人間よ、もっと謙虚に! ステファノ・マンクーゾ&アレッサンドラ・ヴィオラ「植物は<知性>をもっている」
2016年 02月 17日
一日、外出せず本を読んで暮らしてさっさと寝たら、今朝は鼻水もでないようだ。
軽くストレッチが気持ち良い。
昨日読んだ本、副題は「20の感覚で思考する生命システム」。

どこかの惑星を観察して、そこに棲むある生物の99パーセントが一つの種だったら、我々はその種がその惑星を支配していると考える。
地球上のバイオマス(生物の総重量)のうち、多細胞生物の99.7パーセントは、人間でなく植物が占めている。
植物は人間がいなくても生きていけるが、人間は植物なしには生きられない。
植物は、私たちが考えているよりもはるかに洗練され、はるかに優れた適応能力と、はるかに優れた知性をもった生物なのだ。
知性という言葉には、たとえば「人間のみが持っている認知能力や抽象的な思考にかかわる」というような定義もないわけではないが、ほんとうに人間だけに備わっている知性とはなんだろう。
霊長類、イヌ、ネズミ、鳥、アメーバ、細菌、人工知能、、そのどこに知性が誕生する境界線が引けるのか。
著者は、「知性とは問題を解決する能力である」と定義する。
そうして植物がどのようにして問題を解決して原始地球からこのかたの支配者たりえたかを考察する。
動物と違って生まれたところから移動しない植物(例外はあるが)は、その状態で栄養を摂取し、繁殖し、世界に広がっていけるように進化してきた。
外敵に襲われて、体の一部を奪われても生きのびられるように、モジュール構造の体をつくりあげた。
動物のように、脳、心臓、肺などの個々の器官があったら、そこを攻撃されたら死んでしまうが、植物の体は、たいてい必要以上の量の同じモジュール(部品)が集まってできていて、各モジュールは相互に作用しあい、ある条件下ではモジュールだけでも独立して生存できる。
植物は、固体というよりコロニーに似たものになっている。

植物には知性があることは、プラトン、デモクリトス、リンネ、ダーウイン、フェヘヒナー、ボースなどが言ってきたが、最近は直感だけでなく科学的データにより、植物は予測し、選択し、学習し、記憶する能力があることを実証できるようになった。
植物は人間のもつ五感も、むしろ人間より鋭いが、重力、磁場、湿度、化学物質を感知し識別し測定することもできる。
植物相互、動物とコミュニケーションもできる。
親族を見分けることもできる。
筆者があげる事例は事実として知っていたものに新しい解釈・観方を教えてくれるものもあるが、初めて知って驚くようなものが多い。

植物の知性を研究すれば、人間にとって、自分たちと異なる方法で思考する生命システムを理解するのが、どれほど難しいことかがわかる。
人間は人間の知性と似た知性しか理解できないようなのだ。
と、筆者はいうが、俺は人間同士でも自分に似た(同レベルの)知性しか理解できないのではないかと思う。
もしかすると、エイリアンはすぐ近くにいるのに、人間がきがつかないだけのことかもしれない。
植物のコミュニケーションや社会化のシステムを研究することで、植物型ロボットとか植物をベースにしたネットワーク(グリーンターネット=根と葉からデータを入手して有毒な雲の到来、空気と土壌についての情報、雪崩や地震のニュースなどを知る)、植物の計算能力と計算システムをベースにした非在来系コンピューター、難病の治療、新しいエネルギー、革新的な素材、、など応用の可能性が広がる。

それなのに、人間は植物に対して冷たい。
人間に知られている植物種は全植物種の5~10パーセントにすぎないと言われる(そのわずかな種類から医薬品の全成分の95パーセントが抽出されている)。
こうしている間にも、毎年、未知の無数の植物種が姿を消している。
2008年、スイス連邦議会には「植物に関する生命の尊厳ー植物自身の利益のための植物の倫理的考察」と題された報告書が提出された。
「植物を好き勝手に扱ってはならないし、植物を無差別に殺すことは倫理的に正当化できない」報告書を提出した生命倫理委員会の、倫理学者、分子生物学者、ナチュラリスト、生物学者たちは満場一致だったそうだ。

人間は謙虚にならなきゃいけないな。
難民、貧困、原発、領土、差別、、反知性主義がのっとった政権、どこをとっても野の花にも遠く及ばない。
久保耕司 訳
NHK出版
軽くストレッチが気持ち良い。
昨日読んだ本、副題は「20の感覚で思考する生命システム」。

地球上のバイオマス(生物の総重量)のうち、多細胞生物の99.7パーセントは、人間でなく植物が占めている。
植物は人間がいなくても生きていけるが、人間は植物なしには生きられない。
植物は、私たちが考えているよりもはるかに洗練され、はるかに優れた適応能力と、はるかに優れた知性をもった生物なのだ。
知性という言葉には、たとえば「人間のみが持っている認知能力や抽象的な思考にかかわる」というような定義もないわけではないが、ほんとうに人間だけに備わっている知性とはなんだろう。
霊長類、イヌ、ネズミ、鳥、アメーバ、細菌、人工知能、、そのどこに知性が誕生する境界線が引けるのか。
著者は、「知性とは問題を解決する能力である」と定義する。
そうして植物がどのようにして問題を解決して原始地球からこのかたの支配者たりえたかを考察する。
動物と違って生まれたところから移動しない植物(例外はあるが)は、その状態で栄養を摂取し、繁殖し、世界に広がっていけるように進化してきた。
外敵に襲われて、体の一部を奪われても生きのびられるように、モジュール構造の体をつくりあげた。
動物のように、脳、心臓、肺などの個々の器官があったら、そこを攻撃されたら死んでしまうが、植物の体は、たいてい必要以上の量の同じモジュール(部品)が集まってできていて、各モジュールは相互に作用しあい、ある条件下ではモジュールだけでも独立して生存できる。
植物は、固体というよりコロニーに似たものになっている。

植物は人間のもつ五感も、むしろ人間より鋭いが、重力、磁場、湿度、化学物質を感知し識別し測定することもできる。
植物相互、動物とコミュニケーションもできる。
親族を見分けることもできる。
筆者があげる事例は事実として知っていたものに新しい解釈・観方を教えてくれるものもあるが、初めて知って驚くようなものが多い。

人間は人間の知性と似た知性しか理解できないようなのだ。
と、筆者はいうが、俺は人間同士でも自分に似た(同レベルの)知性しか理解できないのではないかと思う。
もしかすると、エイリアンはすぐ近くにいるのに、人間がきがつかないだけのことかもしれない。
植物のコミュニケーションや社会化のシステムを研究することで、植物型ロボットとか植物をベースにしたネットワーク(グリーンターネット=根と葉からデータを入手して有毒な雲の到来、空気と土壌についての情報、雪崩や地震のニュースなどを知る)、植物の計算能力と計算システムをベースにした非在来系コンピューター、難病の治療、新しいエネルギー、革新的な素材、、など応用の可能性が広がる。

人間に知られている植物種は全植物種の5~10パーセントにすぎないと言われる(そのわずかな種類から医薬品の全成分の95パーセントが抽出されている)。
こうしている間にも、毎年、未知の無数の植物種が姿を消している。
2008年、スイス連邦議会には「植物に関する生命の尊厳ー植物自身の利益のための植物の倫理的考察」と題された報告書が提出された。
「植物を好き勝手に扱ってはならないし、植物を無差別に殺すことは倫理的に正当化できない」報告書を提出した生命倫理委員会の、倫理学者、分子生物学者、ナチュラリスト、生物学者たちは満場一致だったそうだ。

難民、貧困、原発、領土、差別、、反知性主義がのっとった政権、どこをとっても野の花にも遠く及ばない。
久保耕司 訳
NHK出版

画像の白花は先週末の陽気に誘われて咲いてしまった雪柳(ユキヤナギ)でしょうか。ヤマザクラが如く、鼻(花)より先に歯(葉)が出たらりっぱな出っ歯になってしまいます由。
そういえば、ご同居のおイヌさまには年齢の進化に伴ってユキヤナギの色に染まってゆくのかしら・・・?
そういえば、ご同居のおイヌさまには年齢の進化に伴ってユキヤナギの色に染まってゆくのかしら・・・?
0
知性とは問題を解決する能力・・・・
ガツンときました
植物の柔軟性 順応性 一生懸命さ 健気さ
そして力強さに教えられています
もうすぐそんな植物たちにおいかれられる日々が来ます
本当にメチャクチャナここ数日の政権ですね
ガツンときました
植物の柔軟性 順応性 一生懸命さ 健気さ
そして力強さに教えられています
もうすぐそんな植物たちにおいかれられる日々が来ます
本当にメチャクチャナここ数日の政権ですね
「植物」を「微生物」と言い換えることも出来そうですね。
> j-garden-hirasatoさん、まさに反知性主義が我が物顔ですね。
> namiheiiiさん、そうですか、微生物も!勉強しなきゃ。
東京はもう雪柳が咲いている!
こちらでは4月中旬かな~。
風邪ですか?
インフルエンザもはやりだしていますね。
お大事になさってくださいね。
京都ぎらい・・・売れているようですね。
京都好きの私、見たいような、怖いような。
こちらでは4月中旬かな~。
風邪ですか?
インフルエンザもはやりだしていますね。
お大事になさってくださいね。
京都ぎらい・・・売れているようですね。
京都好きの私、見たいような、怖いような。
> hanamomo08さん、やっぱり雪柳ですか、散歩道で撮ったのですが、さてどこだったっけ。
クシャミと鼻水に微熱、どうやらインフルエンザではなかったようです。
軽い風邪で養生するのってなんか楽しい気分があります。
子供のころの病欠気分を思い出します。
京都、たまに行くのにはいいけれど住むには厳しい?
住まねば都^^。
クシャミと鼻水に微熱、どうやらインフルエンザではなかったようです。
軽い風邪で養生するのってなんか楽しい気分があります。
子供のころの病欠気分を思い出します。
京都、たまに行くのにはいいけれど住むには厳しい?
住まねば都^^。
by saheizi-inokori
| 2016-02-17 12:13
| 今週の1冊、又は2・3冊
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