そうだ歌舞伎座に行こう 長谷部浩「天才と名人 中村勘三郎と坂東三津五郎」
2016年 04月 22日
朝干した洗濯物がもう乾きそう、さわやかな風だ。
子供たちの歓声はいいなあ。
被災地の子供たち、病気になっていないだろうなあ、彼らにもこんな空気を分けてあげたい。

現役のころは朝起きると、今日の予定を考えて憂鬱になったり少しは元気になったりした。
雨の日もそれほど気にならない、むしろ好きなくらいだったな。
隠居になって最初の頃は雨も好きだったけれど、このところその度合いが減ってきた。
晴れると、単純に嬉しい。
まして、今夜は年で一番小さな満月、マイクロムーンだとgakisさんに教えてもらった、晴れなきゃ見られない。

昨日に続いて長谷部浩の歌舞伎本。
プリンスと同じ、57歳で早世した天才・中村勘三郎。
その幼馴染で刎頸の友でもあり最高のライヴァルでもあった名人・三津五郎は、
いまでも目をつぶれば、横で踊っている君の息遣い。いたずらっぽい、あの目の表情。躍動する体が蘇ってきます。肉体の藝術ってつらいねーー。そのすべてが消えちゃうんだもの。本当に寂しいーーー、辛いよ。
と弔辞を読んだ。
三津五郎は、自分自身に言い聞かせるように、「(勘三郎が遺した子供たちとともに)これからの歌舞伎をしっかり守り、戦い続けることを誓います」とも言った。
しかし、そのわずか一年半後、凄まじい進境を見せ、新しい歌舞伎座の杮葺落、「十八世中村勘三郎に捧ぐ」という副題のついた「お祭り」で鳶頭鶴吉を勤め、「ようやく音に身をゆだねて踊れるようになった」といいながらも59歳で亡くなってしまう。

本書は二人の対照的な育ちと短いながらも驚くべき発展と成長を続けていく芸歴の要所要所をエピソードや芸談をまじえ簡潔に語る。
そこには、この二人を、歌舞伎界を救い後世に遺すに足る高みに押しあげる最高のコンビと、信じて寄りそってきた筆者の思いがある。
その思いが、あえて私信であるメールのやり取りの公開(勘三郎のコクーン歌舞伎や平成中村座に参加しなかった三津五郎の真情も語られる)までして二人の心情を伝えようとする。

勘九郎(十八代勘三郎)がありあまる「資産」(伯父初代吉右衛門の時代物、祖父六代目菊五郎の世話物や踊り、上方歌舞伎、そしてなによりも父十七代目勘三郎の庇護)を持って生まれたのに対して、八十助(十代目三津五郎)は、両親の助けを借りながら、自分自身の領域をひとつひとつ開拓しなければならなかった。
勘三郎と三津五郎は「恐い」大立者から直接教わったほとんど最後の世代にあたる。ふたりから後輩へ伝えられるべき技藝が途絶えてしまったのが、現在の歌舞伎界にとって深刻な問題だ。
教える側が誇りを持ち、教わる人間に尊敬がある。かといって、ひとたび伝えたならば、それを二度目以降は墨守せよとはいわない。自分の自由だという。それが伝承の正しい形だ。

二冊続けて、菊之助、勘三郎、三津五郎のことを読んでいたら、半世紀前に歌舞伎座で観た十七世勘三郎の舞台を思い出した。
世話物だった、磊落に笑っていたあの大きな姿。
あれを見て歌舞伎研究会に入ろうと思ったのだった。
三津五郎がいうように、本書でも繰り返し触れられているように、「肉体の藝術」なのだ。
現場で観て聴いて感じなければならない、ご馳走の話を聞いて腹がいっぱいになるか。
志ん生の高座をリアルに見た、それは単なる年寄りの自慢ではなくて、そこに行かなかったら取り返しのつかない何かを体験したということだ。
いくらテープで聴いても、あの志ん生のいる末廣亭の空間を味わうことにはならない。
映画ですらビデオではつまらない。
そんなことを考えていたら、ほめ・くさんが「三階A席なら六千円、一回飲み会をやめたらいける」とコメントをくださった。
気が変わらないうちにと昨夜の内に五月の「團菊祭」の切符を取った。
不幸中の幸い、「はじめ」はまだ休業中だ。

子供たちの歓声はいいなあ。
被災地の子供たち、病気になっていないだろうなあ、彼らにもこんな空気を分けてあげたい。

雨の日もそれほど気にならない、むしろ好きなくらいだったな。
隠居になって最初の頃は雨も好きだったけれど、このところその度合いが減ってきた。
晴れると、単純に嬉しい。
まして、今夜は年で一番小さな満月、マイクロムーンだとgakisさんに教えてもらった、晴れなきゃ見られない。

プリンスと同じ、57歳で早世した天才・中村勘三郎。
その幼馴染で刎頸の友でもあり最高のライヴァルでもあった名人・三津五郎は、
いまでも目をつぶれば、横で踊っている君の息遣い。いたずらっぽい、あの目の表情。躍動する体が蘇ってきます。肉体の藝術ってつらいねーー。そのすべてが消えちゃうんだもの。本当に寂しいーーー、辛いよ。
と弔辞を読んだ。
三津五郎は、自分自身に言い聞かせるように、「(勘三郎が遺した子供たちとともに)これからの歌舞伎をしっかり守り、戦い続けることを誓います」とも言った。
しかし、そのわずか一年半後、凄まじい進境を見せ、新しい歌舞伎座の杮葺落、「十八世中村勘三郎に捧ぐ」という副題のついた「お祭り」で鳶頭鶴吉を勤め、「ようやく音に身をゆだねて踊れるようになった」といいながらも59歳で亡くなってしまう。

そこには、この二人を、歌舞伎界を救い後世に遺すに足る高みに押しあげる最高のコンビと、信じて寄りそってきた筆者の思いがある。
その思いが、あえて私信であるメールのやり取りの公開(勘三郎のコクーン歌舞伎や平成中村座に参加しなかった三津五郎の真情も語られる)までして二人の心情を伝えようとする。

勘九郎(十八代勘三郎)がありあまる「資産」(伯父初代吉右衛門の時代物、祖父六代目菊五郎の世話物や踊り、上方歌舞伎、そしてなによりも父十七代目勘三郎の庇護)を持って生まれたのに対して、八十助(十代目三津五郎)は、両親の助けを借りながら、自分自身の領域をひとつひとつ開拓しなければならなかった。
勘三郎と三津五郎は「恐い」大立者から直接教わったほとんど最後の世代にあたる。ふたりから後輩へ伝えられるべき技藝が途絶えてしまったのが、現在の歌舞伎界にとって深刻な問題だ。
教える側が誇りを持ち、教わる人間に尊敬がある。かといって、ひとたび伝えたならば、それを二度目以降は墨守せよとはいわない。自分の自由だという。それが伝承の正しい形だ。

世話物だった、磊落に笑っていたあの大きな姿。
あれを見て歌舞伎研究会に入ろうと思ったのだった。
三津五郎がいうように、本書でも繰り返し触れられているように、「肉体の藝術」なのだ。
現場で観て聴いて感じなければならない、ご馳走の話を聞いて腹がいっぱいになるか。
志ん生の高座をリアルに見た、それは単なる年寄りの自慢ではなくて、そこに行かなかったら取り返しのつかない何かを体験したということだ。
いくらテープで聴いても、あの志ん生のいる末廣亭の空間を味わうことにはならない。
映画ですらビデオではつまらない。
そんなことを考えていたら、ほめ・くさんが「三階A席なら六千円、一回飲み会をやめたらいける」とコメントをくださった。
気が変わらないうちにと昨夜の内に五月の「團菊祭」の切符を取った。
不幸中の幸い、「はじめ」はまだ休業中だ。

今年は7月に平成中村座が我が街での公演があります
演目は四谷怪談です 先行予約チケットを逃してしまいました
演目は四谷怪談です 先行予約チケットを逃してしまいました
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しかし、はじめが再開されたら、それまでの倍は行かれることでしょう(^^)
雲助の浅草見番に最初に行った時、開演前に行ったあの中華屋さんに、公演真っ最中の平成中村座から出前の電話があり、「勘三郎さん、タンメンに餃子」などと電話を受けた女将さんが繰り返していたのを思い出します。
あの日、雲助じゃなくて、中村座だったかなぁ。
でも、私は歌舞伎に対して、たとえば、「志ん生の生の高座に出会えなかった」というような残念な思いはないです。
そもそも北海道の田舎育ち、生の落語に、行こうと思えばいつでも出会えることの幸せを噛みしめています。
そうそう、元気な日常の生活ができればそれで結構、と病院の食堂でつくづく感じながら、このコメントを書いています。
雲助の浅草見番に最初に行った時、開演前に行ったあの中華屋さんに、公演真っ最中の平成中村座から出前の電話があり、「勘三郎さん、タンメンに餃子」などと電話を受けた女将さんが繰り返していたのを思い出します。
あの日、雲助じゃなくて、中村座だったかなぁ。
でも、私は歌舞伎に対して、たとえば、「志ん生の生の高座に出会えなかった」というような残念な思いはないです。
そもそも北海道の田舎育ち、生の落語に、行こうと思えばいつでも出会えることの幸せを噛みしめています。
そうそう、元気な日常の生活ができればそれで結構、と病院の食堂でつくづく感じながら、このコメントを書いています。

幕見は二千円程度ですよ。お安ければいいってもんじゃありませんが・・・観たいのだけ観ればいいときなど♪
青空一杯に手を広げたはなみずきの花きれいですね。
57歳は危険な年齢でしょうか?
三津五郎さんまで逝ってしまいましたね。
私は父親だったせいか57ってある程度年寄りに見えたのですが、今考えると若いですよね。
新緑の並木をバックにおすましのさんちゃん めんこいね。
57歳は危険な年齢でしょうか?
三津五郎さんまで逝ってしまいましたね。
私は父親だったせいか57ってある程度年寄りに見えたのですが、今考えると若いですよね。
新緑の並木をバックにおすましのさんちゃん めんこいね。
> hanamomo08さん、人生50年ははるか昔のこと、57歳は働き盛りですものね。
身体のことなど考えもせずに働いて働いて、、一番危ない曲がり角なのでしょう。
サンチはまもなく9歳、昔からみると歩く距離は減りました。
でも散歩は大好きです。
今日は三人の人から「かわいいね」と言われたのですが、喜ぶのは私、本人は無関心でした。
身体のことなど考えもせずに働いて働いて、、一番危ない曲がり角なのでしょう。
サンチはまもなく9歳、昔からみると歩く距離は減りました。
でも散歩は大好きです。
今日は三人の人から「かわいいね」と言われたのですが、喜ぶのは私、本人は無関心でした。
by saheizi-inokori
| 2016-04-22 12:22
| 今週の1冊、又は2・3冊
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Comments(8)