男と女のあいだには深くてあったかな川がある さん喬・権太楼二人会
2015年 12月 30日
長い行列をしり目にあたりを散歩する、この優越感、いわれなき優越だ。
Mさんが足指を怪我されて来れなくなったのが、気の毒・残念だ。
やなぎ「新作・青春ナイン」
みんな悩んで大きくなる、カナ。
さん喬「短命」
離れにこもりっきりで暮らす美男美女、その様子を妄想たくましくするのに、冬の炬燵風景はよく聞くが、夏の、浴衣を赤い帯を男締めに、胸乳がちらっと覗き、風鈴がちりんとなって、たらッと落ちる汗が女の髪の毛を、、云々の光景は初めて聴くような気がした。
クマが、短命の真相を知って家に帰るときに、隠居が「いい酒があるよ、よかったらお寄り」の一声をかける。
いいね、こういうセリフが二人の人間関係を浮き彫りにする。
円朝の新作が百年後の今、古典としてみんなに大事にされる。
やなぎの「青春ナイン」(と、このときあの噺の題名を知った)だって、百年後には、、私はダメだと思うけど、とマクラ。
新派の芝居をみるように超リアル・シリアスに梅喜が泣きお竹が慰める。
目が明いたのに、出会った上総屋を目をつぶって手触りで確かめる、浅草の雷門も杖を突いてわかる、人力車のスピードに驚く、さすがに納得の描写だ。
お竹が、人なし化け十という醜女だと聞き、言い寄る美人芸者・小春と夫婦約束をするのをお竹に見つかり、のどを締め上げられて、目が覚めると夢だった。
明日からもがんばって信心しましょう、というお竹の手を握りしめ「俺はもう信心をやめた、妙なものだ、寝ているうちによおく見える」がサゲ。
ハネてからの一杯会で、梅喜がもう目が明かなくていいといった理由はなんだろうと、いまさら次郎な質問をしたら、「そりゃあ、汚い現実を見たくない」ってことでしょう、と言われた。
単純にブスの女房を見たくないから、ということではない。
「心眼」という題名を円朝がつけたかどうかは知らないが、(目を明けずに)心眼でみるからお竹の日本一と上総屋が言う≪人柄の良さ≫、できた女房が見えるということだろう。
サゲの「寝ているうちによおく見えたもの」は、己が浅ましさか。
浅ましさもあるけれど、お竹に対する愛は変わらない。
これはもう、権太楼節炸裂。
「タスケテクダサイ!」、疝気の虫の哀訴泣願の叫び、チートトトン、パーパのダンス。
「そうか」「山の事故です」「?」「ソーナンです」
お色気もあって「心眼」の対極を行く艶笑譚、場内爆笑。
亀太郎・三味線粋談
渋い。
「櫓太鼓」がよかった。
さん喬「雪の瀬川」
前に聴いたときはあまり感心しなかった。
女郎と若旦那の恋、珍しくもない、が前面に押し出されてややしつこい噺に聴こえた。
今回は、もちろん二人の愛がテーマではあるが、むしろ鶴次郎に居候をさせる忠蔵夫妻とか宇治五帖なる幇間などが鶴次郎と花魁・瀬川の恋の成り行きを心配する人びとのやさしさが強調された。
自分もお店のお勝と駆け落ちをして屑や稼業で口に糊している忠蔵が大家に鶴治郎を居候させることの了解を取り付けようと訪ねると、「おお、あんたが俺に頼みがあるというのか」と女房をよんでまで喜んで見せて日頃の忠蔵の律儀を愛する様子を感じさせ、ミカン箱で飯を食ってちゃいけない、うちのちゃぶ台をやる、茶碗ももってけ、と親切国の住人なのだ。
米も、というと、いやそれは私にやらせてくださいと忠蔵はきっぱり、恩ある若旦那の米まで人の世話にはならない。
さいごの真っ白な雪が降り積む下に住む人びとの温かさを感じさせた。
わずかな金でもと、忠蔵が書写のアルバイト、書き写しているのが、「忠臣蔵」というのも利いている。
12月、雪、討ち入り、忠蔵の名、忠臣蔵に登場する恋人たち。
悪人が出てこない。
稚ないともいえる純一な鶴次郎の愛にこたえて雪の中を籠を走らせる瀬川。
とんとん、とん、雪の太鼓の音、瀬川が長屋の戸を叩くとんとん、とん。
音響も素晴らしく、≪人情噺のさん喬≫に脱帽した。
ハッピーエンドなのもよかった。
今夜のネタは開口一番を除くと、いずれも男女の仲がテーマともいえる。
猥談から江戸の純愛人情噺まで、老練の二人の芸域の広さを満喫できた、ひつじ年の落語納だった。
「空いてる?」「カウンターなら」。
楽しく飲んで帰るときに店のスタッフに「とくやさんによろしく」といったら「はい、すぐ電話があって座れたかどうか心配してました」との返事。
新宿も温かい。
Mさん、早く治してまた飲みましょう!
ちょっと驚いたのは亀太郎師匠、まだ高座へ出ていらっしゃるのですね。
まだお若い頃(私も若かったですが^^;)お父さんの二代目三亀松師匠と二人の高座を何度か観たことがあります。その後、ぴんで立ち高座で演っていたのも観た記憶がありますが・・・
へぇ、出ているんですねぇ。びっくりしました。
写真を楽しませて頂ました!
此方は、FAZ(日本の日経新聞?)が第一面のトップで
韓国の女性銅像の写真と日本の対応を報道。
3面にも大きく被害女性達の写真と抗議会見模様を。
アメリカに強くいわれ?、アベが嫌々ナガラ行動している
様子が、見透かされているようです
滅多に上京できなくなりましたが、昔はいずれかによく行ったものです。
窓拭きもお疲れ様でした。
外で食べるのって、とても嬉しいものです。
実家の老母は、父にいつもだまされて家に帰ってなんか作らされるとぼやいております。
今年もありがとうございました。刺激に充ちた記事、楽しい日記、しんみりとさせられることもたびたびでした。
新しい年もどうぞお体お大切に、よいお年をお迎えください。
柳家の竜虎ですね。ほんとうにすごい!
私は「東洋館」で雲助『持参金』を聴いてきました。
顔の変化が見事でした。古今亭もすごい!
落語はまじですごいです。
今年もよくお相手いただきました、よいお年をお迎えください。
裏でいろんな立て引きがあったのでしょうが、国民にはそんなことならとっくにやっていればよかったのに、です。
ただ、和解できればそれに越したことはないからメデイアも及び腰の皮肉くらいしかいえない。
よかった、というのは高みの見物気分なのかもしれない。
沖縄県と何らかの妥協ができて辺野古が前進するのを喜ぶようなものかも。
わたしは今頃になって亡妻をもっと外に連れていくのだったと後悔しきりです。
自分が家で食うのがうれしいものだから妻もそうだろうと思い込んでいました。
メニューも考えず、買い物もせず、後片付けもいらない、それがどんなにすばらしいことかとわかりました。
とはいえ、毎日ではかえって寂しくなるのも外食です。
昔は志ん生亡きあとは落語なんて聴けるもんかと、団菊おやじでした。
もっとも、前の柳好のCDにはほとほと参ってますが。
来年もまたおいでくださいね。
今回もそうですが、
このブログを拝見するたび、
寄席に行ってみたい、と思いつつ、
実現できなかったことが少し残念です。
来年は、何とかしたいです。
では、
よいお年をお迎えください。
横浜では桜木町でにぎわい座が常設です。
お正月にふらりといかがですか。
いい年をお迎えください。
より良いお年をお迎えください。