野党は憲法53条に基づき国会開催を要求せよ、といいつつ笑組を聴きに行く
2015年 10月 13日
憲法第53条には、「いづれかの議院の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」とある。
なぜ、野党は臨時国会開催を要求しないのか?!
違憲立法を違法な手続きで成立させた、いわば憲法クーデターの状態を糺そうとしないのか。
こうした闘うべき政党が闘わない姿が、安倍の支持率回復につながり、隠居・俺をしてぶらり旅に行かしめ、昨日は町屋に漫才を聴きにいかせる(言い訳するなって)。
「町屋といえば葬儀場」なんて失礼なことを言ったMちゃん、町屋は好い街ですよ。
都電が走って、いい古本屋があって、いい銭湯がある。
ほどよい混雑の銭湯、色落ちしそうなシャツを手洗いしたら痛くなった腰を、ゆっくりジエットに当てる。
じんわり良くなっていく。
次は漫才で内からほぐす。
町屋駅にくっついている、サンポップ町屋のムーブホールが会場。
懐かしさを感じさせる婦人服売り場を見ながら3階にあがっていく。
「今日のお客様は、わたしたちの家族・親戚・友人・義理のある人、、それと僅かばかりの純粋に漫才を聴きに来てくださった方です」と、ゆたかさんの(声だけ聴くと)好い声のアナウンスがあって、幕が開く。
200人もいたかな、子供も何人かきてる。
「古典を漫才にすることをライフワークにしている」という笑組は内海桂子・好江門下でコンビを組んで30年。
まずは、「杜子春」。
ギャグをちりばめながらストーリーを、いやストーリーをなぞりながらギャグを、まあ、どっちでもいい。
杜子春が木の下に立っている、なぜか、イスがないから。
仙人が来て、影の頭のところを掘ってみよ、どうやって掘った、スコップで、スコップなんて持ってたのか、、
てな調子。
さいごにこの噺の教訓は?と投げかけておしまい。
次は笑組の弟子、すっきりソング「小言しかない!」
ファストフード、寿司屋の出前、漫才の弟子入り志願、、トボケタ若者の応対。
ボケ役のニヒルな表情がときどきデフォルメされるのが面白い。
会場は大喜び、たしかにわかりやすい、今風。
(用宗港、シラスの水揚げでいろいろ話してくれたおじさんたち)
ゆたかさんが袴をつけて登場、そのわけは、「まんざいの授業」。
藤原定家「明月記」に「まんざい」という言葉があること、太夫と才蔵で宮中に出て寿ぎをしていたが、足利時代には疎んじられ、野に下り門付で、生き延びる、それが秋田萬歳、会津萬歳、、各地の万歳となり、三河、尾張が名高い。
家康が三河萬歳を贔屓してふたたび江戸城に、わりを食った尾張萬歳は、俄か(仁輪加?)となって軽口をいれて庶民に愛される。
いずれも音曲萬歳だ。
昭和8年、エンタツ・アチャコが初めて、音曲なしのしゃべくり専門で登場、そのときから漫才と書くようにしたのは吉本喜劇の知恵。
東京では金語楼が楽屋でしゃべっている弟子を思いつきで漫才で登壇させたのが、リーガル天才・万吉。
ほとんどの漫才師が楽器を捨てたのに、断固捨てなかったのが、笑組の師匠、内海桂子・好江だった。
と言って、師匠仕込みの三味線を持って来させ、「落ちてたよ」を弾き語りするゆたかさん。
かずおさんが合いの手。
落ちてたよ、(あ~こりゃこりゃ)、落ちてたよ(あ~こりゃこりゃ)
狐の襟巻かと思って拾ったら、昼寝の赤犬だった、なんて、こういうので拍手喝采って、いい世の中だったね。
袴を脱いで(師匠のしつけだったとかずおちゃんに畳ませながら)「かっぽれ」を踊ってみせた。
(清見寺の五百羅漢)
中入り後、場内を暗くして登場、「高野聖」
妖怪についてのやや長いマクラ(って漫才でもいうのかな)。
泉鏡花原作の「高野聖」をどう漫才に仕立てるか。
原作の持つ想像力を刺激するシュールで不気味な味わいをにじませようとしたり、ギャグ(下ネタも)をいれたり、かなり苦労した感じ。
かずおちゃんも、言ってたように、「後半盛り上がった」。
「バカな」(寄席でも差別用語を使うのかな)夫の存在は、女が下界に降りて魔性を全開しないための軛(くびき)ではなかったか、とゆたかさんは締めくくった。
大衆演芸としての漫才は「軽さ」が求められる、と思う。
原作「高野聖」を読みこなした客を前提にパロデイやトンデモ解釈で笑わせるのではなく、小説の紹介を兼ねながら(というより、それも目的なのかもしれない)楽しませるのは、至難の業だ。
敢えてそういう道に挑戦する笑組の意気たるや壮!
がんばって、漫才版「高野聖」が磨き上げられることを祈る次第。
どういう客を想定するかも課題だな。
今夜はナチュラルローソンで「のり鮭弁当」をチンしてもらって店で食った。
俺も初体験也。
なぜ、野党は臨時国会開催を要求しないのか?!
違憲立法を違法な手続きで成立させた、いわば憲法クーデターの状態を糺そうとしないのか。
こうした闘うべき政党が闘わない姿が、安倍の支持率回復につながり、隠居・俺をしてぶらり旅に行かしめ、昨日は町屋に漫才を聴きにいかせる(言い訳するなって)。
都電が走って、いい古本屋があって、いい銭湯がある。
ほどよい混雑の銭湯、色落ちしそうなシャツを手洗いしたら痛くなった腰を、ゆっくりジエットに当てる。
じんわり良くなっていく。
町屋駅にくっついている、サンポップ町屋のムーブホールが会場。
懐かしさを感じさせる婦人服売り場を見ながら3階にあがっていく。
「今日のお客様は、わたしたちの家族・親戚・友人・義理のある人、、それと僅かばかりの純粋に漫才を聴きに来てくださった方です」と、ゆたかさんの(声だけ聴くと)好い声のアナウンスがあって、幕が開く。
200人もいたかな、子供も何人かきてる。
まずは、「杜子春」。
ギャグをちりばめながらストーリーを、いやストーリーをなぞりながらギャグを、まあ、どっちでもいい。
杜子春が木の下に立っている、なぜか、イスがないから。
仙人が来て、影の頭のところを掘ってみよ、どうやって掘った、スコップで、スコップなんて持ってたのか、、
てな調子。
さいごにこの噺の教訓は?と投げかけておしまい。
ファストフード、寿司屋の出前、漫才の弟子入り志願、、トボケタ若者の応対。
ボケ役のニヒルな表情がときどきデフォルメされるのが面白い。
会場は大喜び、たしかにわかりやすい、今風。
ゆたかさんが袴をつけて登場、そのわけは、「まんざいの授業」。
藤原定家「明月記」に「まんざい」という言葉があること、太夫と才蔵で宮中に出て寿ぎをしていたが、足利時代には疎んじられ、野に下り門付で、生き延びる、それが秋田萬歳、会津萬歳、、各地の万歳となり、三河、尾張が名高い。
家康が三河萬歳を贔屓してふたたび江戸城に、わりを食った尾張萬歳は、俄か(仁輪加?)となって軽口をいれて庶民に愛される。
いずれも音曲萬歳だ。
昭和8年、エンタツ・アチャコが初めて、音曲なしのしゃべくり専門で登場、そのときから漫才と書くようにしたのは吉本喜劇の知恵。
東京では金語楼が楽屋でしゃべっている弟子を思いつきで漫才で登壇させたのが、リーガル天才・万吉。
ほとんどの漫才師が楽器を捨てたのに、断固捨てなかったのが、笑組の師匠、内海桂子・好江だった。
と言って、師匠仕込みの三味線を持って来させ、「落ちてたよ」を弾き語りするゆたかさん。
かずおさんが合いの手。
落ちてたよ、(あ~こりゃこりゃ)、落ちてたよ(あ~こりゃこりゃ)
狐の襟巻かと思って拾ったら、昼寝の赤犬だった、なんて、こういうので拍手喝采って、いい世の中だったね。
袴を脱いで(師匠のしつけだったとかずおちゃんに畳ませながら)「かっぽれ」を踊ってみせた。
中入り後、場内を暗くして登場、「高野聖」
妖怪についてのやや長いマクラ(って漫才でもいうのかな)。
泉鏡花原作の「高野聖」をどう漫才に仕立てるか。
原作の持つ想像力を刺激するシュールで不気味な味わいをにじませようとしたり、ギャグ(下ネタも)をいれたり、かなり苦労した感じ。
かずおちゃんも、言ってたように、「後半盛り上がった」。
「バカな」(寄席でも差別用語を使うのかな)夫の存在は、女が下界に降りて魔性を全開しないための軛(くびき)ではなかったか、とゆたかさんは締めくくった。
原作「高野聖」を読みこなした客を前提にパロデイやトンデモ解釈で笑わせるのではなく、小説の紹介を兼ねながら(というより、それも目的なのかもしれない)楽しませるのは、至難の業だ。
敢えてそういう道に挑戦する笑組の意気たるや壮!
がんばって、漫才版「高野聖」が磨き上げられることを祈る次第。
どういう客を想定するかも課題だな。
俺も初体験也。
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笑組・ゆたか
at 2015-10-13 20:07
x
連休最終日の夜にも関わらず
ご来場ありがとうございます!!
高野聖の前の妖怪のネタは
あそこの部分だけ
寄席でもやっております。
いきなり高野聖に入るという
自信が無いので書いた物です。
高野聖はネタ卸し以来、
二度目の口演だったんですが
夜中に嬢様が動物たちを
一喝する場面で、お客様が
し~んと聞いてくださる快感が
堪らなく、堪りません!
昨日あるお客様がお帰りの際
「高野聖を読んでみようと思う」
と仰ってくださって、
『あぁやって良かった!』
と思いました。
今後も精進いたしますので
どうぞ宜しくお願いしますっ!!
愚弟へのご感想、
ありがとうございます。
愚漫才、笑組・ゆたか
ご来場ありがとうございます!!
高野聖の前の妖怪のネタは
あそこの部分だけ
寄席でもやっております。
いきなり高野聖に入るという
自信が無いので書いた物です。
高野聖はネタ卸し以来、
二度目の口演だったんですが
夜中に嬢様が動物たちを
一喝する場面で、お客様が
し~んと聞いてくださる快感が
堪らなく、堪りません!
昨日あるお客様がお帰りの際
「高野聖を読んでみようと思う」
と仰ってくださって、
『あぁやって良かった!』
と思いました。
今後も精進いたしますので
どうぞ宜しくお願いしますっ!!
愚弟へのご感想、
ありがとうございます。
愚漫才、笑組・ゆたか
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saheizi-inokori at 2015-10-13 21:29
「リーガル千太・万吉」憶えてます。荒川の『ペリ住まい』で売りましたね。まるで二人が世間話をしているような雰囲気の高座でしたが、会話の「間」が絶妙でした。東京漫才の典型でした。
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saheizi-inokori at 2015-10-14 18:04
> ほめ・くさん、この二人が楽屋で話しているのを聞いて、そのまま高座にあげたという金語楼の見る目も大したものですね。
by saheizi-inokori
| 2015-10-13 12:45
| 落語・寄席
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Comments(4)