある「辨松」で赤飯弁当を仕入れる。
末廣亭で食うために伊勢丹で買うこともあるけれど、なんたって本店で買って歌舞伎座だもんね。
半世紀以上も前に観たときに活躍していた俳優たちの写真があった。
勘三郎、中車、松緑、、懐かしい。
公演中でなければOKらしく、シャッターを押してあげているスタッフもいた。
両側に廊下から個別の入り口がある桟敷席が並ぶ、20000円。
花道が目の前だ。
三階B席4000円と言うのは後ろの方らしい。
さらに四階には幕見席というのもある。
鵺退治
源頼政・梅玉 猪の早太・又五郎が鵺を退治する。
能の鵺はなんどかみた。
あれとはまるで違って、頼政や又五郎が見栄を切ったり、美女・菖蒲の前・魁春と舞ってみせたり、鵺は狸のように腹が膨らんで、まあ、キレイといえばきれいだが、それほど感動はない。
寺子屋
菅原伝授手習鑑四段目の切。
源蔵(松緑)・戸浪(梅枝)夫妻が菅丞相の息子・菅秀才を自分の子と偽って、自分たちが営む寺子屋にかくまっている。
それが時平にばれて、秀才の首を差し出すように命じられる。
検分役にやってきたのは松王丸(海老蔵)、この仕事を無事に済ませたらお役御免になって病気を養えると、咳をしたり足元がふらついたり。
源蔵は菅丞相の子息の代わりに、その日入門したばかりの小太郎の首を差し出そう、小太郎を迎えに母親・千代(菊之助)が来たら、彼女も始末してしまおうと戸浪と相談する。
う~~すまじきものは、、う~う~、みやづかえ小さな首を見せる首実検の場はつらい。
「すまじきものは」でなくて「すさまじきものは」宮仕えだ。
なんとか松王丸の目を欺きとおした源蔵夫妻が腰が抜けたようになる。
お目当ての菊之助が登場、オペラグラス越しにも匂い立つ年増の色気。
「小太郎、小太郎」と呼ばわる声に潜む悲哀。
じつは松王丸と千代は夫婦で、菅秀才の身代わりにするために寺子屋に入門させたのだ。
「お役に立てたのですか」という千代の切なさ。
「家を出る時、いつもよりまつわりついたのはこれが別れと感じたのかもしれない」。
源蔵から、身代わりになることを聞かされ納得して自ら首を差し伸べてにっこり笑った、と小太郎・九歳の最後の様子を聴かされる松王丸・千代夫妻。
話としては酸鼻を極め、とうてい受け入れがたいモラルだが、源蔵夫妻や松王丸夫妻の立場・気持に感情移入すれば慟哭のほかはない。
客席にもすすり泣きの声が聞こえる。
「早めに席にお戻りください」がうるさい。
歌舞伎座のスタッフ、丁寧で笑顔も絶やさず悪くはないが、どうも押しつけがましい印象が気になった。
爺ババが多いからしょうがないのかな。
三十五分の休憩、やっぱり飯を食う客で椅子は満席。
十六夜清心
河竹黙阿弥「花模様薊色縫」から、浄瑠璃「梅柳中宵月」
さっき悲哀の妻の役をみごとにやったばかりの菊之助が女郎・十六夜(時蔵)と心中して失敗する女犯の僧・清心になる。
清心の子を身ごもった十六夜が、「連れて逃げてよ」「私は京に上って修行する、お前は廓にもどれ」「そんなら一人で死にます」。
そこまでの二人のやりとり、舞が美しい、動くブロマイド。
十六夜は俳諧師・白蓮(左團次)と船頭三次(亀三郎)の白魚の網に掬われ、清心は行徳育ちで泳ぎが達者、二人それぞれに生き残る。
このあたりから清心の心の中に生へのこだわりが目を覚ました。
袂に石を入れて再び身投げをしようとするが、どこかでさんざめく宴の音に気が殺がれる。
こうして死ぬ人生もあり、ああやって面白おかしく生きる人生もある。
花道に恋塚求女(松也)が来て川端の清心と割り台詞なのだが、俺には求女のセリフが聞き取りにくい。
癪を起した求女を介抱するうちに大金を持っていることが分かり、取ろうと争い間違って殺してしまう。
今はこれまで、今度こそ死のうと決心した清心が、、。
しかし待てよ、、今日十六夜が身を投げたも またこの若衆の金を取り 殺したことを知ったのは お月様と俺ばかり、、、 どうせ人生五十年、、一人殺すも千人殺すも取られる首はたった一つ、、、人の物は我が物と 栄耀栄華をするのが徳 こいつあめったに 死なれぬわいヘンシーン!悪党清心、一丁上り!
ここは菊之助、もっと悪らしくなってほしかった。
まあ、これから悪の道に励み立派な悪党になるのだろう。
浅黄の幕が切って落とされると満開の桜のなかに、堂々・絢爛豪華な山門、その真ん中にで~んとキセルを吹かす石川五右衛門(吉右衛門)、はらはらと散りかける桜のなかで
絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両歌舞伎を観なくても知っている名セリフ。
そこに手紙を咥えた鷹が飛んでくる。読むうちに五右衛門は、真柴久吉が養父武智光秀と自身の父宋蘇卿の仇であることを知る。
怒りと復讐に震える五右衛門に捕り手(又五郎・錦之助)が絡む。
山門がせりあがるとそこに巡礼姿に変装した久吉が現れ、五右衛門の句を詠み上げる。
「石川や 浜の真砂は尽きるとも」、五右衛門「や、何と」、久吉「世に盗人の 種は尽きまじ」。
五右衛門が手裏剣を打つと久吉は柄杓でそれを受け止め、「巡礼にご報謝」と双方天地でにらみ合う。
十分ほどの短い一幕だが、これぞ歌舞伎!錦絵が動いてる。
三階からでも(オペラグラスを使えば)役者の表情もはっきり見えた。
売店で銀座鹿の子の「歌舞伎座 銀つば」をお土産に買い、恵比壽の新しく出来たアトレのザ・ガーデンでカミさんに頼まれた大葉と茗荷を買って帰りました。
高校生の頃、お重を持ち込み初日の通しで二部続きで見たもんだ。
退屈な出し物のときは気持ちよく居眠りをしてたなぁ、
今は昔のお話やゎ,
77そんなところにあったのですね~(汗
そう言えば、高校時代の同級生が七十七銀行の頭取の孫で現役で慶応に合格したという話を思い出しました。
私の高校(しがない地方の私立高校)から現役で慶応に合格なんて驚きました。
彼女は気取った所が全然なく私とも気さくに話してくれていたので学生時代は知りませんでしたが、卒業後に友人に聞いて初めて知りました。
本当に世の中色んな人がいるのだと感じたのを覚えてます。
私は今まで歌舞伎を自分でチケットを買って見たことがなく、
若いころのことですが、
伯父が問屋からもらう招待券をくれたので、それで何度か
名古屋の御園座に足を運んでいました。
一度は自分のお金で観て見なくては(^^)
現在、御園座も建て替え中です。
という記憶ががありますが、最近は、変わったのでしょうか…
(もっとも私の歌舞伎体験は、南座だけなのですが…)
幕の内弁当、というくらいで、飲み食いしつつ芝居を観るのが、
昔は当たり前でしたが、いつ頃からか、幕の間に食べるようになりましたね。
それが、ついに、幕の外!に追い出されてしまったのですね。
残念な気持ちもします。
長野の北野が作った芝居小屋はどんな風になっているのか気になります。
でもそれ以前に飯を食いながら見るなんて余裕がない、一瞬も見逃すまい、聞き逃すまいと必死でしたよ。
もっとゆったり見たらいいのでしょうがネ。
落語の「中村仲蔵」は忠臣蔵五段目の斧定九郎という「弁当幕」の端役を割り振られた役者が発奮して新しい造型をする噺です。
芝居をみながら寿司をご馳走になる噺もありますね。
紙やビニールの音をさせないでください、と注意する歌舞伎座、芝居見物も昔とは違ってきました。
おっしゃるような造り、今でも使うことがある由。
金毘羅歌舞伎と連携したらどうですか、なんて余計なことを言ったのはもう30年近くの昔です。
そんなことを言いながら金丸座にもいったことがないまま年を重ねました。
河原乞食とさげすまされた昔から芝居の原点は客との一体化でしょうね。
今、それが残っているのが寄席です。