執念深くやろう脱税批判&明治憲法以前を目指す自民党改憲マニア

ゆうべちょっと歩き足りないから外に出たら刻々と変化する夕焼けショー。
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ものは順をいって今朝は素晴らしい五月晴れだ。
散歩に出るとつい鼻歌が出る。


空も港も世は晴れて、元へ夜は晴れて、だった、世の中は晴れるどころか不透明を増すばかり。
舛添の公私混同など立小便みたいなもの、大企業や富裕層による巨額の脱税は世界を破壊する。
なのに口をそろえて「ただちに違法ではない」「ビジネスの都合だ」「脱税を企図したものではない」、じゃあ、なぜわざわざ日本の外にペーパーカンパニーを作ってそこに金融資産を送るようなことをしたのか、もっと突っ込んで訊くなり調べたらいいじゃないか。
タレントのスキャンダルなら海外特派も辞さないメデイアがこの件ではおとなしすぎる。

メデイアや政権(各国の)を動かすのは「俺関係ないもんな」の人たちの怒り、嫉妬、好奇心だ。
今こそ、タレントのスキャンダル以上のぎらぎらした好奇心で彼らの欲の皮をひんむいてやらなければなるまい。
それだけ税収があがれば待機児童問題が片付き、女性の労働条件が向上することも可能だ。
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樋口陽一&小林節「憲法改正」の真実、その三「自民党の憲法改正草案はどこが問題か」

その通りにならないとしても、憲法を改正したいという自民党が「この国をどうしたいのか、どういう社会を構築しようとしているのか、どんな価値を理想としているか」は、きちんとおさえておくべきだ。

それは、なによりも「国家権力と国民の関係が逆転して、国民に憲法尊重義務を課している」点、近代憲法として失格。

改憲マニアの世襲議員たちは明治憲法に戻りたくてしょうがないようだ。
だが、樋口陽一は、彼らは明治憲法よりもっと「いにしえ」の日本、憲法なき江戸時代に向かっているという。

不平等条約を改正するためにも、伊藤博文をはじめ明治憲法を起草した人たちは、ヨーロッパに行って碩学に学ぶなど、真面目に取り組んだから、19世紀後半の基準でみれば明治憲法は立派な憲法だった。
自民党草案に出てくる「伝統」や「和」などと言う翻訳して違和感のある言葉はひとつも出てこない。
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高市早苗は国会の調査会で小林節が「憲法とは国家権力を制限して人権を守るためのものだ」と言ったのに対し、「私、その憲法観、とりません」といった上で、自民党草案には制限規範だけでなく「国民の命を確実に守る」「領土の保全」「独立統治」などというものを確保するために新しく「国家に授権規範的な要素」を取り入れたと講釈したという。
三権分立こそ主権者・国民からの国家への授権であって、何も新しく設けなくとも「授権規範」としての側面は現憲法にも備わっていることも理解していないらしい。
現憲法の三権が国民の基本的人権に反しないかぎりという制限付きで与えられているのに対し、自民党の考え方は、権力に対して無限に「授権」し、国民を「制限」することになりかねない。
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明治憲法時代は天皇主権であっても立憲政治を目指し「憲政の常道」を求めて闘う政治家も多かった。
1935年それまでの主流的な考え方であった美濃部達吉の天皇機関説が糾弾され、国体に反するとして国禁の学とされてしまってから1945年までの10年間が日本の暗黒の時代となった。
天皇は神様であって、その命令を受けた上官の命令は絶対だとなった。
安倍をはじめとする改憲マニアの世襲議員たちが郷愁して止まないのがその10年だ。

明治憲法以前、以後、暗黒の1935年~45年を除けば、日本には立憲主義・民主主義を求め守ろうとする動きはあった。
ポツダム宣言第10項に「日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ」とある。
連合国側もファシズム以前の日本に民主主義的傾向があることを理解していたのだ。
「押しつけ憲法」と簡単にいうべきではない。
自民党の憲法改正草案は、近代法からの逸脱、民主主義的傾向の芽生えのあった明治期への回帰どころか、前近代への回帰である。近代法として懸命に起草された明治憲法と一緒にしてはいけない。
現代の日本を、「いにしえ」の時代から根強くある東アジアの専制政治国家に戻してはいけない。
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おまけ。
「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という明治憲法が天皇神権を規定したというのは誤解であって、それはヨーロッパ近代憲法の法律用語にすぎない。
起源はフランス革命後の1791年憲法、王様の地位を規定した条文に「不可侵にして神聖」と書いた。
「王は民事・刑事の裁判に服さない」という国家元首の通則、それをモデルにベルギーやプロイセンの憲法にも写されて、それを明治憲法が導入した。

法律を学んだのに、覚えてないなあ。

Commented by koubeinokogoto at 2016-05-12 18:14
小言幸兵衛です。
「パナマ文書」について、日本のマスメディアは、相変わらず国民の側に立った報道をしませんね。
落語関係ではない「幸兵衛の小言」の方で記事を書きましたが、まるでジョン・グリシャムの『法律事務所』の世界です。
オフショア法人を作ること自体、すでに日本の法律から逃げているわけですから、追求すれば、必ず税金逃れの証拠は出て来るはずです。

また、問題は「合法」かどうかではなく、「税の不公平」という問題であり、「税金逃れ」をする大企業人への倫理的な追求だと思います。

佐平次さんおっしゃる通りで、都知事の無駄遣いの比ではない実態を、ぜひ明らかにして欲しいものです。
Commented by tocotoco-o3po at 2016-05-12 19:37
高校時代に奨学金を借りていましたが、高校時代の奨学金でさえ非正規雇用だった私は返還するのにとても苦労しました。
奨学金返還で苦労している話も最近よくニュースで流れていますね。

貧富の差がなく希望すれば大学にも進学出来るような世の中になって欲しいと願っています。
Commented by saheizi-inokori at 2016-05-12 21:23
> koubeinokogotoさん、税金によって富の再配分が行われるのですし、税金が入らなければ国が成り立ちません。
憲法を改正して国民の義務を強めようとしている政権が現在の憲法に定めてある三大義務の一つがないがしろにされているのを座視するのは許せないです。
Commented by saheizi-inokori at 2016-05-12 21:27
> tocotoco-o3poさん、私も高校大学ともに奨学金がなければいけなかったです。
大学は特別奨学金というありがたい制度がありました。
富裕層の脱税がなければ給付型奨学金も実現できますね。
Commented by j-garden-hirasato at 2016-05-13 06:49
憲法改正も、
自分たちがやりやすいように、
制度を変えるだけですから…。
運用ではなく、
根本の憲法を変えるということは、
何がしたいのか…。
ちょっと怖いですね。
Commented by saheizi-inokori at 2016-05-13 07:24
> j-garden-hirasatoさん、ほんとに恐ろしいです。
生半可な知識とおごり高ぶったプライドだけが突っ走るお坊ちゃんお嬢様。
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by saheizi-inokori | 2016-05-12 12:45 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(6)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori