皇室敬慕のはずの安倍が明仁天皇に対立し続けるワケ 豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本」(3)
2015年 10月 20日
今日は美智子皇后の81歳の誕生日だ。
朝日新聞には両陛下がジョギングしている微笑ましい写真を添えて皇后の宮内記者会の質問に対する文書回答の概要が紹介されている。
戦後70年、「改めて当時を振り返る節目の年」として、次世代やその次の世代の人たちが、「真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています」と述べた。
さらに、天皇と太平洋の激戦地・パラオを訪れ、戦死者の霊に祈りを捧げたことを、忘れられない思い出とし、原爆被害を受けた人、常総の水害被害などにも触れ、
この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く、その人たちにとり、死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを、改めて深く考えさせられた一年でした。
と、慈しみに満ちた深い言葉を述べている。
(近所にできた小さな八百屋「KAISAI」が、一周年を迎えた。カミさんとお祝いに行った)
一昨日から紹介している、豊下楢彦の「昭和天皇の戦後日本」の第三章「明仁天皇の立ち位置」には、明仁天皇の立ち位置の原点は、昭和前半期の戦争の時代を明確に総括しきることなしには戦後の日本の歩みはあり得ないということであろうとし、それは安倍がいう「戦後レジームの脱却」ではなく「戦前レジームからの脱却」をいかに果たすかが問題だという。
その上で明仁天皇(と美智子皇后)がいかにその課題に真摯に取り組んでいるかを書いている。
(一周年を寿ぎ母親が作ってくれたというマスコット)
まず、悲惨な戦争の記憶を風化させないこと。
明仁天皇は皇太子時代に、「どうしても記憶しなければならない四つの日」として、沖縄戦終結(6月23日)、広島原爆投下(8月6日)、長崎原爆投下(8月9日)、終戦(8月15日)をあげて、その日は極力公務をいれず、黙祷を捧げていると述べた。
沖縄戦終結の日に黙祷する日本人は何人いるだろう。
天皇になってから、「地上戦により島民の三分の一が亡くなったこと、平和条約が発効し、日本の占領期間が終わった後も二十年間にわたって米国の施政権下にあったこと、このような沖縄の歴史を深く認識することが、復帰に努力した沖縄の人々に対する本土の人々の務めである」と発言している。
俺が聴けば当たり前のような
あまつさえ、美智子皇后は同じ2013年、明治憲法の公布に先立って、民間の人々が作った「五日市憲法草案」に触れ、「長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないか」と語っている。
現憲法は押し付けの所産ではなく、その背景に明治以来の底辺からの民権意識があるとの認識なのだ。
(近所のカフエ)
靖国参拝について、安倍は国会で「国のリーダーとして当然(なすべきこと)」と言う。
しかし、国の象徴たる天皇は昭和・平成ともに40年近く参拝していないのだから、安倍の国会発言は天皇批判だ。
1987年明治天皇の聖旨にもとづいて創建された靖国神社は当初「東京市民の憩いの場」と言う程度のものだった。
それが、日中戦争の前後から、現人神・天皇を信仰の対象とする『国家神道』の称揚の中で、「天皇のために立派に戦死した英霊を祀る」という軍国主義の強い施設に変貌した。
名誉の戦死が囃され、「死んで靖国に祀られる」が戦地に出かける若者の合言葉になったのだ。
本来は、戦争を総括する際にはこうした靖国神社の在り方も根底から捉えなおされるべきだった、と豊下は指摘する。
安倍の靖国参拝の論理は、明仁天皇が脱却しようとしている「1930年代から終戦まで」の論理を公然と復活させようとする。
問題は、A級戦犯の合祀とか、中国や韓国への対応といったレベルに止まるものではなく、国民精神総動員の時代を我々自身がいかに総括するか、ということにある。
豊下の言葉に、まったく同感だ。
(由比)
税金で賄われる国立大学で国旗掲揚・国歌斉唱はなされるべきだとの安倍発言。
税金を持ち出すならば国立大学だけでなく国から補助金・助成を受けている団体・組織は無数に存在する。
そして、日本人なら当然だ、と税金が入っているから、の論理が多様性を否定し社会を一色に染め上げ、排外主義と結びつく。
かつて東京都教育委員をしていた米長邦雄の「国旗掲揚と国歌斉唱をさせることが私の仕事」発言に「強制になるということは望ましくない」と明仁天皇は批判した。
多様な見方の保証こそ天皇の信念なのだ。
(沼津)
すべて明仁天皇の「御意」に反する。
「天皇の元首化」を憲法草案に歌い、「皇室の敬慕」を運動の中心に据える日本会議=安倍政権は、なぜかくも御意に反する言動を繰り返すのか。
それは結局のところ、天皇の「政治利用」という立場にたっているからである。さらに言えば、「1930年代から終戦までの間」の国家体制への”郷愁”が根底にあるからである。自由で民主主義の体制が前提におかれながら、「日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない」と、学校のレベルをこえて一般社会にまで「尊重義務」を課し、「国家の論理」によって個人の思想・信条にまで深く介入するような国家のあり方が提起されているところに、問題の本質が鮮明に示されている。
(名古屋駅)
さすがにアメリカも危機感を募らせる安倍の歴史修正主義(=東京裁判とサンフランシスコ条約体制の否定)。
日本は戦後最大の岐路に立っている。
朝日新聞には両陛下がジョギングしている微笑ましい写真を添えて皇后の宮内記者会の質問に対する文書回答の概要が紹介されている。
戦後70年、「改めて当時を振り返る節目の年」として、次世代やその次の世代の人たちが、「真剣に戦争や平和につき考えようと努めていることを心強く思っています」と述べた。
さらに、天皇と太平洋の激戦地・パラオを訪れ、戦死者の霊に祈りを捧げたことを、忘れられない思い出とし、原爆被害を受けた人、常総の水害被害などにも触れ、
この世に悲しみを負って生きている人がどれ程多く、その人たちにとり、死者は別れた後も長く共に生きる人々であることを、改めて深く考えさせられた一年でした。
と、慈しみに満ちた深い言葉を述べている。
一昨日から紹介している、豊下楢彦の「昭和天皇の戦後日本」の第三章「明仁天皇の立ち位置」には、明仁天皇の立ち位置の原点は、昭和前半期の戦争の時代を明確に総括しきることなしには戦後の日本の歩みはあり得ないということであろうとし、それは安倍がいう「戦後レジームの脱却」ではなく「戦前レジームからの脱却」をいかに果たすかが問題だという。
その上で明仁天皇(と美智子皇后)がいかにその課題に真摯に取り組んでいるかを書いている。
まず、悲惨な戦争の記憶を風化させないこと。
明仁天皇は皇太子時代に、「どうしても記憶しなければならない四つの日」として、沖縄戦終結(6月23日)、広島原爆投下(8月6日)、長崎原爆投下(8月9日)、終戦(8月15日)をあげて、その日は極力公務をいれず、黙祷を捧げていると述べた。
沖縄戦終結の日に黙祷する日本人は何人いるだろう。
天皇になってから、「地上戦により島民の三分の一が亡くなったこと、平和条約が発効し、日本の占領期間が終わった後も二十年間にわたって米国の施政権下にあったこと、このような沖縄の歴史を深く認識することが、復帰に努力した沖縄の人々に対する本土の人々の務めである」と発言している。
俺が聴けば当たり前のような
ことだが、安倍政権が平和条約発効の4月28日を「主権回復の日」と定め記念式典を挙行したことを考えると、安倍は「本土の人々の務め」を欠いていることになり、厳しい言葉だと言える。
明仁天皇は皇太子時代に、「昔の日本では、人々は天皇に対し多様な見方を持っていたが、1930年代から終戦までの間は、国民は一つの天皇観しか持つことができなかった」と述べ、2009年には、「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」と語った。
さらに、2013年には「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」と、現憲法は「GHQが急いで作った代物」とする安倍首相の認識とは対極にある認識を明快に語った。
さらに、2013年には「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し、かつ、改善していくために当時の我が国の人々の払った努力に対し、深い感謝の気持ちを抱いています」と、現憲法は「GHQが急いで作った代物」とする安倍首相の認識とは対極にある認識を明快に語った。
あまつさえ、美智子皇后は同じ2013年、明治憲法の公布に先立って、民間の人々が作った「五日市憲法草案」に触れ、「長い鎖国を経た19世紀末の日本で、市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして、世界でも珍しい文化遺産ではないか」と語っている。
現憲法は押し付けの所産ではなく、その背景に明治以来の底辺からの民権意識があるとの認識なのだ。
靖国参拝について、安倍は国会で「国のリーダーとして当然(なすべきこと)」と言う。
しかし、国の象徴たる天皇は昭和・平成ともに40年近く参拝していないのだから、安倍の国会発言は天皇批判だ。
1987年明治天皇の聖旨にもとづいて創建された靖国神社は当初「東京市民の憩いの場」と言う程度のものだった。
それが、日中戦争の前後から、現人神・天皇を信仰の対象とする『国家神道』の称揚の中で、「天皇のために立派に戦死した英霊を祀る」という軍国主義の強い施設に変貌した。
名誉の戦死が囃され、「死んで靖国に祀られる」が戦地に出かける若者の合言葉になったのだ。
本来は、戦争を総括する際にはこうした靖国神社の在り方も根底から捉えなおされるべきだった、と豊下は指摘する。
安倍の靖国参拝の論理は、明仁天皇が脱却しようとしている「1930年代から終戦まで」の論理を公然と復活させようとする。
問題は、A級戦犯の合祀とか、中国や韓国への対応といったレベルに止まるものではなく、国民精神総動員の時代を我々自身がいかに総括するか、ということにある。
豊下の言葉に、まったく同感だ。
税金で賄われる国立大学で国旗掲揚・国歌斉唱はなされるべきだとの安倍発言。
税金を持ち出すならば国立大学だけでなく国から補助金・助成を受けている団体・組織は無数に存在する。
そして、日本人なら当然だ、と税金が入っているから、の論理が多様性を否定し社会を一色に染め上げ、排外主義と結びつく。
かつて東京都教育委員をしていた米長邦雄の「国旗掲揚と国歌斉唱をさせることが私の仕事」発言に「強制になるということは望ましくない」と明仁天皇は批判した。
多様な見方の保証こそ天皇の信念なのだ。
すべて明仁天皇の「御意」に反する。
「天皇の元首化」を憲法草案に歌い、「皇室の敬慕」を運動の中心に据える日本会議=安倍政権は、なぜかくも御意に反する言動を繰り返すのか。
それは結局のところ、天皇の「政治利用」という立場にたっているからである。さらに言えば、「1930年代から終戦までの間」の国家体制への”郷愁”が根底にあるからである。自由で民主主義の体制が前提におかれながら、「日本国民は、国旗及び国家を尊重しなければならない」と、学校のレベルをこえて一般社会にまで「尊重義務」を課し、「国家の論理」によって個人の思想・信条にまで深く介入するような国家のあり方が提起されているところに、問題の本質が鮮明に示されている。
さすがにアメリカも危機感を募らせる安倍の歴史修正主義(=東京裁判とサンフランシスコ条約体制の否定)。
日本は戦後最大の岐路に立っている。
安部は籾井とか横畠みたいなのを宮中に送り込むのかも知れない。
岩波書店
岩波書店
Commented
by
ikuohasegawa at 2015-10-20 13:51
衝撃の書。読まねばなりません。
天皇を都合のよいときだけに利用している輩は許せぬ。
天皇を都合のよいときだけに利用している輩は許せぬ。
0
Commented
by
saheizi-inokori at 2015-10-20 22:14
> ikuohasegawaさん、天皇制の危うさかもしれないです。
Commented
by
HOOP at 2015-10-20 22:52
国会議員がこぞって参拝するのが、伊勢神宮ではなく靖国神社であるというところに、皇室をないがしろにする本性が現れている。
まさに今、長州の世の中であるということを、国民一般に知らしめんとのことなのだろう。
加藤一億総括役担当大臣も、伊勢神宮には見向きもしないくせに、靖国神社には参拝する。
皇室ではなく、長州に忠誠を誓う輩だ。
まさに今、長州の世の中であるということを、国民一般に知らしめんとのことなのだろう。
加藤一億総括役担当大臣も、伊勢神宮には見向きもしないくせに、靖国神社には参拝する。
皇室ではなく、長州に忠誠を誓う輩だ。
Commented
by
j-garden-hirasato at 2015-10-21 07:08
Commented
by
tona
at 2015-10-21 09:24
x
両陛下の戦死者の霊に祈りをささげる旅姿、東日本大震災をはじめ、国内の災害者に寄り添い、お出かけになって励まされる姿は、私たちの象徴であったとよかったとお姿を見て感動しています。
しかし正反対の安倍政権をなんとか阻まなくては、天皇家の思いを土足で蹴散らしているような感じを払拭できません。
しかし正反対の安倍政権をなんとか阻まなくては、天皇家の思いを土足で蹴散らしているような感じを払拭できません。
Commented
by
saheizi-inokori at 2015-10-21 10:19
Commented
by
saheizi-inokori at 2015-10-21 10:21
Commented
by
saheizi-inokori at 2015-10-21 10:25
Commented
by
namiheiii at 2015-10-21 13:07
天皇ご夫妻のお考えに敬意を表します。安倍政権の支持が続くのは日本人として恥ずかしく蒙昧なことだと言うしかありません。
Commented
by
saheizi-inokori at 2015-10-21 22:16
Commented
by
kanafr at 2015-10-22 10:36
皇太子時代に記憶しなければいけない4つの日として、沖縄戦終結の日を忘れずにいらした事に、深く感動しました。
天皇ご夫妻の行動やお考えに深い尊敬の念を抱いております。
そして、私自身、その沖縄戦終結の日を知らずにいた事、赤面しております。
こんなにも慈愛に満ちた皇后陛下のお言葉さえも心に届かず、第二次大戦の悲劇を忘れ、福島を忘れ、戦争に向かって行こうとする安倍を支持するのは、なぜなんでしょうね。
天皇ご夫妻の行動やお考えに深い尊敬の念を抱いております。
そして、私自身、その沖縄戦終結の日を知らずにいた事、赤面しております。
こんなにも慈愛に満ちた皇后陛下のお言葉さえも心に届かず、第二次大戦の悲劇を忘れ、福島を忘れ、戦争に向かって行こうとする安倍を支持するのは、なぜなんでしょうね。
Commented
by
saheizi-inokori at 2015-10-22 12:04
Commented
by
sheri-sheri at 2015-10-24 12:45
支持率って信用できるのですか・・・?
Commented
by
saheizi-inokori at 2015-10-24 21:29
> sheri-sheriさん、傾向としては当たっているのではないでしょうか。
by saheizi-inokori
| 2015-10-20 13:14
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
Trackback
|
Comments(14)