さん喬、大熱演「百年目」、雪月花が揃った 第571回「落語研究会」
2016年 01月 21日
急に日が長くなった。
溶けて汚れてしまった雪と昇り始めたちょっと端っこをかじったビスケットのような月。
出かける前に読んだ朝日の夕刊で、漱石の『文学論』に、漱石がロンドンにいた頃、雪見に行こうと言ったら笑われたり、月は憐れ深いと言って驚かれた、ということが書いてあると知った。
せんじつパリに住んでいる poirierさんのブログにあちらで育てているお子さんと親子で「月がきれいだね」と言う、ちょっといい話を見つけて、「月が美しいと思うのは、親などからそういう感じ方を教えられてのことか、そもそも人間の生まれ持っての感受性ゆえなのか」みたいなコメントをした。
アマゾンに住む原住民・ピダハンの不思議な言語について読んだばかりだったせいもある。
川端康成のノーベル賞受賞に際しての講演のタイトルが「美しい日本の私」だった、未読。
読んでみようか、大江健三郎の「あいまいな日本の私」も。
半蔵門に着くと6時、さすがにとっぷり暮れている。
ドクターブレーキがかかったから、落語会帰りの一杯はあきらめて先に中華屋に入る。
琴奨菊が胸を張り白鵬がうつむいている。
こういう店でタンメンにするか、チャーハンにしようかなどと迷うのは懐かしい学生時代の記憶を呼び起こす。
だんだん、あの頃の質朴な暮らしに戻っていくようだ、悪くないな、うん。
落語については簡単に。
わさび「強情灸」
うらなり君みたいな顔だが、表情に富んで(漫画のよう)、語り口も妙にとぼけていて面白かった。
萬橘「孝行糖」
大きな明晰な発声、いい。
明るく楽しく、いい。
「もう会えないかもしれないから、いいお年を」といったのは俺のギャグじゃないか。
落語研究会が始まったのは初代「へらへらの萬橘」にまともな噺家たちが危機感を感じてのことだったと、ちょっとうれしそうにいってた。
文左衛門「化け物使い」
湯島・シンスケと思しき店で「白魚の踊り食い」を初めて食ったときに酢にむせて白魚が鼻の穴に入ってしまったマクラ。
前にも聴いたが、うまくなった。
人使いの荒い隠居、化け物たち(一匹の狸なのだが)が音をあげてしまう。
ブラック隠居のようでそうでもない、どこかやさしいのだ。
給金も倍(人間の場合)だし。
正蔵「蛸坊主」
正蔵は親の七光り、下手で聴くに堪えない、というのは偏見かもしれない。
さいきんトミによくなった。
と、居残り会の衆議半決(一人同意しない)、んじゃ聴いてみようと思って出てきたのだ。
20分で終わる小噺みたいな噺。
こういうのは悪くない。
さん喬「百年目」
正蔵が短くやったのは、さん喬の時間を確保するためだった(こういうところが先輩後輩に好かれるのだろう)。
55分、大熱演に圧倒された。
冒頭の小僧たちに小言を言う場面も叱るだけでなく懇々と諭して15分近い、そして、ときならぬ満開の花を大川に咲かせ、さいごには滂沱の涙。
風邪気味なのか、お茶を用意していて、ややしわがれることがあったのが残念なりき。
とはいえ、その欠けたるところは今宵の月よりもはるかにわずかだった。
雪と月だけじゃない、花(さくら)も美しい日本の立役者だった。
百閒が生徒の作文だったかの採点で「雪」「月」「花」とつけたという。
「雪月花」なら「花」は最低、「花鳥風月」なら最高、生徒は好きなように解釈してくれと。
そんなことを考えながら空を見たら、月の周りに星がけっこうたくさん見えた。
「星」ってのは万国共通、日本人だけのものじゃないなあ。
溶けて汚れてしまった雪と昇り始めたちょっと端っこをかじったビスケットのような月。
出かける前に読んだ朝日の夕刊で、漱石の『文学論』に、漱石がロンドンにいた頃、雪見に行こうと言ったら笑われたり、月は憐れ深いと言って驚かれた、ということが書いてあると知った。
せんじつパリに住んでいる poirierさんのブログにあちらで育てているお子さんと親子で「月がきれいだね」と言う、ちょっといい話を見つけて、「月が美しいと思うのは、親などからそういう感じ方を教えられてのことか、そもそも人間の生まれ持っての感受性ゆえなのか」みたいなコメントをした。
アマゾンに住む原住民・ピダハンの不思議な言語について読んだばかりだったせいもある。
川端康成のノーベル賞受賞に際しての講演のタイトルが「美しい日本の私」だった、未読。
読んでみようか、大江健三郎の「あいまいな日本の私」も。
ドクターブレーキがかかったから、落語会帰りの一杯はあきらめて先に中華屋に入る。
琴奨菊が胸を張り白鵬がうつむいている。
こういう店でタンメンにするか、チャーハンにしようかなどと迷うのは懐かしい学生時代の記憶を呼び起こす。
だんだん、あの頃の質朴な暮らしに戻っていくようだ、悪くないな、うん。
落語については簡単に。
わさび「強情灸」
うらなり君みたいな顔だが、表情に富んで(漫画のよう)、語り口も妙にとぼけていて面白かった。
萬橘「孝行糖」
大きな明晰な発声、いい。
明るく楽しく、いい。
「もう会えないかもしれないから、いいお年を」といったのは俺のギャグじゃないか。
落語研究会が始まったのは初代「へらへらの萬橘」にまともな噺家たちが危機感を感じてのことだったと、ちょっとうれしそうにいってた。
文左衛門「化け物使い」
湯島・シンスケと思しき店で「白魚の踊り食い」を初めて食ったときに酢にむせて白魚が鼻の穴に入ってしまったマクラ。
前にも聴いたが、うまくなった。
人使いの荒い隠居、化け物たち(一匹の狸なのだが)が音をあげてしまう。
ブラック隠居のようでそうでもない、どこかやさしいのだ。
給金も倍(人間の場合)だし。
正蔵「蛸坊主」
正蔵は親の七光り、下手で聴くに堪えない、というのは偏見かもしれない。
さいきんトミによくなった。
と、居残り会の衆議半決(一人同意しない)、んじゃ聴いてみようと思って出てきたのだ。
20分で終わる小噺みたいな噺。
こういうのは悪くない。
さん喬「百年目」
正蔵が短くやったのは、さん喬の時間を確保するためだった(こういうところが先輩後輩に好かれるのだろう)。
55分、大熱演に圧倒された。
冒頭の小僧たちに小言を言う場面も叱るだけでなく懇々と諭して15分近い、そして、ときならぬ満開の花を大川に咲かせ、さいごには滂沱の涙。
風邪気味なのか、お茶を用意していて、ややしわがれることがあったのが残念なりき。
とはいえ、その欠けたるところは今宵の月よりもはるかにわずかだった。
百閒が生徒の作文だったかの採点で「雪」「月」「花」とつけたという。
「雪月花」なら「花」は最低、「花鳥風月」なら最高、生徒は好きなように解釈してくれと。
そんなことを考えながら空を見たら、月の周りに星がけっこうたくさん見えた。
「星」ってのは万国共通、日本人だけのものじゃないなあ。
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喜洛庵上々
at 2016-01-21 13:43
x
月は十日月ぐらいでしたか、私開場前にずっと「それにしても明るいなぁ」と月を眺めていました^^
萬橘師の『もう会えないかもしれないから、いいお年を』に関連するのですが
ばったり出くわした際の、一昨日の『御慶』、昨夜の『お久しぶり』との佐平次さんの洒落に『流石だなぁ』と私、わさびさんの高座中ずっと感心しきりでした。
また一つ洒落のめしてご一緒に乾杯をお願いします^^
萬橘師の『もう会えないかもしれないから、いいお年を』に関連するのですが
ばったり出くわした際の、一昨日の『御慶』、昨夜の『お久しぶり』との佐平次さんの洒落に『流石だなぁ』と私、わさびさんの高座中ずっと感心しきりでした。
また一つ洒落のめしてご一緒に乾杯をお願いします^^
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saheizi-inokori at 2016-01-21 21:18
> 喜洛庵上々さん、あおもり君の「子ほめ」で「お久しぶりです」「何を言ってるんだ、昨夜湯であったじゃないか」がどこかにあって、あわもりじゃなくてあおもりだと教えていただいたこともあって、とっさに、出たセリフでした^^。
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蛸
at 2016-01-22 00:40
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j-garden-hirasato at 2016-01-22 07:05
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kotoko_s at 2016-01-22 09:35
月は太陽と違ってじっと見つめていられるからか、何か思索的なものとつながる存在だなと思います。
お月様、と呼びかけたくなりますねえ。
昔、ドイツに留学していた友人が「夕方、暗くなっていく空を眺めてなんだかせつない気持になる、と言ったら、セツナイってどういう意味だって聞かれて困った」と言っていました。そういう言葉がないんですって。儚い、もないって言っていましたっけ。
百鬼園先生は流石ですねえ。
お月様、と呼びかけたくなりますねえ。
昔、ドイツに留学していた友人が「夕方、暗くなっていく空を眺めてなんだかせつない気持になる、と言ったら、セツナイってどういう意味だって聞かれて困った」と言っていました。そういう言葉がないんですって。儚い、もないって言っていましたっけ。
百鬼園先生は流石ですねえ。
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saheizi-inokori at 2016-01-22 09:41
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saheizi-inokori at 2016-01-22 09:42
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saheizi-inokori at 2016-01-22 09:48
> kotoko_sさん、百人一首、古今和歌集、新古今、源氏、、日本人の感性が花鳥風月にもののあわれを感じ、表現し、それがまた受け継がれ育まれてきたのでしょうか。
根っこには大陸・半島文化の影響も無視できないと思いますが。
仏教伝来いぜんのアニミズムの心性も。
根っこには大陸・半島文化の影響も無視できないと思いますが。
仏教伝来いぜんのアニミズムの心性も。
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maru33340 at 2016-01-22 12:34
さん喬の「百年目」聞いてみたかったです。
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saheizi-inokori at 2016-01-22 13:03
> maru33340さん、こんど聴けたら百年目、かな^^。
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福
at 2016-01-22 20:54
x
わさびのような虚弱じみて、麩菓子(って古いか!)みたいな個性も好きです。
『強情灸』とは選んだもんだな。
子供のころ、TVで先代小さんのものを見ました。
妙にはっきり覚えています。あのぼそぼそ・・・
私が一番ほしいのは『大正テレビ寄席』のDVDです。出るといいなァ!
『強情灸』とは選んだもんだな。
子供のころ、TVで先代小さんのものを見ました。
妙にはっきり覚えています。あのぼそぼそ・・・
私が一番ほしいのは『大正テレビ寄席』のDVDです。出るといいなァ!
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saheizi-inokori at 2016-01-22 22:35
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福
at 2016-01-23 07:39
x
「大正テレビ寄席」たしかにあって長らく放送されました。
たくさんの芸人のいろんな芸をそこで見ました。
ただ、先代小さんの『強情灸』はその番組で見たわけではありません。
はじめはぼそぼそとした口調で強がりを言ってるんですが、
いよいよ熱くなると、表情が変わり、
本当に顔が紅潮してきたように見えたもんです。
たくさんの芸人のいろんな芸をそこで見ました。
ただ、先代小さんの『強情灸』はその番組で見たわけではありません。
はじめはぼそぼそとした口調で強がりを言ってるんですが、
いよいよ熱くなると、表情が変わり、
本当に顔が紅潮してきたように見えたもんです。
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saheizi-inokori at 2016-01-23 09:32
by saheizi-inokori
| 2016-01-21 12:14
| 落語・寄席
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