丸山真男が指摘した日本の病 丸山真男「日本の思想」

1961年11月20日初版刊行、待ちかねて大学生協で買った。
これを読まないことには仲間外れになるような気がしていた、大学一年生。
待ちかねて観たのは黒澤明の「椿三十郎」もそうだった。
どっちも流行っていたのだ。
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懐旧の念にかられながら読み始めるとすぐにこんな注書きにぶつかる。

 明治以降ドンランな知的好奇心と頭の回転のす早さーそれはたしかに世界第一級であり、日本の急速な「躍進」の一つの鍵でもあったがーで外国文化を吸収して来た「伝統」によって、現代の知識層には、少なくも思想にかんする限り、「知られざるもの」への感覚がほとんどなくなったように見える。最初は好奇心を示しても、すぐ「あゝあれか」ということになってしまう。過敏症と不感症が逆説的に結合するのである。たとえば西欧やアメリカの知的世界で、今日でも民主主義の基本理念とか、民主主義への基礎づけとかほとんど何百年以来のテーマが繰りかえし「問わ」れ、真正面から論議されている状況は、戦後数年で、「民主主義」が「もう分かってるよ」という雰囲気であしらわれる日本と、驚くべき対照をなしている。

安倍の暴走を歓迎する人たちは民主主義を「もう分かってるよ」という人たちなのだろうか。
新自由主義の信徒たちは「頭の回転のす早い」人たちなんだろうな。
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(100種類のコーヒーを飲み分ける日本人)

こんなことも書いてある。

 新たなもの、本来異質的なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほどに早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍らにおしやられ、あるいは下に沈殿して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。
これは特に国家的、政治的危機の場合にいちじるしい。


さしずめ日本会議なんてのがそれかもしれない。
意識して安倍たちをひきづり回している陰の連中。
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明治政府(伊藤博文)は憲法を制定するに際し、西欧におけるように憲法の歴史と宗教という基軸が日本にはないことを危惧し、「皇室」を基軸とすることにした。
後に昭和天皇が「帝国憲法は立憲主義だから、朕は戦争に対する政治的判断をしなかった」というところの帝国憲法は、皇室に「将来如何の事変に遭遇するも、、、上元首の位を保ち、決して主権の民衆に移らざる」ための政治的保障に加えて、ヨーロッパ文化千年にわたって「基軸」となってきたキリスト教の精神的代用品を兼ねるという巨大な使命を託したのだ、と丸山はいう。
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大正デモクラシ―のただなかに起きた難波大助の摂政宮狙撃事件(虎ノ門事件)においては、内閣は総辞職、警視総監から道筋の警固にあたった警官のまで懲戒免となり、犯人の父はただちに衆議院議員の職を辞し、門前に竹矢来を張って一歩も戸外に出ず、郷里の全村はあげて正月の祝を廃して「喪」に入り、大助の卒業した小学校の校長ならびに担当の訓導も職を辞した。

日本の天皇制はたしかにツァ―リズムほど権力行使に無慈悲ではなかったかもしれない。しかし西欧君主制はもとより、正統教会と結合した帝政ロシアにおいても、社会的責任のこのようなありかたは到底考えられなかったであろう。


「國體」という漠とした非論理的無限定的な抱擁性を持つ魔物は、内容を意図的に明確にしないまま、いったん「反國體」と断ぜられた者に対しては峻烈な権力体として作用した。
たんに外的行動としての國體変革を取り締まるにとどまらず、内心において反國體の者を思想犯として摘発排除する。
日本人がイデオロギー的に同質化していく素地をそなえていたことにヒトラーは羨望したそうである。
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丸山が半世紀前に分析した日本の痼疾が今また発症しつつあるような気がしてならない。

Commented by maru33340 at 2016-04-23 11:30
「日本人がイデオロギー的に同質化していく素地をそなえていたことにヒトラーは羨望した」!
僕のゼミの卒論はまさに人間の持っているそうした側面をテーマにしたものでした。
しかしマル系の教授には「人間は主体性という尊いものを持つ生き物だ!」と一蹴され大変不評だったなあ…
Commented by sweetmitsuki at 2016-04-23 20:15
もう西洋オダマキの花が咲く季節になりましたか。
このきれいな花が大好きで、自宅にも欲しいのですけど、育てるのが難しそうで、上手くやれる自信がないので他所の庭に咲いているのを見るだけで我慢してます。
 
いにしへの しずのおだまき いやしきも よきもさかえは ありしものなり

Commented by jarippe at 2016-04-23 21:11
・・・・・引きずり回している影の連中
これが怖い存在に思えます
陰で何をたくらみ推し進めているのやら
恐ろしくなります
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-23 21:27
> maru33340さん、そうですか、早熟というか明敏なテーマでしたね。
マル経の人の方が人間を同質化してみる傾きがあるような気もするのですが、、。

Commented by saheizi-inokori at 2016-04-23 21:34
> sweetmitsukiさん、ときどき通る道の家の鉢植えの花です。
いぜん「オダマキですよね?」と訊いたら、「そうよ、あげましょうか」と言われました。
いただいても面倒が見られないので断りましたが、こうやって見たり写真に撮ったりして楽しんでいます。

昔をいまになすよし、はないですね。
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-23 21:43
> jarippeさん、破滅の道を歩く人たちですね。
いつの世にも必ず出てくる、確信犯です。
Commented by Vimalakirti at 2016-04-23 22:32
最近、小さな子どもたちが何を見ても、「あゝ、それ知ってるよ」と
反射的に答え、サクラを眺めては「サクラはバラ科だよね」なんて
言うのも一種の「過敏症と不感症が逆説的に結合する」現象では
ないでしょうか。大人のせいだとは思いますが、ぞっとします。
Commented by reikogogogo at 2016-04-24 07:01
国家的政治危機、過去は過去として、現在と向き合わずに忘却の彼方に追いやられるーーーそれは時あって突然噴出する。
そのとうりだと思います。
原爆の恐ろしさを味わって、原発の開発をしてエネルギーを得る、戦争をしなかった国がその危機へと進んでいく危機感。

「忘却」の言葉で思い出しました。
忘却とは忘れ去る事なり忘れ得ずして誓う心の悲しさよ
ドラマを夢中で見た時代を。
Commented by wawa38 at 2016-04-24 08:24
>丸山が半世紀前に分析した日本の痼疾が今また発症しつつあるような気がしてならない。

恐怖を感じます。地震と同じくらい不気味で怖いです。
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-24 09:27
> Vimalakirtiさん、宇宙の不思議や世界の不条理を裸の心で受け止めて欲しいです。
なんでも説明ができてじつは何も知らない大人=スマホの害悪かもしれないですね。
かく申す私も次から次へと新しい本を読んではそのたびに「へえ、そうなんだ」と疑うこともなく受け入れてしまうのですが。
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-24 09:35
> reikogogogoさん、小林秀雄が「歴史とは思い出だ」と書いたらしい、そのことばにも一片の真実があると丸山は書いています。
その人のパーソナリテイ、教養目録、世代などによって、万葉、西行、松陰、葉隠、パスカル、、いろんなものが思い出されてくる、と。
丸山真男は読み直されるべき人だと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-24 09:38
> wawa38さん、まったく!岸が生き返って、復讐または未遂のまま死んだ日本改造=滅亡を遂げようとしているようです。
Commented by j-garden-hirasato at 2016-04-24 09:48
明治時代の西洋化政策、
制度、生活を西洋化させることはできましたが、
精神的にはできなかったのではないかと思います。
Commented by ikuohasegawa at 2016-04-24 10:16
学生時代に読んだ覚えがありますが、読んだだけだったのでしょう。今、読むべき本でしょうね。
Commented by namiheiii at 2016-04-24 11:08
「國體」があの敗戦の後も護持されたことに戸惑いを覚えるのです。
Commented by cocomerita at 2016-04-24 17:56
Ciao saheizi さん
> 、ヨーロッパ文化千年にわたって「基軸」となってきたキリスト教の精神的代用品を兼ねる、、

まさにその通りですね
民衆って 恐れたり崇めたりするものがいつの世も必要って、ちょっと情けないですが、、
そして それにとって変わったのが、今やお金
日本に限らず
神も仏も自然さえも 恐れも崇めもせず
富を崇めそれに従い追い求める
馬鹿馬鹿しいと思うけど、皆さん酷く深刻で
まさにこれも宗教ですね 苦笑
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-24 20:44
> j-garden-hirasatoさん、今また英語教育だ、グローバルだと、ますます浮草のような日本人ばかりになりそうです。
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-24 20:45
> ikuohasegawaさん、私は今思えば何もわからずに読んだのです。
今読んでもわからないことがたくさん、冷汗です。
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-24 20:49
> namiheiiiさん、天皇はそれをポツダム宣言受諾の条件にしたのですから。
もっとも國體の意味は誰にも定かではない、ただ天皇は皇統と三種の神器の維持のことを考えていたと読んだように記憶します。
Commented by saheizi-inokori at 2016-04-24 20:59
> cocomeritaさん、伊藤博文たちは自由民権運動を見て、民衆が力を持つことを恐れたのですね。
その心が今の安倍とか日本会議に受け継がれて改憲を狙っているのだと思います。
個人よりも家族、権利よりも義務、明治憲法よりも後退するかもしれない。
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by saheizi-inokori | 2016-04-23 11:12 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(20)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


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