懐かしく思いだすことは何だろう
2015年 09月 09日
運動量は医者が「散歩する必要はない」というのだから問題ないとして、排せつが問題。
オシッコはシートの上でするのに、ウンチは外に出るまでと我慢しているのだろう、ときどきとんでもないところにしてしまう。
タオルケットをたたもうとしたらコロコロ、俺がトイレに行っているわずかなすきにしやがった。
ただでさえ洗濯物が乾かないのに!
恐る恐る上目づかいですり寄ってきたから、「メ!」と言ったら、尻尾を丸めてスゴスゴ。
いつもは止めろと言ってもしつこくじゃれてくるのに、、。
邪魔が無くてストレッチはやりやすかったが、ちょいと物足りない。
水と同じで、喉が渇いていないとそうそう呑めるものではない。
難しそうなのから手をつけた。
アラン・チューリングの伝記、映画「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」に触発されたのだが、量子論やら数学の難解な議論と哲学の交錯などを、アランの思考と関わらせて書いているのが、なんとも解らない。
そういうところは飛ばして、アランの言動を追いかければいいのかもしれないが、それだったら略歴を読んだ方がマシ。
加藤の本は易しい語り口で日本の近代は江戸時代から始まっていることを書いている。
冒頭に秋田(久保田)藩における菅江真澄の事績などを紹介しているが、これは冗長な感じがしてつきあいきれない。
せっかく秋田とか角館とかの地名が出て来るのに。
分厚くても手ごわくても読みつづけたあかつきには素晴らしい眺望が待っているという予感もない。
早くこっちを、と手招きしている本もある。
思い切って図書館に返したら、すっきりした、ようで、、
なんだか宝石を間違えてゴミに出してしまったような気もするのだ。
又、借りればいいのだろうが。
昨日、紹介した映画「さようなら、人類」のことを考えていたら、
我が人生の懐かしい思い出のシーンは貧しい時代の情景が多い。
生活にゆとりができてからでも、言ってみれば貧乏くさいともいえる・些細な出来事が懐かしくてたまらない。
直江津の町を一人歩いて通り過ぎた狭い坂道だとか、学生時代にアルバイトの帰りに食った湯豆腐のこととか。
もちろん幼い子供たちとの日々のすべてとか。
ということに気がついた。
黒塗りの車で送り迎え(断ったが)されたり、一流シエフの特別料理を食い歩いたような時代もなかったわけではないが、そのたぐいのことは、「我が人生の時」ではないのだ。
他の人もそうなのだろうか。
金持ちの人が零落すると、ゼイタクな生活を「素晴らしかった」と思いだすのだろうか。
物質的に豊かであったか貧しかったかに関わらず、子供の頃は素晴らしかったのだろうか。
それとも俺は貧しくとも恵まれた環境に育ったのか。
きっとそうなんだろう。
今、育ちつつある子供たちが老人になって、同じような気持ちで「今」を思い出せるといいのだが。
公明党も自民党と同じ、全体主義に舵を切ったようだ。
田中龍作ジャーナル「学会員「安保撤回」の署名提出 公明党「会うことはない」
これって お坊ちゃまたちも子供の頃の事
老いた親の姿 それなりの今とは違う哀愁みたいなものを
思い出すんでしょうね
最近 母が縁先で背を向けて夕顔を引く姿ばかり浮かぶんですー
干瓢を煮て海苔巻にしたものが
お寿司 だと思っていました
赤い帽子とっても素敵です。
懐かしい思い出のシーン、すごく特別の日などではなく、ごくありふれた日常の一こまが多いかな。
そう思います。
さんちゃん、散歩したいんですね。
タイプは違うけれど、変人っぽいところが映画のカンパーバッチと同じ雰囲気を持っているようです。
本物のほうが、少年っぽい表情がありますね。
懐かしく思い出すこと…と振り返れば、
貧乏も贅沢も、誰と一緒だったか、が大切なのかもしれない、
と、改めて思いました。
しかし、saheiziさん、お洒落ですね!
山口瞳を、ちょっと思い出しましたよ。
赤が気に入って一冬愛用しました。
このときは大曲の友人が新玉川から八幡平を抜けて雫石まで送ってくれた、翌日50年ぶりにあった友人の家で撮った写真です。
彼は私たちを送った後田沢湖を通って帰ったのです。
今朝もサンチを抱いて外の様子を窺いましたが、だめでした。
秋田も昨夜、かなり雨が降ったようでしたが大丈夫でしたか。
テレビで竿灯をみて寝る前にスマホをみたら、そんな記事が載っていて心配しました。