王城の地はいやらしい? 井上章一「京都ぎらい」
2016年 02月 15日
京都の生まれ・育ち、ということをなんとなく特別なことのように周りもいい、本人もいう。
「あの人は京都育ちだから、、」これはたとえば「町田育ちだから」とは明らかに何か違う意味がある。
何かはよくわからないけれど、ニュアンスがある。
落語の「祇園会」は、「京都は王城の地やさかい、、江戸は犬のババ(糞)ばかりや」、祇園囃子をやってみせて、そのなんともいえない上から目線・夜郎自大的なキョウトーのおっさんに江戸っ子の堪忍袋が切れて、威勢よく神田囃子。
演じ手が江戸落語のせいか、俺は江戸の方に軍配をあげる。
長野のイナカッペイには東京は現実の憧れの地であり、京都は縁のない・修学旅行に行く・歴史上の憧れの世界だった。
筆者は京都市内の花園に生まれ、嵯峨で育ったが、自分を「京都育ち」という気になれない。
京都大学建築科にいた筆者が、綾小路に300年続いた杉本秀太郎(「洛中生息」など京都の粋を体現する著述家)の家を見学に行って、秀太郎に会った際に、嵯峨育ちと自己紹介をしたところ「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」といった。
「きてくれた」、その言葉にはいちおう感謝の気持ちもこめたかのようにみせて、じつは揶揄的なふくみのあることが、いやおうなく聞きとれた。
はじめて出会った洛中でくらす名家の当主から、いけずを言われた、と井上は回顧する。
その後、洛中人士は中華意識が強く、嵯峨のみならず花園・山科などは「京都」を名乗るのはおこがましいと思っていることに気づく。
西陣生まれの梅棹忠夫に尋ねると「そらそうや。あのへんは言葉づかいがおかしかった。僕らが中学生ぐらいの時にはまねをしてよう笑いおうたもんや」と杉本が、そういうのもしゃあないで、といったそうだ。
本書はそういう洛中の人・社会を、花柳界と坊さんの共生(袈裟姿で芸子と料理屋のカウンターでどうどうと遊ぶ坊さんたち)の噺から、寺がかつて武将たちに宿の機能を果たしたこと、だからもてなしとしての料理の洗練や庭園の美が育まれ、さらには坊さんたちが(芸子のように)客を楽しませたのではないかという。
雑誌取材で写真一点につき3万円、「金銀苔石」、金閣寺、銀閣寺、西芳寺、竜安寺は20万円にもなるという噂。
東京のメデイアが洛中のいわれなきプライドや寺の貪欲を育てた。
古都税を拒否し税金のかからない拝観料(お布施というふてぶてしい欺瞞)で維持されている寺。
徳川三代将軍が京都の名刹の伽藍を再興保護した。
何十年にもわたる建設ラッシュが、林業、材木業を潤し、家具木工品の職人もそろえる。
京都の各本山が全国の末寺から巨額の浄財を集めることを幕府は許容する。
江戸の拙速な都市造営、そのために火事で焼けてもいいような荒っぽい建築と、上方の入念な建築の違いを江戸の大工に説かれる甚五郎は落語「三井の大黒」の肝のひとつだ(これは俺の注)。
京都、京都といばりなさんな、著者はあちこちと話を振りながら、ついに嵯峨の歴史を語り出す。
嵯峨天皇、嵯峨離宮、亀山天皇、小倉山、、嵯峨だって洛中に負けてないぞ。
そして大覚寺統、南朝をうんだ大覚寺は嵯峨離宮の跡にあったのだ。
足利尊氏は後醍醐天皇を裏切り、大覚寺を焼き打ちにかけ、その3年後に後醍醐は死ぬ。
尊氏が大覚寺の跡に天龍寺を建立したのは後醍醐の怨霊を恐れて鎮魂のためだという。
かつて日本では勝った方が負けた相手の鎮魂のために寺や神社を作った。
明治政権は流血・悲惨な犠牲の上に成立した、無血革命の嘘!。
しかし、彼らは会津を、西郷を、江藤を、日清日露の敗者を、大逆罪の人びとを、2・26事件の青年将校を、鎮魂しようとはしなかった。
その反対に政権や国家の側についた戦死者の処遇は、いぜんよりおごそかになった。
嵯峨に育ち南朝に親しみを抱いてきた筆者・井上は、味方の慰霊ばかりを気遣う靖国のやり方に、ためらいをおぼえる。
靖国を肯定的にとらえる論客、東京が首都になってから浮かび上がった、新出来の象徴である国旗や国歌に伝統を感じる人々、何かで国民を縛ろうとする姿勢、井上の怒りは洛中中華思想を超えて近頃の政権に広がる。
京都の近くに60年もくらしてきたせいで、すっかり京都風に汚染されたのか、誰しも似たものどうしのなかでこそ、自らをきわだたせようとするものである。
って、やられたぜ、くせ者め。
上七軒は断じて「かみひちけん」だというあとがきもおもしろい。
朝日新書
「あの人は京都育ちだから、、」これはたとえば「町田育ちだから」とは明らかに何か違う意味がある。
何かはよくわからないけれど、ニュアンスがある。
落語の「祇園会」は、「京都は王城の地やさかい、、江戸は犬のババ(糞)ばかりや」、祇園囃子をやってみせて、そのなんともいえない上から目線・夜郎自大的なキョウトーのおっさんに江戸っ子の堪忍袋が切れて、威勢よく神田囃子。
演じ手が江戸落語のせいか、俺は江戸の方に軍配をあげる。
長野のイナカッペイには東京は現実の憧れの地であり、京都は縁のない・修学旅行に行く・歴史上の憧れの世界だった。
京都大学建築科にいた筆者が、綾小路に300年続いた杉本秀太郎(「洛中生息」など京都の粋を体現する著述家)の家を見学に行って、秀太郎に会った際に、嵯峨育ちと自己紹介をしたところ「昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや」といった。
「きてくれた」、その言葉にはいちおう感謝の気持ちもこめたかのようにみせて、じつは揶揄的なふくみのあることが、いやおうなく聞きとれた。
はじめて出会った洛中でくらす名家の当主から、いけずを言われた、と井上は回顧する。
その後、洛中人士は中華意識が強く、嵯峨のみならず花園・山科などは「京都」を名乗るのはおこがましいと思っていることに気づく。
西陣生まれの梅棹忠夫に尋ねると「そらそうや。あのへんは言葉づかいがおかしかった。僕らが中学生ぐらいの時にはまねをしてよう笑いおうたもんや」と杉本が、そういうのもしゃあないで、といったそうだ。
東京のメデイアが洛中のいわれなきプライドや寺の貪欲を育てた。
古都税を拒否し税金のかからない拝観料(お布施というふてぶてしい欺瞞)で維持されている寺。
徳川三代将軍が京都の名刹の伽藍を再興保護した。
何十年にもわたる建設ラッシュが、林業、材木業を潤し、家具木工品の職人もそろえる。
京都の各本山が全国の末寺から巨額の浄財を集めることを幕府は許容する。
京都、京都といばりなさんな、著者はあちこちと話を振りながら、ついに嵯峨の歴史を語り出す。
嵯峨天皇、嵯峨離宮、亀山天皇、小倉山、、嵯峨だって洛中に負けてないぞ。
そして大覚寺統、南朝をうんだ大覚寺は嵯峨離宮の跡にあったのだ。
尊氏が大覚寺の跡に天龍寺を建立したのは後醍醐の怨霊を恐れて鎮魂のためだという。
かつて日本では勝った方が負けた相手の鎮魂のために寺や神社を作った。
明治政権は流血・悲惨な犠牲の上に成立した、無血革命の嘘!。
しかし、彼らは会津を、西郷を、江藤を、日清日露の敗者を、大逆罪の人びとを、2・26事件の青年将校を、鎮魂しようとはしなかった。
その反対に政権や国家の側についた戦死者の処遇は、いぜんよりおごそかになった。
靖国を肯定的にとらえる論客、東京が首都になってから浮かび上がった、新出来の象徴である国旗や国歌に伝統を感じる人々、何かで国民を縛ろうとする姿勢、井上の怒りは洛中中華思想を超えて近頃の政権に広がる。
京都の近くに60年もくらしてきたせいで、すっかり京都風に汚染されたのか、誰しも似たものどうしのなかでこそ、自らをきわだたせようとするものである。
って、やられたぜ、くせ者め。
上七軒は断じて「かみひちけん」だというあとがきもおもしろい。
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unburro at 2016-02-15 14:19
私の住む伏見は、一応、今では京都市内ですが、
昔から住む人々は、洛中いわゆる碁盤の目の中へ行くことを
「京都へ行く」と、言います。
最近は人の移動が激しいので、井上氏が言う程の格差⁉︎は感じませんが…室町や西陣の旧家の人々などと会うと、ちょっと、イラッとすることも、あります(笑)
昔から住む人々は、洛中いわゆる碁盤の目の中へ行くことを
「京都へ行く」と、言います。
最近は人の移動が激しいので、井上氏が言う程の格差⁉︎は感じませんが…室町や西陣の旧家の人々などと会うと、ちょっと、イラッとすることも、あります(笑)
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tona
at 2016-02-15 15:24
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もう読まれたのですね。気になっていました。
東京から京都の清水寺あたりの家に娘をやった人が、とても排他的な京都の人に娘が苦労しているというのを聞いたことがあります。
そのことを聞いていたのでこの本、興味ありました。中華意識、なるほどです。
最後の写真の枝垂れ梅?ですか。見事ですね。
東京から京都の清水寺あたりの家に娘をやった人が、とても排他的な京都の人に娘が苦労しているというのを聞いたことがあります。
そのことを聞いていたのでこの本、興味ありました。中華意識、なるほどです。
最後の写真の枝垂れ梅?ですか。見事ですね。
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saheizi-inokori at 2016-02-15 16:34
> unburroさん、本書でも伏見が馬鹿にされ、西陣ですら少し下にみられるとありました。
東大法学部、それではだめ、現役で公法学科、日比谷出身でなくては、とマジにいう人がいました。
あほかいナです。
東大法学部、それではだめ、現役で公法学科、日比谷出身でなくては、とマジにいう人がいました。
あほかいナです。
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saheizi-inokori at 2016-02-15 16:35
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散歩好き
at 2016-02-15 19:58
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今年は去年の続きで奈良の神話に繋がる道を歩こうと思っています。参考書が命(みこと)だらけで理解できないのが不甲斐ないです。
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ikuohasegawa at 2016-02-16 05:53
我が妻、今春の苔寺の写経に参加申し込みました。3000円。あちらさん何かと商売熱心でございます。
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j-garden-hirasato at 2016-02-16 06:59
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福
at 2016-02-16 07:02
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『祇園会(祇園祭)』
お国自慢、東西論争で、一種の文化論にもなっています。
京都の人がねちねちと江戸を馬鹿にするので、
ついに江戸っ子が怒って啖呵を切るところに見どころがあります。
このへんは一朝、圓太郎の二人がうまいですね。
お国自慢、東西論争で、一種の文化論にもなっています。
京都の人がねちねちと江戸を馬鹿にするので、
ついに江戸っ子が怒って啖呵を切るところに見どころがあります。
このへんは一朝、圓太郎の二人がうまいですね。
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ginsuisen
at 2016-02-16 09:27
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読みます、関東の田舎者ですので・・
杉本秀太郎氏・・なるほど~です。
杉本秀太郎氏・・なるほど~です。
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antsuan at 2016-02-16 09:38
京都の閉鎖性ってそんなに狭い地域だったとは。。
でも、文化を守るという意味ではその気構えは必要なのだろうと思います。
でも、文化を守るという意味ではその気構えは必要なのだろうと思います。
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saheizi-inokori at 2016-02-16 10:13
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saheizi-inokori at 2016-02-16 10:23
> ikuohasegawaさん、写経が有料なのはわからないでもないですが、お寺や庭という半ば公共のもの、肖像権などないのに写真取材を有料にしたり拝観料を取って無税というのは仏の道に叶うのだろうかと、、。
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saheizi-inokori at 2016-02-16 10:26
> j-garden-hirasatoさん、こういう話題の本は図書館では長い行列ができているはずなので、バレンタインの自分チョコのつもりで買いました。
近ければ差し上げるのですが、780円だったか。
近ければ差し上げるのですが、780円だったか。
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saheizi-inokori at 2016-02-16 10:28
> 福さん、一朝も圓太郎も江戸落語、これを新治がやったらどう、、いやもっと痛烈なキョウト批判になるかな。
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saheizi-inokori at 2016-02-16 10:31
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saheizi-inokori at 2016-02-16 10:33
> antsuan、なるほどね。
私が子供の頃には東京でも、「あいつは”川向う”だから」なんて言ってました。隅田川の向うに住んでいる人という意味で、差別的な言い方だったように記憶しています。
京都生まれの知人によると、子供の頃は「西大路の向うは人さらいが出るので行ってはいけない」と躾られたそうです。井上さんの本はとにかく面白いですね。ちょっとエッチな本は特に。
京都生まれの知人によると、子供の頃は「西大路の向うは人さらいが出るので行ってはいけない」と躾られたそうです。井上さんの本はとにかく面白いですね。ちょっとエッチな本は特に。
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saheizi-inokori at 2016-02-16 13:10
ほめ.くさん、そういうあからさまな差別が封じられた現在、かえって洛中自慢みたいなものいいが横行するのかも知れないです?
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kogotokoubei at 2016-02-17 18:27
少し調べたら、井上さん、10年前の京都新聞に同様の主旨のことを対談で語っていますね。
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/omoshiro/ron02_01.php
私が学生時代の前半二年間住んだ下宿、すぐ近くに住む大家の倅と部屋が隣り同士、という状況でした。
そこで、とことん京都人から余所者への差別を味わい、最後は喧嘩してその下宿を飛び出しました。
王城の地の人には、往生しまっせ(^^)
http://www.kyoto-np.co.jp/kp/special/omoshiro/ron02_01.php
私が学生時代の前半二年間住んだ下宿、すぐ近くに住む大家の倅と部屋が隣り同士、という状況でした。
そこで、とことん京都人から余所者への差別を味わい、最後は喧嘩してその下宿を飛び出しました。
王城の地の人には、往生しまっせ(^^)
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saheizi-inokori at 2016-02-17 21:26
> kogotokoubeiさん、京都に帰ってきました、といった伏見出身だったかのプロレスラー、一斉にブーイングだったという話かな、同じ話をあちこちでやってるようですね。
やっぱり差別するんですね。あほかあ。
やっぱり差別するんですね。あほかあ。
by saheizi-inokori
| 2016-02-15 11:14
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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