虎になっても檻のなか、中国も間違った 映画「山河ノスタルジア」
2016年 05月 07日
天気は下り坂というので早めにマットや洗濯物を干す。
サンチと散歩、サンチが片足上げると俺も片足上げて四股を踏む。
今から行って席が取れるか、ネットで見ると空いている、即予約。
便利になった、昔は映画館の廊下に並んで待っているのが嫌で見たい映画もパスしたことが多い。
チケットを受け取って一時間ほど隣接のジュンク堂で「日本会議の研究」を探す。
安倍政権閣僚の相当数が入っている、万世一系の天皇を信仰する超右翼団体の正体を明かす本で、ネットに連載中(シリーズ「草の根保守の蠢動」)は読んでいたが文庫本となって日本会議の事務局から出版停止を求められていると聞いたから買おうと思ったのだが、在庫切れだ。
アマゾンで見ると、定価900円程度のものが中古も含めて2900円前後、早く買うんだった。
かつては本屋中毒、本屋に入って一冊買うと堰が伐れたように何冊も買い込んだ。
図書館専門になってから、かえってちゃんとお終いまで読むようになった。
中毒の後遺症はくすぶっているから油断できない。
わざと時間ぎりぎりになってから、樋口陽一&小林節「『憲法改正』の真実」一冊を買ってすぐに店を出た。
冒頭、懐かしい「GO WEST」が鳴り響くなか、中国山西省・汾陽<フェンヤン>の青年男女が楽し気にダンスをする映像。
1999年、新世紀を目前にして希望に燃える地方の若者たちだ。
女主人公・タオが幼馴染の青年、一人は野心に燃える実業家、もう一人は先に希望のなさそうな炭鉱夫から、求愛されて、実業家の強引さに負けて炭鉱夫は傷心を抱いて街を去る。
タオと実業家の間に生まれた男の子にダウラーと名付け、米ダラーをたくさん稼いでやる、と誓う若者。
別れても豪邸に住みアウディを乗り回すようになっている。
タオの父が亡くなって孫のダゥラー・7歳が葬式に参列する。
父に逝かれ、やっと会えた子供が「母さん」と言わず「マミー」といい、心づくしの餃子を食って「ベリーナイス」というのだ。
父がオーストラリアに連れて移住するというのを、後妻らしき女と息子のタブレット会話で知る。
引き止めたいけれど、子供の(高等教育の)ためには田舎に置くよりも、とあきらめるが、家の合鍵を渡して「帰りたいときはいつでも帰っておいで」といい、少しでも長く一緒にいたいからと、ローカル列車にのって待合室で時を過ごす。
二人が片っぽづつイヤフォンをして聴く、サリー・イップの「珍重」。
冒頭の「GO WEST」とこの曲が映画の重要な場面に使われる。
2025年のオーストラリア、大学生になったダゥラーは、腐敗摘発を恐れて帰国できず、無為に豪華な家に暮らす父(何丁もの銃をもてあそび、「銃を買う自由を得ても、撃つ相手もいない」と叫ぶ)との生活、自分のこれからの人生に希望をもてない。
中国語も話せない、アイデンティティを喪失してしまったのだ。
経済成長、高学歴、東京へ東京へ、母との別居、、俺の人生に重ねて観た。
表現の自由が束縛されているという中国、こういう批判ならダメは出されなかったのか。
タオを演じた女優が素晴らしい。
映画を見て一日経った今、タオと二人の青年が着たきり雀でも明るく笑い合っていた1999年の一齣一齣が強く蘇ってくる。
2014年に炭鉱夫だった男が肺がんになり、田舎の良さが消えた。
2025年の近未来に出てくるダウラーたちが住むオーストラリアのガラス張りの豪邸は温かみがまるでない。
2014年のところで炭鉱夫が檻の中の虎と向きあう場面がとつぜんでてきた。
その檻のなかの虎のようになっている「成功した中国人」なのだ。
中国が2025年を違った形で迎えられればいいのだが。
贾樟柯監督の作品は、初期のものから結構見ています。
初めのころ、彼の作品は中国国内で上映禁止でした。
その禁止DVDを集めていた頃の私自身も懐かしい。
どうも『世界征服をたくらむ悪の組織』みたいなイメージしか持てないのですが、こんな人たちが現実に幅を利かせ始めているとなると、ちょっとやっかいな感じがします。
まあ、善人は世界を征服しようなんてことは、あまり考えないもので、昔っから世界征服をたくらむのは 『悪の組織』 と相場が決まっているわけでして、だから日本会議の正体も、推して知るべしってところじゃないでしょうか (^^;
純粋なシンパ(草の根の連中)が反発して内部対立が生じることを期待しています。
対米従属と復古思想が結びついた醜悪な思想の団体ですが、今や日本を実質的に支配している状況で無視できません。