覚悟が必要な時代に入った日本社会 保阪正康「戦場体験者 沈黙の記録」
2015年 10月 31日
私たちの国は、戦後70年を経ても実は戦場体験者の証言を生真面目に、あるいは歴史上に位置づけるという視点などを持たないで戦争体験を語ってきた。
たとえば南京虐殺や中国戦線などの残虐行為があったことは、多くの兵士たちが(規模の差はあれ)認めているのに、「その種の残虐行為は皆無だった」と主張する論者が少なからずいるのは、戦友会などで「非日常的な戦場体験は語るな」という圧力が兵士たちにかかっていること、戦後の日本社会で一般兵士の証言が封殺されているのを逆手にとっているのだ。
筆者は、40年以上にわたって、延べ4000人からの人々に戦争体験について話を聞いてきた。
そのときの筆者の自らに課した条件。
(1)戦闘体験をもつ兵士の証言は茶の間などの日常の空間で聞いてはならない。非人間的な話は話す側も聞く側もつらい。それを茶の間で聴くというのは、人間に対する侮辱だ。
(2)ひとたび証言を始めたら、ひたすら黙って聞く。聞く側が平時の感覚を持って「戦争って理不尽なのですね」などという合いの手を入れると、兵士はものがいえなくなる。
(3)基本的には匿名を条件として聞く。その兵士の証言の背景には万余の日本軍兵士の声が凝縮されていると受け止めるべきだ。
(4)その証言が真実か否かは聞き手自らがもつ尺度で判断する。どれほど忘れたくても、忘れられない記憶は、改変の施しようがなく沈殿している。こういう話を聞きだせるか否かが「聞き書き」を行う側の能力にかかっている。
(5)証言を聞いたならその重さを聞いた側もまた背負うという覚悟が必要だ。
戦闘体験を聞くというのは、自らの人生観や歴史観、さらには死生観がからんでいる。
単に戦争体験を聞くというのとはまったく異なる。
小学生相手に戦場体験を話すのが平和教育だなどというのは錯覚、せいぜい「戦場体験の非人間性は人の殺傷にある」という程度の表現にとどめておくべきだ。
『きけわだつみのこえ』、日中戦争の実態を伝えようとした元軍人たちの「日中友好元軍人の会」、中国の軍事法廷で裁かれた日本戦犯たちの苦悩、いままで正面から明らかにされなかった軍隊と性の病理、衛生兵の見た南方戦線、兵士たちが個人的に残した記録。
筆者は、埋没して(させられて)いた記録や記憶を掘り出して、その一端(核心)を紹介する。
兵士たちは、村民に火をかけて皆殺しにしたときに泣きながら出てきた幼い子供を”始末”したような、「うさぎ狩り」と称して中国人青年を拘束して日本へ強制連行したような、斥候に出て姿をみられたというだけで農夫を殺したような、アメリカの空襲が村人のスパイ行為によるものとして村人を大量処刑したような、ひとつの村を殲滅した平頂山事件のような、無数の非人間的な戦場体験を家族にも話せず、死ぬまでその記憶に苛まれるのだ。
私たちは今、太平洋戦争そのもののありのままの姿をまだ充分に検証し終えていないのではないか。
何も負の遺産を記録として残すというのではなく、改めて記憶を父とし、記録を母として、教訓という子供を生み、育てていくべきではないか。
その労を惜しむと私たちは《歴史》から復讐されるに違いない。
少なくともあの太平洋戦争を(「政治」の目ではみても)「人間」の目で見ることができない風潮は、どのような時代を生むか、私たちは覚悟を固めておかなければならない。日本社会はその覚悟が必要な時代にはいっている。
こんな本が発禁になる日が来ないかと怖れる。
国会を開かずに、資源が欲しいから、武器を売りつけたいからと独裁国家にセールスに出かける総理大臣の笑顔がオソロシイ。
筑摩書房
たとえば南京虐殺や中国戦線などの残虐行為があったことは、多くの兵士たちが(規模の差はあれ)認めているのに、「その種の残虐行為は皆無だった」と主張する論者が少なからずいるのは、戦友会などで「非日常的な戦場体験は語るな」という圧力が兵士たちにかかっていること、戦後の日本社会で一般兵士の証言が封殺されているのを逆手にとっているのだ。
そのときの筆者の自らに課した条件。
(1)戦闘体験をもつ兵士の証言は茶の間などの日常の空間で聞いてはならない。非人間的な話は話す側も聞く側もつらい。それを茶の間で聴くというのは、人間に対する侮辱だ。
(2)ひとたび証言を始めたら、ひたすら黙って聞く。聞く側が平時の感覚を持って「戦争って理不尽なのですね」などという合いの手を入れると、兵士はものがいえなくなる。
(3)基本的には匿名を条件として聞く。その兵士の証言の背景には万余の日本軍兵士の声が凝縮されていると受け止めるべきだ。
(4)その証言が真実か否かは聞き手自らがもつ尺度で判断する。どれほど忘れたくても、忘れられない記憶は、改変の施しようがなく沈殿している。こういう話を聞きだせるか否かが「聞き書き」を行う側の能力にかかっている。
(5)証言を聞いたならその重さを聞いた側もまた背負うという覚悟が必要だ。
戦闘体験を聞くというのは、自らの人生観や歴史観、さらには死生観がからんでいる。
単に戦争体験を聞くというのとはまったく異なる。
小学生相手に戦場体験を話すのが平和教育だなどというのは錯覚、せいぜい「戦場体験の非人間性は人の殺傷にある」という程度の表現にとどめておくべきだ。
筆者は、埋没して(させられて)いた記録や記憶を掘り出して、その一端(核心)を紹介する。
兵士たちは、村民に火をかけて皆殺しにしたときに泣きながら出てきた幼い子供を”始末”したような、「うさぎ狩り」と称して中国人青年を拘束して日本へ強制連行したような、斥候に出て姿をみられたというだけで農夫を殺したような、アメリカの空襲が村人のスパイ行為によるものとして村人を大量処刑したような、ひとつの村を殲滅した平頂山事件のような、無数の非人間的な戦場体験を家族にも話せず、死ぬまでその記憶に苛まれるのだ。
何も負の遺産を記録として残すというのではなく、改めて記憶を父とし、記録を母として、教訓という子供を生み、育てていくべきではないか。
その労を惜しむと私たちは《歴史》から復讐されるに違いない。
少なくともあの太平洋戦争を(「政治」の目ではみても)「人間」の目で見ることができない風潮は、どのような時代を生むか、私たちは覚悟を固めておかなければならない。日本社会はその覚悟が必要な時代にはいっている。
国会を開かずに、資源が欲しいから、武器を売りつけたいからと独裁国家にセールスに出かける総理大臣の笑顔がオソロシイ。
筑摩書房
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fusk-en25 at 2015-10-31 19:25
「資源が欲しいから。武器をうりつけたいから」
何故なんでしょうね?
国民が実は資源を欲しがっている?
国民が武器を売りつけたいからなどとまでは言いませんが。
金を儲けたい。経済が上向きになれば。。とは国民自体が思っている。。
それをどうしたらいいか?から話は始まるのではないでしょうか?
「誰かが悪い」と非難するのは最も簡単なことで
では自分がその立場なら。。。
何故なんでしょうね?
国民が実は資源を欲しがっている?
国民が武器を売りつけたいからなどとまでは言いませんが。
金を儲けたい。経済が上向きになれば。。とは国民自体が思っている。。
それをどうしたらいいか?から話は始まるのではないでしょうか?
「誰かが悪い」と非難するのは最も簡単なことで
では自分がその立場なら。。。
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saheizi-inokori at 2015-10-31 21:41
> fusk-en25さん、私は新自由主義の経済成長信仰を否定します。
格差が広がるだけ、大企業のための経済政策は国民を幸せにはしないと思います。
内需を増やすためには労働者や貧困階層に手厚くしないと社会の活性化はできないと思います。
軍需よりも社会保護政策に税金を使った方が経済は活性化すると思うのです。
なによりも立憲主義を否定するような金儲け主義では国民が生き生きと暮らせるはずがないです。
格差が広がるだけ、大企業のための経済政策は国民を幸せにはしないと思います。
内需を増やすためには労働者や貧困階層に手厚くしないと社会の活性化はできないと思います。
軍需よりも社会保護政策に税金を使った方が経済は活性化すると思うのです。
なによりも立憲主義を否定するような金儲け主義では国民が生き生きと暮らせるはずがないです。
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unburro at 2015-11-01 01:20
国会議員が国会から逃げているような国で、
ハロウィンとかいいながら意味も無く仮装して騒いでいる若者たちは、
幕末の、「いいじゃないか」のようです。
自分たちの保身や利益、先祖代々の幻想に囚われている所は、
末期の江戸幕府も今の政府も、同じなのでしょう。
だから、ニセモノの「維新」が、出てくるのかな、イヤダイヤダ。
ハロウィンとかいいながら意味も無く仮装して騒いでいる若者たちは、
幕末の、「いいじゃないか」のようです。
自分たちの保身や利益、先祖代々の幻想に囚われている所は、
末期の江戸幕府も今の政府も、同じなのでしょう。
だから、ニセモノの「維新」が、出てくるのかな、イヤダイヤダ。
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平名
at 2015-11-01 04:10
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個人の責任と国の責任は明らかに違う、、 此れをゴッチャにして運営をして行くのが政治屋さん 政治家と政治屋さんの区別は、なかなか難しい。 家屋を大切にか? 竪穴式に戻るか?
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hisako-baaba at 2015-11-01 06:25
ドイツがやった総括を、してこなかった日本。
臭いものに蓋をして、先進国になったと威張ってきた。
だから今みたいな政治家が出現したのでしょうか?
南京事件は兄も現地で、実行した兵士からいろいろ聞いたそうです。否定しようのない事実なのに、否定したがる戦後生まれたち。
これで外交ができるのでしょうか。
歴史から教訓を得る方向にどうしたら進めるのでしょうか?
目黒銀座懐かしいです。相変わらず電線だらけでしょうね。
目黒でシャンソン羨ましい! 良いお仲間が多いですね。
祐天寺で20年近く育ちましたが、昔の面影はないようです。
臭いものに蓋をして、先進国になったと威張ってきた。
だから今みたいな政治家が出現したのでしょうか?
南京事件は兄も現地で、実行した兵士からいろいろ聞いたそうです。否定しようのない事実なのに、否定したがる戦後生まれたち。
これで外交ができるのでしょうか。
歴史から教訓を得る方向にどうしたら進めるのでしょうか?
目黒銀座懐かしいです。相変わらず電線だらけでしょうね。
目黒でシャンソン羨ましい! 良いお仲間が多いですね。
祐天寺で20年近く育ちましたが、昔の面影はないようです。
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ikuohasegawa at 2015-11-01 08:12
発禁にならぬうちに読みます。
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saheizi-inokori at 2015-11-01 08:58
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saheizi-inokori at 2015-11-01 08:59
> 平名さん、昨今、政治家という名にふさわしい人がいるのでしょうか。
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saheizi-inokori at 2015-11-01 09:02
> hisako-baabaさん、あれほど明白な事実を無根というのですから、呆れるよりも怖さを感じます。
目黒銀座の近くには私も20年ほど前にいましたが、ずいぶんおしゃれになりました。
それでも昔ながらの店があるのが嬉しいです。
目黒銀座の近くには私も20年ほど前にいましたが、ずいぶんおしゃれになりました。
それでも昔ながらの店があるのが嬉しいです。
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saheizi-inokori at 2015-11-01 09:04
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kanafr at 2015-11-04 11:53
>非人間的な話は話す側も聞く側もつらい。
非人間的な体験話だからこそ、話す側は、話す勇気を持ち、聞く側は最後まで聞く勇気を持たなければいけないと思います。
戦争は、国を守ると言うお題目で、人としての良心を殺さなきゃいけないって事を伝えるべきですよね。
非人間的な体験話だからこそ、話す側は、話す勇気を持ち、聞く側は最後まで聞く勇気を持たなければいけないと思います。
戦争は、国を守ると言うお題目で、人としての良心を殺さなきゃいけないって事を伝えるべきですよね。
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saheizi-inokori at 2015-11-06 22:20
by saheizi-inokori
| 2015-10-31 12:14
| 今週の1冊、又は2・3冊
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