震災と「自粛」について TPP特別委員会こそ自粛すべきだ
2016年 04月 18日
朝、さっそく衣ならぬ冬の布団を干した。
布団一枚、マクラ一つで、眠られないだなんて被災地の人が訊いたらどう思うだろう。

俺みたいな弱虫にはとうてい耐えられないだろうとも思う。
カミさんの友人の熊本在住のお姉さんは家も本人も無事だったけれど、何をする気力もなくなって、友人は一日中激励の電話をしている由。

ずいぶん経ってから繰返し伝えられる惨状をはるかに上回る、リアルに伝えられなかった恐ろしい状態が長く続いたのだろう、といまさら思う。

民進党の緒方委員が「この状態でTPPの審議でもあるまい。閣僚などはここにいないで陣頭指揮して被災地のためにやるべきことをやるべきだ」、国対でそう提案したら「総理のTPPを少しでも進めたいという意向」と自民党側から言われたと総理の見解を糺していた。
「委員会のことは国会で決めている」と体をかわしていた(その後、少しまともに回答していたようだが)。
野党の質問に対して各省の役人も答弁資料を作るのに大変な手間を食うのだし、緒方のいう通りだと思った。

「自粛」という嫌な言葉が浮かんだ、どうしても御大喪を想起する。
ああいう災害を見聞きして、俺が、落語や飲み会に行く気にならなかったというならともかく、いそいそと先輩に会いに出かけ、うまい酒を呑み、勝手に落語を聴いて楽しんだのだ。
その俺がブログにそのことを書くべきじゃないと思うのは、外聞などを気にしているのだ。

俺は練習して楽しみにしている社員たちもいるのだから(俺もその一人だった)、予定通りにやって、その代わり終わった後の各チームがやる慰労会の会費のいくらかを募金として集めたらどうか、と提案したが一蹴された。
本社や世の中の意向を気にして、だ。

俺は自粛して逼塞していても、被災地のためになるわけではない。
むしろ我々が、うつむいてしまうよりも、ふだん通り笑ったり怒ったりしている方が被災地の人のためにも意味がありそうな気がする。
自分のことを顧みても悲しみのどん底にあるときに周りの人たちが元気に笑ったり怒ったりしてくれたことが、立ち上がる気持ちの助けになったように思う。

他人の悲しみを想う心の源が枯れることのないように、せめて笑えるときには笑いをだいじに生きていこう。
他人の悲しみを想う心の源が枯れることのないように、せめて笑えるときには笑いをだいじに生きていこう。 ]
全くおっしゃるとおりです。
何処かで泣いてる人がいるのだから、笑っちゃいけない。
なんて言いだしたら、心はどんどん硬く小さくなってしまいますね。
そして、誰にもやさしくできくなってしまう。
こんな時のために、歌があり、詩があり、物語が、落語があるのですね。
ありがとうsaheiziさん!

本当におっしゃる通りです。
私は冷たいのかなあ、熊本のために自粛する方が難しいのですが。

国立大学から文科系を追放することにスクラム組んでいるのも彼らと大企業ではないかな。
根っこには愚民化政策により日本を翼賛体制にしようという日本会議のたくらみがあるのでしょう。
日本中が打ちひしがれていたように思います
いろいろ分かってきて今は津波の怖さと
原発如何を感じています やっぱり原発はやめてほしいです
むやみに自粛することはないですね
元気に消費活動をした方が…・・・って思います
地震が一刻も早く鎮まることを祈るしか他に何もできないです
そうすると今目撃している熊本よりはるかに厳しい状況だったのだと思います。
熊本の状況がこんなにひどいのに!東北の被害者はいかばかりだったか、今も、と今さらながら痛感します。
とうてい原発だ、TPPだと言ってる状況ではないですね。
だからといって私たちは笑いを忘れてはならないとも思うのです。
文科系をないがしろにする動きに驚怖を覚えています。
安倍だって文科系のはず、あまり勉強しなかった?
それは私と同じだけど、私は今猛烈に反省してます。
大きな災害があると、いつもモヤモヤしていました。
そうです。こう言いたかったのです。
「自分のことを顧みても悲しみのどん底にあるときに周りの人たちが元気に笑ったり怒ったりしてくれたことが、立ち上がる気持ちの助けになったように思う。」