珍しいネタ四題 大満足の喜多八&白酒 二人会@牛込箪笥町
2016年 04月 13日
もう少し早く出て久しぶりの神楽坂を散歩するつもりだったのに、
なにを着ていくか迷って、セーターじゃ寒いし、いくら何でもダウンは大げさだし、ジャンパーの下にレザーのベストで武装することにして、、だから神楽坂では銭湯に直行。

(桜新町の八重桜が日に日に満開に近づく)
銭湯は「第三玉の湯」、ずいぶん前に来たことがある。
熱めのジエット風呂は気持ちがいい。

道楽亭出張寄席”冗談言っちゃあいけねえPart5”柳家喜多八 桃月庵白酒 二人会。
牛込箪笥町区民センターに来るのも久しぶりだ。
前座はまぐり・「真田小僧」
はじめぎごちなかったが、会場の温かい笑い声に励まされて調子を上げた。
客が芸人を育てる。

(「新宿区名誉区民」ほかにも草間彌生、やなせたかし、山勢松韻 、鶴賀若狭掾、田中傳左衞門、、など伝統芸能や芸術畑の人が多いようだ。)
白酒「花色木綿」
いったん緞帳をさげて板付で出る。
「喜多八兄貴ばかりだとえらそうだから私もやってみた」
隣りのスーパーに買い物に来るというご近所住まいの気楽さが漂う。
噺家が行き詰ったら議員くらいしかなれない、とひとしきり議員のお気楽さ・いい加減さをあげつらう。
その議員にもなれなかったら、泥棒にでもなるしかない、といってネタに。
空き巣が入ったもののフンドシ一本が干してあるのみ。
帰ってきた男が「粋な泥棒だ、アルジの着物がないものだから倅の着物を持っていきやがった」
隣りの席の、一見お上品な奥様が、野太い声で「ははは!」と笑ったね。
これを奇貨にもっていくつもりだった家賃を取られたと大家に虚偽申告(パナマ文書の連中と比べてもみよ!)。
「他に取られたものは?夜具布団などは?ふむふむ、裏地は?ん?俺の家は花色木綿だよ、丈夫で温かで風邪ひかない、なに?お前も?え、羽二重の羽織もだと?!裏が花色木綿?!」
被害を訊かれて、いいかげん・素っ頓狂な・クスグリ連発の会話。
メガネも取られた、近視か乱視か?ダンシだ、なんて。
げらげらと笑って聞いていれば世は春だ。
花色、というのは桜色、ではなくて、縹色、薄い藍色なのだ。
花はツユクサの花。

喜多八「棒鱈」
こっちはガチ板付。
痩せたが、この前見た時より顔色がよく元気がある。
酒を呑む気がおこらなくなった代わりに甘いものを食いたくてたまらない。
いぜんは絶対に食わなかった水羊羹を食いたくてたまらない。
といいながら、酔っぱらいの噺。
マグロの刺身を「赤ベロベロの醤油漬け」、芸者に「声を聞かせて」と言われてマジに「ああ」と声を出す薩摩田舎侍の様子を隣室で聞いて「酒がまずくなる」といらつく江戸っ子。
いいテンポでくどくならずに笑わせ続ける。
受けつづけ、いい会場だ。

中入り後、喜多八「啞の釣り」
久しぶりに「棒鱈」をやったら、芸をなめちや、いけませんね、上下を一回間違えた、、気がつきましたか?
俺は気がつかなかった。
殺生禁断の不忍池で鯉を釣る二人。
少し頭のトロイ弟分と兄貴分の泥棒コンビ(たとえば「鈴ヶ森」)をやらせたら喜多八は天下一品。
他の噺家のよくやる、間延びのしたトロクサイしゃべりの与太郎造型とちがって、はきはきと語りながら間が抜けている、その間がなんとも言えない。
知性を感じる間抜け、いいんだなあ。
小満んの「クスリ」と笑わせる知性、喜多八の呵々大笑の知性。
唖になった七兵衛の身振りの可笑しさも健在。
二人並んで釣りたいという間抜けに「親孝行が軒並べていたらおかしいだろ」という。
役人につかまったら、重篤な病床にある親のために禁制とは知りつつ釣っていたという筋書きなのだ。
百閒がヒマラヤ山系とどこかの駅前のベンチに並んでひたすら時をすごすときに「精神病院の患者のようだ」と書いていたのを思い出す。
今じゃ自粛用語を使っていたはず。
そういえば「啞」もそうらしい。
「棒鱈」で調子が出たのか、言葉やしぐさに一段と力を感じた。

白酒「今戸の狐」
「キツネ」、「今戸焼の狐」と「サイコロを三つ使う博打」の二つの意味がある。
「骨(こつ)の賽」、動物の骨でできたサイコロ・プロが使う。
「コツ」、小塚原(こつかっぱら)があることから千住のことをいった。
「コツの妻(さい)」、千住の女郎上りの妻。
江戸時代、落語家の始祖ともいわれる可楽が弟子に厳しく、手内職などをやると破門された。
一方、「今戸焼の狐」の彩色をする内職があった。
とまあ、こんなことをマクラでうまく説明しておいて、キツネの意味を取り違えたヤクザと落語家の頓珍漢なやり取りで笑わせる。
単純な噺だが、その状況が分からないと面白みがない。
白酒は巧みだったから、沸きに沸いた。
母がベークライトの食器に花などの絵柄を描く内職をしていたことを思い出すと、ツーンとシンナーの匂いがしたような気がした。

古典正統派の爆笑落語家二人会。
ふだん、あまり聴くことができないネタをそろえて、上々の出来で大満足だった。

居合わせたYさん、Mさんと居残り会、「藤九郎」なる粋な店で落語談義が弾んだ。
白酒が爆発的な人気を得始めた頃の、これでもかこれでもか、とねじ伏せるようにして笑わせた、あのやり方から見ると一之輔というメガ級の爆笑落語家の登場ということもあってか、今日は大人しい爆笑の連続のような気がした。
一之輔の登場はそういう意味でも事件かもしれない。
こういう事件に対して、どうやって自分の芸を磨き、居場所を確保していくのかが先輩落語家の課題、そういうことに見向きもせずに自分のやり方を貫いてきたのが喜多八とか小満んなのか。

それにしても、お互いに自分の意見を言いながら時間を忘れて共通の話題に夢中になれる(いい年をして)のはまことに嬉しいことだ、と再確認して帰途についた。

なにを着ていくか迷って、セーターじゃ寒いし、いくら何でもダウンは大げさだし、ジャンパーの下にレザーのベストで武装することにして、、だから神楽坂では銭湯に直行。

銭湯は「第三玉の湯」、ずいぶん前に来たことがある。
熱めのジエット風呂は気持ちがいい。

牛込箪笥町区民センターに来るのも久しぶりだ。
前座はまぐり・「真田小僧」
はじめぎごちなかったが、会場の温かい笑い声に励まされて調子を上げた。
客が芸人を育てる。

白酒「花色木綿」
いったん緞帳をさげて板付で出る。
「喜多八兄貴ばかりだとえらそうだから私もやってみた」
隣りのスーパーに買い物に来るというご近所住まいの気楽さが漂う。
噺家が行き詰ったら議員くらいしかなれない、とひとしきり議員のお気楽さ・いい加減さをあげつらう。
その議員にもなれなかったら、泥棒にでもなるしかない、といってネタに。
空き巣が入ったもののフンドシ一本が干してあるのみ。
帰ってきた男が「粋な泥棒だ、アルジの着物がないものだから倅の着物を持っていきやがった」
隣りの席の、一見お上品な奥様が、野太い声で「ははは!」と笑ったね。
これを奇貨にもっていくつもりだった家賃を取られたと大家に虚偽申告(パナマ文書の連中と比べてもみよ!)。
「他に取られたものは?夜具布団などは?ふむふむ、裏地は?ん?俺の家は花色木綿だよ、丈夫で温かで風邪ひかない、なに?お前も?え、羽二重の羽織もだと?!裏が花色木綿?!」
被害を訊かれて、いいかげん・素っ頓狂な・クスグリ連発の会話。
メガネも取られた、近視か乱視か?ダンシだ、なんて。
げらげらと笑って聞いていれば世は春だ。
花色、というのは桜色、ではなくて、縹色、薄い藍色なのだ。
花はツユクサの花。

こっちはガチ板付。
痩せたが、この前見た時より顔色がよく元気がある。
酒を呑む気がおこらなくなった代わりに甘いものを食いたくてたまらない。
いぜんは絶対に食わなかった水羊羹を食いたくてたまらない。
といいながら、酔っぱらいの噺。
マグロの刺身を「赤ベロベロの醤油漬け」、芸者に「声を聞かせて」と言われてマジに「ああ」と声を出す薩摩田舎侍の様子を隣室で聞いて「酒がまずくなる」といらつく江戸っ子。
いいテンポでくどくならずに笑わせ続ける。
受けつづけ、いい会場だ。

久しぶりに「棒鱈」をやったら、芸をなめちや、いけませんね、上下を一回間違えた、、気がつきましたか?
俺は気がつかなかった。
殺生禁断の不忍池で鯉を釣る二人。
少し頭のトロイ弟分と兄貴分の泥棒コンビ(たとえば「鈴ヶ森」)をやらせたら喜多八は天下一品。
他の噺家のよくやる、間延びのしたトロクサイしゃべりの与太郎造型とちがって、はきはきと語りながら間が抜けている、その間がなんとも言えない。
知性を感じる間抜け、いいんだなあ。
小満んの「クスリ」と笑わせる知性、喜多八の呵々大笑の知性。
唖になった七兵衛の身振りの可笑しさも健在。
二人並んで釣りたいという間抜けに「親孝行が軒並べていたらおかしいだろ」という。
役人につかまったら、重篤な病床にある親のために禁制とは知りつつ釣っていたという筋書きなのだ。
百閒がヒマラヤ山系とどこかの駅前のベンチに並んでひたすら時をすごすときに「精神病院の患者のようだ」と書いていたのを思い出す。
今じゃ自粛用語を使っていたはず。
そういえば「啞」もそうらしい。
「棒鱈」で調子が出たのか、言葉やしぐさに一段と力を感じた。

「キツネ」、「今戸焼の狐」と「サイコロを三つ使う博打」の二つの意味がある。
「骨(こつ)の賽」、動物の骨でできたサイコロ・プロが使う。
「コツ」、小塚原(こつかっぱら)があることから千住のことをいった。
「コツの妻(さい)」、千住の女郎上りの妻。
江戸時代、落語家の始祖ともいわれる可楽が弟子に厳しく、手内職などをやると破門された。
一方、「今戸焼の狐」の彩色をする内職があった。
とまあ、こんなことをマクラでうまく説明しておいて、キツネの意味を取り違えたヤクザと落語家の頓珍漢なやり取りで笑わせる。
単純な噺だが、その状況が分からないと面白みがない。
白酒は巧みだったから、沸きに沸いた。
母がベークライトの食器に花などの絵柄を描く内職をしていたことを思い出すと、ツーンとシンナーの匂いがしたような気がした。

ふだん、あまり聴くことができないネタをそろえて、上々の出来で大満足だった。

白酒が爆発的な人気を得始めた頃の、これでもかこれでもか、とねじ伏せるようにして笑わせた、あのやり方から見ると一之輔というメガ級の爆笑落語家の登場ということもあってか、今日は大人しい爆笑の連続のような気がした。
一之輔の登場はそういう意味でも事件かもしれない。
こういう事件に対して、どうやって自分の芸を磨き、居場所を確保していくのかが先輩落語家の課題、そういうことに見向きもせずに自分のやり方を貫いてきたのが喜多八とか小満んなのか。


喜多八、元気で何より。
白酒、優しい。
気持ちよくなりました。
白酒、優しい。
気持ちよくなりました。
0
「狐」は、賽子3個の「ちょぼいち」の事なんですね。
「ちんちろりん」より、ルールが簡単で、テンポが良くて、
江戸っ子にぴったり! 楽しそう。
なんて、最近、賽子が気になる私です…(笑)
今戸焼の狐、もスッキリ細身で粋ですね。
信楽の狸とは、エライ違いだ…
お蕎麦も、極細、ですか、粋だなあ~
「ちんちろりん」より、ルールが簡単で、テンポが良くて、
江戸っ子にぴったり! 楽しそう。
なんて、最近、賽子が気になる私です…(笑)
今戸焼の狐、もスッキリ細身で粋ですね。
信楽の狸とは、エライ違いだ…
お蕎麦も、極細、ですか、粋だなあ~
銭湯に始まり、落語を堪能したお後は、山海の珍味で四方山話、
これぞ極楽という一日を過ごされましたね。これもまた健康の賜物!
これぞ極楽という一日を過ごされましたね。これもまた健康の賜物!
> unburroさん、私が昔(職場でも)よくやった「チンチロリン」は賽三つでしたよ。
チョボイチは一つだと思っていました。
「看板のピン」という噺はチョボイチですね。
横浜の居酒屋で丼を借りてチンチロリンをやった時は、音がしないようにと毛布を敷いてやりました。
狸賽なんて噺もあるけれど、粋とはいえないかな。
チョボイチは一つだと思っていました。
「看板のピン」という噺はチョボイチですね。
横浜の居酒屋で丼を借りてチンチロリンをやった時は、音がしないようにと毛布を敷いてやりました。
狸賽なんて噺もあるけれど、粋とはいえないかな。

そのお店、朝晩の散歩コースです。佐平次さんのお食事の頃、近くで豆太と月見上げてました!

ええ時間を過ごしたはりますなぁ〜、

嗚呼、そばがうまそう・・・
これ、喰いもんじゃなくて落語を語れや!(←自分につっこみ)
「棒鱈」近年、気になる演目です。
山野の落語会で菊之丞が演じたのがよかった。
「何かぁ!何かぁ!」薩摩侍の無骨さ。
喜多八のスはもちろん江戸っ子でしょうが、
達者(身体もそうであってほしい)な人だから薩摩侍もうまく演ったでしょうね。
これ、喰いもんじゃなくて落語を語れや!(←自分につっこみ)
「棒鱈」近年、気になる演目です。
山野の落語会で菊之丞が演じたのがよかった。
「何かぁ!何かぁ!」薩摩侍の無骨さ。
喜多八のスはもちろん江戸っ子でしょうが、
達者(身体もそうであってほしい)な人だから薩摩侍もうまく演ったでしょうね。
白酒と一之輔、カブっているように見えますが、白酒は筋そのものは壊さない節度があります。そこいくと一之輔は傍若無人。
喜多八は自分の世界を持ってるのが強みです。早く寄席に復帰できるといいですね。
喜多八は自分の世界を持ってるのが強みです。早く寄席に復帰できるといいですね。
> 蛸さん、東京住まいならではの楽しみかもしれない。
> 福さん、蕎麦と牛肉の薄焼きがうまかったです。
赤べろべろはなかったけれどカツオの叩きのねぎのっけ。
タケノコも。
さん喬がよくやりますね。
あれも爆笑ですが、喜多八の侍は何となく品があるのですね、殿下の侍は芋でも品がある。
彼の噺は登場人物にリスペクトがあるような気がします。
赤べろべろはなかったけれどカツオの叩きのねぎのっけ。
タケノコも。
さん喬がよくやりますね。
あれも爆笑ですが、喜多八の侍は何となく品があるのですね、殿下の侍は芋でも品がある。
彼の噺は登場人物にリスペクトがあるような気がします。
第三玉の湯、僕も以前訪れて、ほっこりとした気分になりました。経営者のおかみさんが、とても優しい語り口の江戸っ子で良かったです。中高生時代、白銀町のあの界隈に友人の家があり、良く遊びに行ったことも思い出しました。
by saheizi-inokori
| 2016-04-13 14:08
| 落語・寄席
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