榎本喜八を知ってますか
2016年 01月 25日
榎本喜八、元プロ野球選手、やっと野球殿堂入りした。
ぎりぎりの票数で当選したという。
24日の朝日に、西村欣也が「遅すぎた殿堂入り」と題したコラムを書いている。
「遅すぎた」というのは、2314本の安打を打ったなど、その業績が抜群だったのと、榎本さん本人が2012年に亡くなっているからだ。
引退後、中野区の自分の家から南千住の東京スタジアムまで、毎日のように走って往復した。
馴染みのソバ屋の主人に訳を訊かれて「コーチになるときの体力作りだ」と答えたが、「球界との一切の接触を避け」「奇人、変人のレッテルを貼られ」、どこからも声がかからなかった。
そう西村が書いている。
生存者叙勲というのがある。
役人、警察官、消防、鉄道、、いろんな職業の人が辞めた時の肩書に応じてお上から褒められるのだ。
それは、それぞれの出身母体がしかるべき人間を推薦するのだが、その推薦基準というのは公開されていない。
なあに、引退後も出身母体やOB団体との付き合いがよくて覚えがめでたい、ってことが決め手じゃないかな。
それはそれとして、俺は榎本という人の人生に鬱勃たる興味がわいた。
それでググってみた。
Wikipediaに長い記事が載っている。
百姓の生まれ、集団疎開の日に母が病死、父親がシベリア抑留で長いこと帰ってこない。
弟と二人祖母によって育てられ極貧、雨漏りのする家。
「おばあちゃんを温かい家に住まわせたい」が職業野球に入った動機(むろん野球そのものが好きだった)。
早実時代から4番を打たされたが、甲子園に行くと緊張して成績を残せなかった。
一年の時に先輩で毎日オリオンズに行く荒川博に自分を引っ張ってくれと、請願。
「これから三年間、毎日素振りを500本すれば入れてやる」といったら、ほんとにやり抜いた。
王も育てた荒川が「王が榎本くらい練習をしていれば、1000本塁打を打っていただろう。榎本に王のおおらかさがあれば、4000本安打を打っていただろう」といった由。
プロに入った榎本はあたかも宮本武蔵のように「打撃の道」を究めようとする。
荒川に藤平光一を紹介されて合気道を学び、「体(たい)が生きて、間(ま)が合えば、必ずヒットになる」「臍下丹田に気持ちを鎮め、そこを体の中心として指先や足先などの体の隅々までを臍下丹田と結び(五体を結び)、連結させるというトレーニング方法を実践することで、体の隅々が意識されて、自分の臓器の位置までがわかった」という。
「バットを振り回すのではなく、バット自身の重さで下に落ちる力をも利用」、「気が付いたらバットを振って、それがヒットになっていた」。
「26歳のとき、本筋でいくところまでいかしていただきました。本筋というのは、自分の脳裡に自分のバッティングの姿がよく映るんです。 目でボールを見るんじゃなくて、臍下丹田でボールを捉えているから、どんな速い球でもゆるい球でも精神的にゆっくりバットを振っても間に合うんです。ちょうど夢を見ている状態で打ち終わる。その姿ははっきり脳裡に映っていながら、打ち終わるとスッと夢から覚めて我にかえって走りだす、そのようなところまでいかせていただきました」、まるで五味康祐の伊藤一刀斎のようだ。
(チャンバラの復権)
かつての名投手、名捕手たちが榎本を選球眼がよくて、どんな難しい球でも安打にする、最も嫌な・最高のバッターだったと回顧する。
稲尾は榎本だけのためにシュートを学び榎本だけに使った。
張本勲、豊田泰光のように、王、長嶋、川上、イチローよりも上という人もいる。
その川上哲治は「“打撃の神様”の称号は自分ではなく、榎本が最も相応しい」と語り、その実力を「長嶋を超える唯一の天才」と称している。
とうぜんながら榎本が神の域にとどまりつづけることはできなかった。
結果がヒットであっても納得のいかない打ち方だと機嫌が悪く、無安打で終わっても「今日はいい打ち方ができた」という、完璧主義と子供のころの極貧生活のトラウマが、不要なプレッシャーになる。
年間を通して最高の成績を上げても満足できない。
監督との不仲。
彼が後輩たちに打撃理論を教えようとしても、誰も理解できなかった。
奇行がめだち、付き合いがなくなっていく。
日本プロ野球名球会入りの条件を果たした選手の中で、引退後に球界の仕事に携わらなかったのは、プロ野球史上で榎本ただ1人となっている(Wikipedeia)。
(今朝の月)
叙勲とか野球殿堂とか、あまり興味もないが、榎本さんの人生の一端を知ることができてよかった。
遺族も喜んでいると思う。
遅すぎたけれど。
ぎりぎりの票数で当選したという。
24日の朝日に、西村欣也が「遅すぎた殿堂入り」と題したコラムを書いている。
「遅すぎた」というのは、2314本の安打を打ったなど、その業績が抜群だったのと、榎本さん本人が2012年に亡くなっているからだ。
引退後、中野区の自分の家から南千住の東京スタジアムまで、毎日のように走って往復した。
馴染みのソバ屋の主人に訳を訊かれて「コーチになるときの体力作りだ」と答えたが、「球界との一切の接触を避け」「奇人、変人のレッテルを貼られ」、どこからも声がかからなかった。
そう西村が書いている。
生存者叙勲というのがある。
役人、警察官、消防、鉄道、、いろんな職業の人が辞めた時の肩書に応じてお上から褒められるのだ。
それは、それぞれの出身母体がしかるべき人間を推薦するのだが、その推薦基準というのは公開されていない。
なあに、引退後も出身母体やOB団体との付き合いがよくて覚えがめでたい、ってことが決め手じゃないかな。
それでググってみた。
Wikipediaに長い記事が載っている。
百姓の生まれ、集団疎開の日に母が病死、父親がシベリア抑留で長いこと帰ってこない。
弟と二人祖母によって育てられ極貧、雨漏りのする家。
「おばあちゃんを温かい家に住まわせたい」が職業野球に入った動機(むろん野球そのものが好きだった)。
早実時代から4番を打たされたが、甲子園に行くと緊張して成績を残せなかった。
一年の時に先輩で毎日オリオンズに行く荒川博に自分を引っ張ってくれと、請願。
「これから三年間、毎日素振りを500本すれば入れてやる」といったら、ほんとにやり抜いた。
王も育てた荒川が「王が榎本くらい練習をしていれば、1000本塁打を打っていただろう。榎本に王のおおらかさがあれば、4000本安打を打っていただろう」といった由。
荒川に藤平光一を紹介されて合気道を学び、「体(たい)が生きて、間(ま)が合えば、必ずヒットになる」「臍下丹田に気持ちを鎮め、そこを体の中心として指先や足先などの体の隅々までを臍下丹田と結び(五体を結び)、連結させるというトレーニング方法を実践することで、体の隅々が意識されて、自分の臓器の位置までがわかった」という。
「バットを振り回すのではなく、バット自身の重さで下に落ちる力をも利用」、「気が付いたらバットを振って、それがヒットになっていた」。
「26歳のとき、本筋でいくところまでいかしていただきました。本筋というのは、自分の脳裡に自分のバッティングの姿がよく映るんです。 目でボールを見るんじゃなくて、臍下丹田でボールを捉えているから、どんな速い球でもゆるい球でも精神的にゆっくりバットを振っても間に合うんです。ちょうど夢を見ている状態で打ち終わる。その姿ははっきり脳裡に映っていながら、打ち終わるとスッと夢から覚めて我にかえって走りだす、そのようなところまでいかせていただきました」、まるで五味康祐の伊藤一刀斎のようだ。
かつての名投手、名捕手たちが榎本を選球眼がよくて、どんな難しい球でも安打にする、最も嫌な・最高のバッターだったと回顧する。
稲尾は榎本だけのためにシュートを学び榎本だけに使った。
張本勲、豊田泰光のように、王、長嶋、川上、イチローよりも上という人もいる。
その川上哲治は「“打撃の神様”の称号は自分ではなく、榎本が最も相応しい」と語り、その実力を「長嶋を超える唯一の天才」と称している。
とうぜんながら榎本が神の域にとどまりつづけることはできなかった。
結果がヒットであっても納得のいかない打ち方だと機嫌が悪く、無安打で終わっても「今日はいい打ち方ができた」という、完璧主義と子供のころの極貧生活のトラウマが、不要なプレッシャーになる。
年間を通して最高の成績を上げても満足できない。
彼が後輩たちに打撃理論を教えようとしても、誰も理解できなかった。
奇行がめだち、付き合いがなくなっていく。
日本プロ野球名球会入りの条件を果たした選手の中で、引退後に球界の仕事に携わらなかったのは、プロ野球史上で榎本ただ1人となっている(Wikipedeia)。
叙勲とか野球殿堂とか、あまり興味もないが、榎本さんの人生の一端を知ることができてよかった。
遺族も喜んでいると思う。
遅すぎたけれど。
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散歩好き
at 2016-01-25 17:49
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当時は川崎球場のオリオンズの中継がよくあり良く見ました。派手さはないが確実な選手でした。後南千住の東京スタジアムでも見ました。成績の割にはスターらしくない理由が解りました。
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unburro at 2016-01-25 18:52
勲章とか、殿堂入りとか、人間国宝とか、
いろんな名誉がありますが、
最近になって、その資格がありそうな人にかぎって、
負け惜しみではなく、心から、
「そんな面倒なモノは、頼まれたって要らないよ」
と言う人が、意外に多い、と知りました。
祝賀会したり、お祝い返ししたり、めんどくさい、らしい。
でも、喉から手が出るほど、欲しがっている人もいる。
面白いものですね。
いろんな名誉がありますが、
最近になって、その資格がありそうな人にかぎって、
負け惜しみではなく、心から、
「そんな面倒なモノは、頼まれたって要らないよ」
と言う人が、意外に多い、と知りました。
祝賀会したり、お祝い返ししたり、めんどくさい、らしい。
でも、喉から手が出るほど、欲しがっている人もいる。
面白いものですね。
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saheizi-inokori at 2016-01-25 22:38
> unburroさん、そうですね。
私も要らない派です。
でも、榎本は、その家族はきっと殿堂入りを喜んだと思います。
素直に。
そういう人のような気がします。
それだけにもっと早く決めてやればよかったと思うのです。
私も要らない派です。
でも、榎本は、その家族はきっと殿堂入りを喜んだと思います。
素直に。
そういう人のような気がします。
それだけにもっと早く決めてやればよかったと思うのです。
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saheizi-inokori at 2016-01-25 22:41
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j-garden-hirasato at 2016-01-26 07:01
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福
at 2016-01-26 07:05
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新聞のコラムを読むかのように、ここちよく拝読しました。
荒川といえば、TV中継の解説者時代、
江戸っ子かたぎで歯に衣を着せない発言をしていました。
現在のアナウンサーとの対話形式とはずいぶん違いました。
荒川といえば、TV中継の解説者時代、
江戸っ子かたぎで歯に衣を着せない発言をしていました。
現在のアナウンサーとの対話形式とはずいぶん違いました。
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saheizi-inokori at 2016-01-26 07:45
> j-garden-hirasatoさん、純粋に私的なものなら好き不好きで決めてもいいのでしょうが。
半ば公的なものはある程度客観的に見ての納得が必要でしょうね。
勲章に至っては税金でやってるのですからなおさらです。
半ば公的なものはある程度客観的に見ての納得が必要でしょうね。
勲章に至っては税金でやってるのですからなおさらです。
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saheizi-inokori at 2016-01-26 07:47
> 福さん、荒川の解説、聴いたことがないです。
解説といえば小西さん、なんといいましょうか~が懐かしい。
解説といえば小西さん、なんといいましょうか~が懐かしい。
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tona
at 2016-01-26 08:31
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私も昨日榎本喜八の項を読んだところでした。
そういえば昔ちょっと聞いていた名前でした。
死後でも息子さんは父は喜んでいると言われていましたね。
それにしても一切球界にかかわらない人生というのは、その人の心そのままで、意固地ともいえる心の強い面の表れでしょうか。
子供時代の悲惨な生活には驚きました。
そういえば昔ちょっと聞いていた名前でした。
死後でも息子さんは父は喜んでいると言われていましたね。
それにしても一切球界にかかわらない人生というのは、その人の心そのままで、意固地ともいえる心の強い面の表れでしょうか。
子供時代の悲惨な生活には驚きました。
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saheizi-inokori at 2016-01-26 09:12
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LiberaJoy at 2016-01-26 13:05
ぼくの今の仕事(これはこれで楽しいのですが)と、前の仕事へのスタンスを見た時、実にsaheiziさんの気持ちがよくわかります。
ああ、同じような気持ちの人がいるんだなと。
saheiziさんは隠居生活者なワケですが。
(出版の仕事にかかわりたいくせに)まったく何もしない。
その意味では、榎本喜八にも共通するのです。
彼が、走って体力をつけたことは、さしずめぼくにとっての
ブログで発信し続けていることかもしれません
ああ、同じような気持ちの人がいるんだなと。
saheiziさんは隠居生活者なワケですが。
(出版の仕事にかかわりたいくせに)まったく何もしない。
その意味では、榎本喜八にも共通するのです。
彼が、走って体力をつけたことは、さしずめぼくにとっての
ブログで発信し続けていることかもしれません
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saheizi-inokori at 2016-01-27 10:14
by saheizi-inokori
| 2016-01-25 12:59
| よしなしごと
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Comments(12)