西洋人は太りすぎだ。フランスでさえ、わたしが来たころは、みんなもっとやせていた、、セバスチャン・サルガド「わたしの土地から大地へ」
2015年 12月 21日
みなさんのブログを訪問すると、
鳥の写真を撮る人、山に登る人、釣りをする人、ゴルフをする人、料理を食う人・作る人、もちろん会社に行く人、、そして俺は落語を聴いて本を読み、家事もやるけど酒も飲む(飲みすぎる)。
人さまざまの年の瀬、のんびりいきましょう。
昨日は朝風呂で前夜の酒を抜いて、カミさん・サンチと次男夫妻の家におよばれ。
シイが勢いよくじゃれてくるとサンチが怖がる。
シイを抱っこして見せたら、自分の方から俺の膝に飛び乗ってきたサンチ。
やきもちなのか、警戒心がとけたのか。
本の中の写真をみると、どこかで少しは見たこともあるが、展覧会とか映画には行ったことがない。
世界中をまわって移民、貧困、紛争など人間の問題をモノクロで撮り続けている人くらいのイメージだった。
そのサルガドにナイザベル・フランクが半生を振り返って、インタビューしたものを、あたかもモノローグのように書き下ろした本。
当初は経済学徒を志し、圧政下のブラジルを逃れてヨーロッパに亡命、パリを拠点に報道写真家となり地球を股にかけて
「人類の手」「人間の大地」「エクソダス」「ジエネシス」などのプロジエクトを発表しつづけた。
ガラパゴス諸島でゾウガメを撮るときは、地面にひざまづき亀と同じ目線で何日も過ごしたら亀が写真を撮らせたという。
はじめに調和があったということ。この調和があったから、いろいろな種に分かれていくのが可能になった。驚くべき奇蹟だが、わたしたちはみんなこの奇蹟の一部をなしている。
イグアナはわたしのいとこだ、といい、アマゾンのゾエ族についてこういう。
わたしたちはこういう人たちの穏やかな性格に強い魅力を感じた。暴力を知らないし、喧嘩なんかまったくしない。さらにびっくりするのは、嘘も知らないということだ。嘘を発明したのが誰なのか、どの文明なのかは知らないが、ともかくゾエ族は嘘をつかない。行き違いが生じたときは、対立する両サイドが樹の幹にのぼる。それぞれ片方に腰を据えて、同じコミュニティの人たちがそれぞれのうしろに陣取る。双方がかわりばんこに、争いの原因が何なのか、自分の考えを述べる。ひとりが主張すると、すぐにまわりの人が訂正したり、もっと細かい説明を付け加えたりする。もう片方が応答する。そんなふうに進んでいく。ほとんど厄除け儀式だ。
それでさいごには誤解がとけて仲直り。
彼らはトナカイの負担を減らすためにごく限られた数の物だけを持って生活している。
彼らの生活はわたしたちの生活と同じくらい強烈で、充実していて、強い感動がある。ひょっとするとわたしたちの生活より豊かかもしれない。わたしたちは自分を守るために物財をやたらに増やして、おかげで生きるということを忘れてしまっているんだから。わたしたちはもう自然のことも他の人たちのことも見つめない。自分のコミュニテイから自分を切り離している。これはわたしにとってすごく気がかりなことだ。いろんなテクノロジーが、結局のところ、わたしたちを孤立させているのを見ると心配になる。物質的な進化がすすむにつれて、ひとりひとりが、自分だけのすみっこで、ひとりでいろんなことができるようになる。だけど人類の歴史というのはコミュニテイの歴史だ。わたしたちはそれとは逆に、ばらばらになって、個人化していっている。誰が何と言おうと、わたしには個人主義が価値のあるものだとは思えない。シニシズムもそうだ。
ネネツ族、アビシニア人、ゾエ族、ヒンバ族、パプア族、、みんな、愛情や、幸福や、悦びや、要するに生きていくうえで欠かせないものすべてとの関係の持ち方が、わたしと全く同じなんだ。
ルワンダを撮ったのは、ルワンダを愛しているから。
この恐ろしい時代、ありったけ心をこめてルワンダを撮った。みんなが知っているべきことだと思った。自分の時代の悲劇から身を守る権利なんか誰にもない。わたしたちみんな、ある意味で、自分が生きるのを選んだ社会のなかで起きることがらに対して責任があるからだ。
中野勉訳
河出書房新社
痩せ細った子どもたちの手を引いた女性の写真、強烈な印象です。
はじめに調和があった、という言葉も。
本当かどうかわかりませんが、昔は滅多に自分の居住地を出なかったと聞きます。
近代交通網の発達はヒトの暮らしを一変させたんですね。
かくいう私は都内の好きなところ(上野、浅草、神保町など)に行き、年の瀬を過ごしております。
わたしも長野にいたころは近所二キロ四方くらいの世界でしたね。
今は地下鉄が便利になりましたね。
上野浅草にちょっとご無沙汰中です。