リアリスト・昭和天皇はいかにして憲法・安保体制を作ったか 豊下楢彦「昭和天皇の戦後日本 《憲法・安保体制》にいたる道」(1)

昭和天皇が初めてマッカーサーと会見したときに、「戦争の全責任は自分にある」と言明し、その言葉にマッカーサーは「骨のズイまでゆり動かされた」、という有名な「美談」はマッカーサーが80歳を越えたときに書かれた回想記による。
ところが、この回想は、英国やソ連が天皇を戦犯リストの筆頭にあげていたとか、まだ決まっていない東京裁判のことを前提にするなどの明らかな誤りがあり、信用がおけない。
この回想記について、「文藝春秋」が、”功なり名をとげたお年寄りの単なる自慢話”と評する所以だ。
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昭和天皇はマッカーサーに会う二日前にニューヨークタイムスのクルックホーン支局長と謁見している。
クルックホーンこそ昭和天皇が戦後初めて謁見した外国人なのだ。
なぜ、一ジャーナリストにこのような異例な措置が取られたか?
クルックホーンは謁見に先立ち、「米英両国に対する宣戦の渙発経緯」などについて質問状が出され、その回答が文書でなされた。
実際の謁見は5分程度であったが、問題の核心はその質問と回答にあった。
「昭和天皇実録」には、その回答が

東条英機が使用した如く宣戦の詔書が使用されるとは予期せらりざりし旨を記す

とある。
要するに、真珠湾への攻撃は昭和天皇の意に反して東条が主導したものであった、と言ってるのだ。
そしてこういう回答がニューヨークタイムズ紙を介して世界に広がることはマッカーサーの意図するところでもあった。
マッカーサーは天皇の権威を利用して円滑に占領を遂行するために、立憲君主・天皇は戦争責任はなく、その罪は東条以下にあるとしなければならなかった。
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(10月15日朝日新聞)

昭和天皇の最大の関心事は「皇統の維持」、天皇制が維持されることであったから、自分が戦犯として処刑されることは何が何でも避けなければならなかった。
だから全責任を負うなどとは言うわけがなかった。
昭和天皇は英国王室にもメッセージを送り、東条批判をしている。

マッカーサーは昭和天皇を訴追せずにすませ、天皇制を維持するためには、憲法の抜本的改正、とくに第9条によって日本が軍備を捨てたことを世界に明らかにする必要があると考え、ワシントンに極東委員会ができてソ連など天皇制に否定的な国が憲法改正作業に加わる前に、急いでGHQによる改正案を作ってしまう必要があった。
それは、天皇の考えと一致した。
天皇は「新憲法作成への助力に対する謝意」をマッカーサーとの二回目の会見で表明している(国会審議も始まっていない段階)。
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(焼津駅前の足湯)

東京裁判を乗り越えたあとの昭和天皇にとっての関心事は冷戦下にあって、共産主義の脅威に対抗していくことだった。
天皇はマッカーサーや吉田茂の”頭越し”にワシントン(=ダレス)との間で「非公式のチャネル」を形成し安保条約(と日米行政協定)の締結に、(象徴天皇であっても)主体的に動く。
講和条約成立後の日本にアメリカの基地を置くこと、沖縄の占領を続けさせることは天皇にとって、日本から頭を下げてアメリカに保障してもらわなければならないことであった。

講和条約、とりわけその詳細な取り決めに関する最終的な行動がとられる以前に、日本の国民を真に代表し、永続的で両国の利害にかなう講和問題の決着にむけて真の援助をもたらすことのできる、そのような日本人による何らかの形態の諮問会議が設置されるべきであろう。

朝鮮戦争勃発の翌日、天皇が側近の松平慶民からパケナムを介してダレスに伝えたメッセージである。
そしてこのメッセージはトルーマン大統領の顧問の要請で文書化される。
鳩山一郎、野村吉三郎、石橋湛山などが”そのような日本人”として推挙され、鳩山チームとパケナムたちは10回近く打ち合わせを行い、ダレスとも会談する。
当時の鳩山は「政治的追放をされている者の大多数が米国の軍事力を支持している」と述べた。
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(用宗漁港、シラス漁の帰港)

朝鮮戦争を戦うアメリカにとっても基地提供は必要なのだから、基地提供は双方に五分五分の利益をもたらすとして、基地提供を交渉の取引カードに使おうとする吉田茂のやり方は認められないというのが天皇の考えだった。
再軍備(をしないこと)が日米交渉の最大のテーマで、それを勝ち取ったのが吉田茂だったと言う通説に対して、
アメリカの全土基地化・自由使用の権利獲得こそ最大のテーマであり、吉田はカードを切り損ね、天皇は最初からそれを望んでいたというのが筆者。
朝鮮戦争が終結することを、米軍の日本からの撤退の恐れと結び付けて心配する天皇だった。

まさに戦後の憲法・安保体制は昭和天皇のイニシャティブによってつくられチエックし続けられた。
幼い頃から帝王学を学び、戦時中は自ら短波ラジオに耳を傾けて国際情勢の把握に余念のなかった昭和天皇は驚くべきリアリストでもあり、皇統の維持と言う至上目的のために、内閣を飛び越え直接マッカーサーと、さらにはそのマッカーサーをも飛び越えて天皇の外交を展開していったのだ。

昭和天皇とダレスの関係は、

(講和条約と安保条約が発効した祝典から)「ちょうど帰ったばかりのダレス」は、「然るべきチャネル」を通して昭和天皇に個人メッセージを送り、そこで「達成された成果への大いなる満足」と、天皇が「双方に関係する諸問題について、互いに議論し合う機会を数回も与えられたことへの感謝」の意を表明し(た)

と実録に記されていることに示される。
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(由比、安藤広重美術館前)

「昭和天皇実録」で明らかになった事実と関係者の日記や証言を丹念に突き合わせた衝撃の書。
この年になって、新たな昭和史の事実を知った。
本を読む喜びを感じる。

岩波書店

Commented by ほめ・く at 2015-10-18 21:40 x
昭和天皇の戦争責任を免罪し、東條以下に全ての罪を負わせるという筋書きで行われたのが東京裁判という政治ショー。新憲法に天皇制維持を明記させ、日本のどこでも米軍基地を自由に使用させる代わりに共産主義の脅威から天皇制を守って貰う事を目的としたサンフランシスコ体制(安保体制)の骨格を構築したのは全て昭和天皇の政治力です。日本の「戦後レジーム」は米国政府と昭和天皇の合作です。その脱却を唱えるのが安倍晋三というのは、最早ジョークでしかありません。
Commented by j-garden-hirasato at 2015-10-19 06:49
見覚えがある場所の写真で(黒潮温泉以外)、
嬉しくなりました。
静岡、いいところでしょ?
Commented by ikuohasegawa at 2015-10-19 08:22
衝撃の書。読まねばなりません。
Commented by saheizi-inokori at 2015-10-19 10:35
> ほめ・くさん、さすが、ご存知でしたか。私は天皇についてもっと浅はかな観方をしていたのです。
国会も知らないところで、、ますます問題ですね。
Commented by saheizi-inokori at 2015-10-19 10:37
> j-garden-hirasatoさん、いいところですね。
静岡出身の昇太や鯉昇と言う落語家がいつも静岡自慢をするわけです。
Commented by saheizi-inokori at 2015-10-19 10:38
> ikuohasegawaさん、一読も二読もする必要があると思います。
Commented by c-khan7 at 2015-10-19 14:06
戦時中、陛下はどのような立ち位置だったのでしょう??
戦意高揚の旗印だけの存在だったのか、、
まさに、激動の昭和史ですね。
Commented by at 2015-10-19 14:51 x
311以後、少しずつ、どろどろと吹き出して来た物が自分の中で形作ることが出来ぬ。
習ったこと、TVで見て来たこと、皆、信じられない。
もぉ、何が何だか解らない。どれもこれも憶測なんか?
旅から帰って、更に困難。どないしたらええんや?
Commented by saheizi-inokori at 2015-10-19 18:19
> c-khan7さん、保坂正康が「昭和天皇は平和主義者ではないし、戦争主義者でもありません。彼にとって一番大事なのは「皇統(皇室を中心とした日本の歴史)」を守ることです。そのために必要とあれば、一生懸命戦争する。戦争をして「このままでは皇統を守れない」と思えば、懸命に終戦の道を探る。それが実像です」と指摘している(「毎日新聞」2014年9月9日)。
豊下はこの言葉を「まさに正鵠を得ている」と評しています。
Commented by saheizi-inokori at 2015-10-19 18:22
> 蛸さん、そういう状況に乗じて日本の現代史を創り変えようとしているのが安倍たち歴史修正主義者だと思います。
負けないように勉強するしかないのでしょう。
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by saheizi-inokori | 2015-10-18 13:31 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(10)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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