深夜の腹痛は友の別れのあいさつだったのか
2015年 08月 24日
昨日の朝、ブログに投稿するのを待っていたかのように大曲の友人の逝去を知らせる電話があった。
大曲の花火を見せてやりたい、それを目標に生きている、といっていた。
俺はそれよりも早く会いに行ったが、彼はホレ見ろ、と言わんばかりに花火大会まで頑張った。
この数年、夫婦でつき合うことが多かったカミさんが嘆くことしきり。
大きな存在を喪った。
ウツケモノの俺たちは彼が亡くなってはじめて、
全的な信頼に裏付けられた、真心の付き合いの尊さ・得難さを知るのだ。
それが彼の遺した贈り物だ。
遺された俺たちが、ひとにどれだけそういう贈り物を遺していけるか。
それが彼が俺たちにしてくれたことへのお返しだ。
大曲の花火を見せてやりたい、それを目標に生きている、といっていた。
俺はそれよりも早く会いに行ったが、彼はホレ見ろ、と言わんばかりに花火大会まで頑張った。
この数年、夫婦でつき合うことが多かったカミさんが嘆くことしきり。
大きな存在を喪った。
全的な信頼に裏付けられた、真心の付き合いの尊さ・得難さを知るのだ。
それが彼の遺した贈り物だ。
遺された俺たちが、ひとにどれだけそういう贈り物を遺していけるか。
それが彼が俺たちにしてくれたことへのお返しだ。
とは言え、思いだすことのみ次から次へ、寂しい限り。
by saheizi-inokori
| 2015-08-24 13:21
| よしなしごと
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