さまざまな「個人」がいるから人生は美しい
2016年 05月 13日
そこには「個人」は存在せず、人間の形をしたモデルをずらっと並べただけのようだ。
それは子供たち、親たちが、それぞれいろんなポーズを勝手気ままに取っているからだ。
きかんきの子もいる、やさしい子もいる、手品に好奇心を持つ子もいればつまらないと思う子もいる。
それぞれが一人の子供たち、かけがえのない一人の人間たちだ。
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
これを自民党の憲法改正草案第13条は、こう変えようとする。
全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益および公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。犬や猫よりも「ヒト」の方がだいじですよ、とそういうことらしい。
憲法に個人主義が持ち込まれたせいで、日本から社会的連帯が失われた。だから、個人主義を排して、社会の土台をつくり直すのだ。
個人よりも家族が大事。
そして天賦人権説の否定、ご丁寧に、自民党「日本国憲法改正草案Q&A 増補版」にこう書いてある。
人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました。片山さつきはツイッターでかく宣言する。
国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権説をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するためには自分が何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!「皆」が!北朝鮮の映像が浮かんでくるではないか。
それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。といいはなった。
ご都合主義の二枚舌め!
福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」、明治初期の民衆の憲法運動、楠正成の「非理法権天」、、人間が勝手に手を触れてはいけないルールがあるという天の思想はなにも西欧の専売特許じゃない。
もっともらしく耳触りのいい言葉に騙されないように
我々もアンテナをピーンとはっていなくてはなりません
疲れます 疲れてなんていられないし・・・・・
結局は、全ての国民が国のために命を捧げるような国家を目指すという事が自民党憲法草案の要諦です。
誰かが右へといったら右へ、左へといったら左へそんな国にならないようにそんな自分にならないようにと感じました~^^/
一枚目のお写真素敵ですね^^
saheiziさんの仰る通りひとりひとりが色んなポーズをとっていてほっとしますね!
これがみんな一緒だったら本当に北朝鮮のようになってしまいます(汗
私も金子みすヾさんの詩が大好きです。
一時期すごくはまりまして、小倉にいたころに金子みすヾ記念館に行こうとしたのを思い出しました。
将来一回は行ってみたい場所です~^^
そのあと、何回か金子みすゞのことをブログに書きました。
http://pinhukuro.exblog.jp/1426067/
泣けてくるような詩が多いですね。
金子みすヾさんのことを書かれた過去のブログ拝見しました。
彼女はほんとにあの土地しか知らないのですね。
それなのに、何と深い洞察力を持っていたか、いまさらながら感動します。
北朝鮮の様子がテレビに映る度、そこはかとない気持悪さを感じます。
福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
それを忘れたか!と言いたくなります。
自由な、個性のある、人間らしい暮らしこそ私たちに与えられた大切な権利なのに。
日本もついさいきんまでなにかといえばかりだされて提灯行列をやっていたのです。
その遺伝子はまだ生きているし、さいきん表に出たくて我慢できないような人が増えましたね。
国中揃って同じ人。なんてお断りです。
旗振ったり、行進したり、万歳したり・・・やりたい人だけやればいいのです。