今こうしていることが悔いでいっぱいになる、でも前に向かって生きていく 芝木好子「隅田川暮色」
2016年 04月 16日
俺は間違えて「東京暮色」と紹介していた。

新明解の語釈のさいしょに出てくる、建物などについて、全体の構成をどうするか、どこをどのように強調するかなどの、全体の組立て(についての計画)。
その「結構」がまことにけっこうなのだ。
大正末年に生まれた女・冴子が、戦災で瓦礫の街になった浅草、隅田川・吾妻橋で男と十五、六年ぶりに男・俊男と会う場面から始まる。
女は駒形、隅田川に面した丹後の白縮緬をおもに商う呉服問屋で育ち、男はその店の下職の紺屋の一人息子、ふたりは同い年で幼友達。
女は本郷切通し下の六代続く組紐や・香月の長男(大学の西洋美術史講師から助教授になったばかり)・悠と駆け落ちのようにして一緒になり、十五年も一緒に日当たりの悪い家に住みながら籍を入れてもらえない。
家風が違うのか、出産を機に実家に帰ってそのまま別居している前妻が離縁を拒否している。
冴子は内職のようにして始めた(前妻に養育費を送っている)、組紐に惹かれて、香月に出入りするが、長男の妻として遇されることはない。
老舗に同居する八十代の祖母・加津、冴子に面と向かって「あなたのせいで悠はいまだに長屋住まいです」という。
加津に「香月の血が流れていない」ゆえに公然と半人前に扱われる悠の母・園子も今は老人のわがままやきつい言葉を見事にあしらう。

旧家の顧客から国宝の平家納経とその紐を見せられ、八百年前の組紐の復元を冴子や店の番頭、職人を動員する。
俊男も植物染めで色を出すべく参加する。
娘に裏切られ戦災で非業の死をとげた冴子の父・千明、彼をいまだに慕う俊男の父・元吉。
冴子は組紐だけでは満たされない心の寂寥を俊男親子に会うことで満たされるような気がする。
訊くのを怖がっていた父のこと、とくに最後を知りたい。
隅田川を挟んで和服にかかわることでつながっていた自分の生まれ育った世界には思っていた以上の磁力がある。

結構なのだ。
一本一本の紐の色が鮮やかなように登場人物の一人一人が鮮やかに描かれる。
彼らがねじれ合って作る世界は組紐のように美しくはない。
それぞれがぎりぎりとねじり合わされるのは苦しみかもしれない。
だが、その苦しみのなかで冴子は自分の色を貫くことを強いられる。
亡父が「お前も業が強いなあ」と語りかける。
女は悔いることから負けがくるのを知っていて、時には感傷で悔いる。悔いたところではじまらないのだ。
その家の二階から川が見えて、川の匂いがしてくるの。坐っていると私の育った駒形の家が見えてきて、死んだ親たちが還ってきて、今こうしていることが悔いでいっぱいになる。若い人には分らないでしょうね。生きている時間、時間が、狂いそうに悔いで一杯になることがあるの。誰が悪いのでもなく、自分が悪いから。そしてほんの少し経つと悔いを忘れてしまう。いい加減な人間なのね。山谷堀へゆくと昔馴染の人がいて、悔いがかえってくるから嬉しいわ。私にはあの人たちが大事で、今日もゆっくり昔の話が出来ると思うと、たのしみなの。
三十五、六の女がこんなことを考えるとは!
俺は彼女の倍も生きて同じことを考える。
でも俺にはもう「あの人たち」がいない。
組紐、藍染、引染、日本の伝統に魅せられた職人の世界、乙川優三郎の「脊梁山脈」はこの作品にインスパイアされたのじゃなかろうか。
新潮社
すっかり目が衰えたこともあるけれど、それを矯正するつもりもないものだから、いよいよ世界は霞んでいくばかりです。
それでもこうしてsaheizi さんの書評や、かいつまんで紹介くださる内容は面白く、どうせ言葉を解さない私などが読んでみるよりは、多くのことを心に残してくれるようです。
本は優れた読み人に読みを解いていただくのがいいな‥そんな事をいつも思うしだいです。

「丸の内八号館」に描かれた涙の場面は、その表現に真実さがあって好きです。
戦前、まだ二十代で「青果の市」を書いていることも、才能を感じさせますね。
肯定的にも否定的にも使われる言葉ですけど、そういう意味なら合点がいきます。
それと↓の白い菜の花と紫の菜の花ですが、色が違うだけで同じものだと思っていましたら別物で、そもそも黄色い菜の花とも別種だそうです。
紫の花は根が細いのですが、白い花の根は太くダイコンのような味がします。
ハマダイコンとも呼ばれ、結構美味しいです。
芝木好子は初めて読むかもですし、隅田川は私の育った地域ですので楽しみです。
目でなくて心で撮っているのですか。
私の読後感なんてメモ代わりにすぎませんのに、そんなことを言われたら恥ずかしいです。
東京物語にひきづられたのかもしれないな。
浅草、大川の橋、山谷堀、本郷、根津、上野不忍池、精養軒、上野の森美術館、、地図が頭に入っているとなおさら面白いですね。
ハマダイコンは塩分を含む土壌を好むのか、あるいはほかの植物が好まない塩分の強い土壌で生きていける耐性を持っているのでしょう。
多摩川土手以外では見かけないそうです。
この白い花はハマダイコンなのですね。
あちこち画像を見てみましたが、こんな風に白に濃い緑色?の斑が入っているのは珍しいんじゃないでしょうか?
すごく美しい十字花植物を見て、ずいぶん前に読んだ『謎の十字架 メトロポリタン美術館はいかにして世紀の秘宝を得たか』(トマスホーヴィング著 文芸春秋)を思い出しました。
とても面白い本だった覚えがありますので、古い本ですがご紹介まで(^^ゞ
これは浜大根ではないと思います。
近所の家の垣根から顔をだしていた花です。
アップで撮りましたが、直径5センチほどの菜花に似た茎の先に咲いていました。
「謎の十字架」、未読です。チャンスあらば^^。
あらら、ハマダイコンにしてはなんだかヘンだなぁと思ったのです。
で、あちこち当たってみましたら ↑ の写真の花はルッコラのようですね。
flower.town-web.net/herb/041101.html
ゴマのいい香りがするので大好きですが
花を見たことはありませんでした。
見れば見るほど美しい花です!
夕方、もういちど見に行きましたが、少し枯れて小さくなっていました。
ハーブ園でルッコラの葉っぱを摘んだような気がします。
やっぱり花はなかったです。
風に揺れていたので手で押さえて撮りました。
スマホのシャッターを片手で押すのが下手でいつも失敗するのですが、これはたまたまうまくいきました。
ちぎって食べたのですか!
検証?なさったとはびっくりですがなんだか愉快です。
ありがとうございます。
で、ゴマの風味とは、やっぱりルッコラだったんでしょうか。
それにしても、誰かに目撃されてたりしてアヤシイと評判が立ったりしたらどうしましょう(^^;
『隅田川暮色』半分ほど読み進みました。
淡々とした中に浮き上がる人物描写がすばらしいです。
小磯元吉の描写に「両手を膝において」挨拶する場面が出てきますが、たったそれだけで彼の人となりやたたずまいが具体的に目の前に現れたような気がします。
>「脊梁山脈」はこの作品にインスパイアされたのじゃなかろうか。
同感というか、絶対インスパイアされていると思います。
芝木好子はもっと評価されてよい作家だったかもしれませんね。
サンチが足を上げるたびに私も足をあげて四股を踏む散歩をしてます。
どうせ怪しいのです。
「隅田川暮色」、簡潔な描写なのに深いところを突きますよね。
なるほど日本語に磨きをかけるってこういうことかと思います。