まともな力強い映画 映画「スポットライト 世紀のスクープ」
2016年 04月 26日
散歩がてら二子玉川で映画を見ようと思った。
6回行ったので無料になるのだ。
会員はエグゼクティブシートも無料、足を延ばしても前の席に届かない、各座席の間にものを置ける台がある、段差がちゃんとあるので前の人の頭を気にしないでいい、ぜいたくなもんだ。

「蘇りし者」を予約しようとしたらずっと満員、「スポットライト」にした。
実話。
カトリック教会の神父たちが子どもにセクハラをしていた。
独身生活を強いられているが故の”現象”、神父の6%が該当するという研究データ、被害者の会による証拠書類、告発、すべてがもみ消される。
神と同一視される人がそんなことをするはずがない、あってはならないことだ。
だからあったこともないことにされる。
教会と戦おうとする弁護士や、被害者の会の代表者たちは変人扱いされる。
教会の恥は地域の恥、暴こうとする者は地域(ボストン)で生きていけない。
抗う術もない子供たちはトラウマに苦しみ、自殺する者も少なくない。

それは世界中の教会の抱える闇だった。
ボストングローブ社にボストン出身ではないユダヤ人の編集局長が赴任する。
彼の指揮のもと、不屈の記者チームが教会の闇に挑む。
てきぱきとエネルギッシュに仕事を進めていく様子が見ていて快い。
会社の経営陣が介入するのかと思うとそういうことはない。
大スクープ、売れる、ということよりもチームのメンバーの正義感・怒りが原動力だ。
一回限りのスクープに終わらせず教会組織くるみの隠蔽工作であることを暴くのだ。

どうしても、世界で報道の自由度が72位という日本の新聞・メデイアのことを考えずにいられない。
2002年のこの記事がどれだけ世界中の子供たちを神父の毒牙から救ったか。
言論・表現の自由は闇を照らすのだ。

派手な見せ場はないが、力強い、まともな映画だ。
6回行ったので無料になるのだ。
会員はエグゼクティブシートも無料、足を延ばしても前の席に届かない、各座席の間にものを置ける台がある、段差がちゃんとあるので前の人の頭を気にしないでいい、ぜいたくなもんだ。

実話。
カトリック教会の神父たちが子どもにセクハラをしていた。
独身生活を強いられているが故の”現象”、神父の6%が該当するという研究データ、被害者の会による証拠書類、告発、すべてがもみ消される。
神と同一視される人がそんなことをするはずがない、あってはならないことだ。
だからあったこともないことにされる。
教会と戦おうとする弁護士や、被害者の会の代表者たちは変人扱いされる。
教会の恥は地域の恥、暴こうとする者は地域(ボストン)で生きていけない。
抗う術もない子供たちはトラウマに苦しみ、自殺する者も少なくない。

ボストングローブ社にボストン出身ではないユダヤ人の編集局長が赴任する。
彼の指揮のもと、不屈の記者チームが教会の闇に挑む。
てきぱきとエネルギッシュに仕事を進めていく様子が見ていて快い。
会社の経営陣が介入するのかと思うとそういうことはない。
大スクープ、売れる、ということよりもチームのメンバーの正義感・怒りが原動力だ。
一回限りのスクープに終わらせず教会組織くるみの隠蔽工作であることを暴くのだ。

2002年のこの記事がどれだけ世界中の子供たちを神父の毒牙から救ったか。
言論・表現の自由は闇を照らすのだ。

日本でも似たような犯罪が起きましたよね。
京都?でしたっけ。
たしか2002年よりも後だったはずです。
犯人が在日外国人だとか新興宗教だとかそういう報道は耳にしましたけど、ボストンでのこの事件は初めて聞きました。
驚きです。
京都?でしたっけ。
たしか2002年よりも後だったはずです。
犯人が在日外国人だとか新興宗教だとかそういう報道は耳にしましたけど、ボストンでのこの事件は初めて聞きました。
驚きです。
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> sweetmitsukiさん、映画のエンドロールに摘発された世界の教会の名前がずらずらと出てきます。
早いから読んでいる余裕はないのですが、圧巻です。
日本の教会があったのかどうかはわかりませんでした。
早いから読んでいる余裕はないのですが、圧巻です。
日本の教会があったのかどうかはわかりませんでした。
今晩は。人間の本性は,善か悪か、考えますが、やはり一人の人間の中に欲望と、それをコントロール出来る知性とがせめぎ合い、バランスをとっているのかもしれません。しかし、宗教者ともなれば、普通悩める人を慈愛で救うのが神から与えられた任務だとおもっていましたが、そうではなかった人々がいるということですね。あまりに問題が暗く陰湿で愕然とします。しかし、この糾弾してくれた新聞社の勇気ある人々に、生きる勇気をもらった思いです。日本もやりきれないこの時代ですが、いつか本で読んだルイス・ミショー氏や、ウルグアイのホセ氏のような志高い人達を心の師と仰いで歩いて行けたら・・と思います。
この映画、観たいです。貫くという姿勢、大切ですね。最近は「ぶれる」という現象ばかりが目につきますから。
> sheri-sheriさん、朝日歌壇だったかにホセ氏に知足を教えられた我禅僧という趣旨の歌が二人の撰者に入選していました。
この人などは反省をする人ですが、「京都ぎらい」にあった祇園を支えるほどに酒食にふける名刹の坊主たちは救いがないですね。
キリストの頃から聖職につく人たちの腐敗はひどかったようですね。
神に代わって人びとの生殺与奪(魂の)に関わるという特権意識、聖域に住むという安心感などもあるのでしょう。
この人などは反省をする人ですが、「京都ぎらい」にあった祇園を支えるほどに酒食にふける名刹の坊主たちは救いがないですね。
キリストの頃から聖職につく人たちの腐敗はひどかったようですね。
神に代わって人びとの生殺与奪(魂の)に関わるという特権意識、聖域に住むという安心感などもあるのでしょう。
> k_hankichiさん、「ぶれる」のは何かがあってそれが揺れるのですが、なにもない風向きのまま、己が保身だけのためにさまようのはどうにもなりません。
どんな職域にも、世間と同じ割合で異な性向者が含まれると思っています。
宗教者の場合は一段と増幅されるのかも知れませんね。
宗教者の場合は一段と増幅されるのかも知れませんね。
聖職につく人々の腐敗・・ヒツジの皮をかぶった狼ということですね。所詮、全部が全部とはいえませんが、たとえ、お坊さんであろうと牧師であろうと、一般人よりかえって生臭く、その地位にある特権階級から追及されないというおごりがあるのかもしれませんね。哀しいことですが、やはり神ではないのです。神の近くにもいないばかりかかえって遠くにいるのかもしれません。しかし、そんな人々ばかりでは決してないのでしょうから、本物の聖職社の方々には敬意を払いたいと思います。
by saheizi-inokori
| 2016-04-26 12:28
| 映画
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Comments(10)