花冷え、冴返る、やっぱり花見はいいね
2016年 04月 02日
「冴返る」というと、きりっと生に立ち向かうような印象がある。
曇天でも満開の桜はいいね。
雨が降ったら砧公園にでも行ってみようかと思ったが気がつけば土曜日、やはり近所で静かに過ごそう。
撮影ポイントにも一人か二人、むしろ点景。
大きな桜が窓の外にあって孫たちとお花見BQなんかやったらいいなあ。
でも我が家より広い、ってことは掃除がいまよりたいへん。
ワンフロアの我が家と違って三階(建築協定があるのに、きっと天井を低くした屋根裏部屋なのかな)なのもたいへんだろうな。
こうして通りすがりに見ていくのが一番だ。
貧乏長屋の連中が、茶柱のたった「お茶け」をのんでぶるっと震えたり、バリバリ音のする卵焼きや蒲鉾を食って、、言い出しっぺの大家さんの顔を立てながら自分たちもけっこう楽しんでいる。
粋な連中だ。
今はとうていそんなことはできっこない混雑だろう。
規制もされているだろうし、ヘイトスピーチみたいなあほたちがちょっかいをかけるかもしれない。
いろんな意味で夢のなかの光景のような花見だった。
ちょっとうれしい。
やさしさは無言のうちに夕桜
母さんと呼ばれし月日桜咲く
この並木の木がまいとし一本二本と切り倒されていくのです。
なんとか、とは思うけれど。
一方で10年以上も前に引っ越して来たころに植えられた若木がずいぶん大人びてきました。
これから、桜を見るたびに、思い出す一句になります。
人はさくらを見るたびにこれまでの道のりを振り返り、これからの道に希望を託すのですね。
saheiziさんは秋田のご友人のこともきっと思っただろうなあ~とまだ硬い蕾のさくらを見て思いました。