あたくし佐平次と発します 猪野健治「テキヤと社会主義 1920年代の寅さんたち」
2015年 08月 13日
落語の「道具屋」の叔父さんは大家さんとしてデンと構えているのに、甥の与太郎のために、自分の副業でもあるという道具屋をやらせる。
その道具屋たるもの、道端に茣蓙を敷いて、「ひょろびり」、ひょろっとよろけるとびりっと破れる股引、とか火事場で拾ってきた鋸とか、ひとつとしてまともなものがない。
大家さんがどうしてそんな怪しげな道具屋に関わるのだろうかと思ったが、本書を読んで、大家はひょっとしたら香具師(やし・てきや)の親分なのじゃないかと思った。
柴又の寅さんはテキヤだ。
トランクひとつをぶら下げて全国を漂浪し、口上(タンカ)をつけていろんなものを売りさばく(タンカバイ)。
しかし、実在したテキヤ=香具師との違いは組織(親分=組・一家)の属さない一匹狼だったこと。
土木、港湾、炭鉱、鉱山などで働く下層労働者は、全国の現場を渡り歩いた。
読み書きができないから、自分の名前を書けないし名刺をもらっても読めない。
そこで「メンツウ」(仁義ともいう)、初対面の挨拶をする。
その様子は「熊谷達也「邂逅の森」」にも描かれていた。
わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、 人呼んでフーテンの寅と発します。
わたくし、不思議な縁もちまして、生まれ故郷にわらじをぬぎました。
あんたさんと御同様、東京の空の下、ネオンきらめき、ジャンズ高鳴る花の都に、仮の住まい まかりあります。
故あって、わたくし、親分子分持ちません。
(立ち退き断固拒否という家が突然こんな風に、果たして何ができるか)
受ける現場の責任者(親分)も、出身は同じように全国を旅した下層労働者だから、どんなに逼迫していても、訪ねてくる者は拒まずに受け入れ面倒を見てやることを誇りとし、生き甲斐とした。
こうした男社会の侠風を「仁義」とも称した。
香具師の面通(メンツウ)は、かなり古い歴史だと思われる。
大正9・10年頃から香具師の間にも社会主義思想をもって運動を行う人(ギシュウという)が出てきた。
当局の追及を免れて窮鳥懐に入る形でテキヤ一家にかくまわれる者、もともとのテキヤが運動に目覚める者。
関東大震災後の露天ラッシュと思想弾圧もそうした動きを強めた。
とはいえ、そもそもが親分・子分や一家意識を中核とする香具師の世界と平等・連帯の社会主義運動では水と油の面もあった。
そこを乗り越えてギシュウを匿い、活躍の場を与えるのが任侠の集団でもあった。
右翼との対立、それを巧みに利用する警察や権力側の動き。
香具師の世界・歴史についての解説も面白いが、やはり主義に殉じたテキヤの話には引き込まれる。
大震災を利用した権力側の悪辣・非道な治安対策(朝鮮人・左翼殺し)とテキヤとの駆け引き。
甘粕事件、大杉栄・伊藤野枝と一緒にいた大杉の甥・8歳をも虐殺し古井戸に投げ込んだ、に怒り、ギロチン社を結成し、関係者への報復を行うテロリスト・アナキストたちの悲壮な敗北。
とくに高嶋三治の物語は小説顔負けのスリルがある。
時の名古屋高裁裁判長(のちの最高裁判事)・三宅正太郎が独房にいる高嶋を訪ね、アナキストは世に入れられないからやめて自由に生きてみろ、と説得、名古屋の博徒の親分の身内に推薦した。
今の日本とは違う、大らかというかなんというか。
(銭湯「燕湯」の入り口に飾られていた金魚ねぷた・津軽地方の民俗だという説明が貼ってあった)
テキヤ・香具師はヤクザとは違う(例外はあるが)。
それを露店などの生活の道を絶つことにより大きな組織を持つヤクザの下でシノギを見つけざるを得なくしたのが警察の取り締まりだ。
そうしておいて、香具師の組織をも暴力団の名の下に同一視して人格を奪い、マフイア化させていく。
かくして”美しい日本”から任侠思想は影も形も亡くなってしまった。
半生記も前に横浜福富町でよく付き合っていた男が連れて歩いた流しはテキヤナントカ組所属だった。
その頃はもう暴力団だと言われていた。
ナガシはテキヤの演歌師とは違うということも本書で教えられた。
演説の歌、主義を広める歌でもあったらしい。
筑摩書房
その道具屋たるもの、道端に茣蓙を敷いて、「ひょろびり」、ひょろっとよろけるとびりっと破れる股引、とか火事場で拾ってきた鋸とか、ひとつとしてまともなものがない。
大家さんがどうしてそんな怪しげな道具屋に関わるのだろうかと思ったが、本書を読んで、大家はひょっとしたら香具師(やし・てきや)の親分なのじゃないかと思った。
トランクひとつをぶら下げて全国を漂浪し、口上(タンカ)をつけていろんなものを売りさばく(タンカバイ)。
しかし、実在したテキヤ=香具師との違いは組織(親分=組・一家)の属さない一匹狼だったこと。
土木、港湾、炭鉱、鉱山などで働く下層労働者は、全国の現場を渡り歩いた。
読み書きができないから、自分の名前を書けないし名刺をもらっても読めない。
そこで「メンツウ」(仁義ともいう)、初対面の挨拶をする。
その様子は「熊谷達也「邂逅の森」」にも描かれていた。
わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎、 人呼んでフーテンの寅と発します。
わたくし、不思議な縁もちまして、生まれ故郷にわらじをぬぎました。
あんたさんと御同様、東京の空の下、ネオンきらめき、ジャンズ高鳴る花の都に、仮の住まい まかりあります。
故あって、わたくし、親分子分持ちません。
受ける現場の責任者(親分)も、出身は同じように全国を旅した下層労働者だから、どんなに逼迫していても、訪ねてくる者は拒まずに受け入れ面倒を見てやることを誇りとし、生き甲斐とした。
こうした男社会の侠風を「仁義」とも称した。
香具師の面通(メンツウ)は、かなり古い歴史だと思われる。
大正9・10年頃から香具師の間にも社会主義思想をもって運動を行う人(ギシュウという)が出てきた。
当局の追及を免れて窮鳥懐に入る形でテキヤ一家にかくまわれる者、もともとのテキヤが運動に目覚める者。
関東大震災後の露天ラッシュと思想弾圧もそうした動きを強めた。
とはいえ、そもそもが親分・子分や一家意識を中核とする香具師の世界と平等・連帯の社会主義運動では水と油の面もあった。
そこを乗り越えてギシュウを匿い、活躍の場を与えるのが任侠の集団でもあった。
香具師の世界・歴史についての解説も面白いが、やはり主義に殉じたテキヤの話には引き込まれる。
大震災を利用した権力側の悪辣・非道な治安対策(朝鮮人・左翼殺し)とテキヤとの駆け引き。
甘粕事件、大杉栄・伊藤野枝と一緒にいた大杉の甥・8歳をも虐殺し古井戸に投げ込んだ、に怒り、ギロチン社を結成し、関係者への報復を行うテロリスト・アナキストたちの悲壮な敗北。
とくに高嶋三治の物語は小説顔負けのスリルがある。
時の名古屋高裁裁判長(のちの最高裁判事)・三宅正太郎が独房にいる高嶋を訪ね、アナキストは世に入れられないからやめて自由に生きてみろ、と説得、名古屋の博徒の親分の身内に推薦した。
今の日本とは違う、大らかというかなんというか。
テキヤ・香具師はヤクザとは違う(例外はあるが)。
それを露店などの生活の道を絶つことにより大きな組織を持つヤクザの下でシノギを見つけざるを得なくしたのが警察の取り締まりだ。
そうしておいて、香具師の組織をも暴力団の名の下に同一視して人格を奪い、マフイア化させていく。
かくして”美しい日本”から任侠思想は影も形も亡くなってしまった。
その頃はもう暴力団だと言われていた。
ナガシはテキヤの演歌師とは違うということも本書で教えられた。
演説の歌、主義を広める歌でもあったらしい。
筑摩書房
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sheri-sheri at 2015-08-13 11:19
そうなんですね。・・佐平次さんには、本当にいろいろ教えていただいてまた一つ世界が広がりました。権力側にいる人間達は、死ぬほど陰険ですが、こと、任侠の世界は奥が深かったのですね。今のようになんでも画一化されて、人間もちょっと個性があると叩かれたり、いじめられする風潮ですが、少し前までは日本の風土々も懐深く、人情があったのですね。今は、便利になりすぎ人と人の間の距離もなんだか乾いて行ってるようなご時世を感じます。もっと心から教養ある考え方のリーダーが出現して、世直ししてくれないもんでしょうかねぇ。・・・とはいえ、まずは、自分からでした。ごめんなさい。
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unburro at 2015-08-13 14:31
演歌師って、「オッペケペ」とか「まっくろけのけ」とか、「ハハ、ノンキダネ」とかの系譜の人々ですよね。
アナーキストとテキヤは、近いですよね。
とても、興味のある分野です。
小学生の頃、蝦蟇の油売りの口上を憶えて、持ちネタ?にしていました。
バナナのたたき売り、も練習したかったのですが、母親に止められました(笑) 南京玉すだれも、習得したかったのですが、あの「すだれ」がどこに売っているのかわからず、断念しました。
子供心に、テキヤとか大道芸など、旅する人々に強い憧れをもっていたのですが、サーカス団は、ちょっと苦手でした。
運動神経ゼロ、なので…
アナーキストとテキヤは、近いですよね。
とても、興味のある分野です。
小学生の頃、蝦蟇の油売りの口上を憶えて、持ちネタ?にしていました。
バナナのたたき売り、も練習したかったのですが、母親に止められました(笑) 南京玉すだれも、習得したかったのですが、あの「すだれ」がどこに売っているのかわからず、断念しました。
子供心に、テキヤとか大道芸など、旅する人々に強い憧れをもっていたのですが、サーカス団は、ちょっと苦手でした。
運動神経ゼロ、なので…
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jarippe at 2015-08-13 17:36
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saheizi-inokori at 2015-08-13 21:03
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saheizi-inokori at 2015-08-13 21:05
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saheizi-inokori at 2015-08-13 21:06
> jarippeさん、いちばんそれが欠けているのが権力者たち、特に今の政権にある連中ですね。
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kanafr at 2015-08-14 03:58
昔、東映映画で清水の次郎長の映画を見て、やくざは「強きをくじき弱きを助ける」と聞いていたのに、それがいつの間にか暴力団になって行ったのはそういう経路だったんですね。
人が人でなくなる...安倍さんもすっかり暴力団団長として君臨されたんですね。
人が人でなくなる...安倍さんもすっかり暴力団団長として君臨されたんですね。
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j-garden-hirasato at 2015-08-14 07:02
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saheizi-inokori at 2015-08-14 08:46
> kanafrさん、「義理と人情」の「義理」が」「金」になってしまうのです。
義理かけというのは冠婚葬祭にいくら金を出すかにつながって、それは大きな暴力団に属さないと負担できなくなる。
つましく露天商をしていたものが放逐されるか吸収されて行くプロセスです。
政治かも大きな派閥・権力の近くにいないと選挙資金などが保証されない、それで安倍にくっつく、同じですね。
義理かけというのは冠婚葬祭にいくら金を出すかにつながって、それは大きな暴力団に属さないと負担できなくなる。
つましく露天商をしていたものが放逐されるか吸収されて行くプロセスです。
政治かも大きな派閥・権力の近くにいないと選挙資金などが保証されない、それで安倍にくっつく、同じですね。
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saheizi-inokori at 2015-08-14 08:49
> j-garden-hirasatoさん、ガマの油売り、いろんな便利商品売りなど面白いタンカを聴かせてくれたのは庶民の楽しみでもあったのに、今は落語の世界、またはデパートでしか聴かれなくなりました。
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kogotokoubei at 2015-08-14 09:24
猪野さんの本は結構読んでいるのですが、この本は未読です。
問題の根底には「差別」がありますね。
終戦後に発生したヤミ市が封鎖され、平日(ひらび、常設露店)の禁止など働く場を取り上げられ、個々の露天商が生きていくには、親分に頼らざるを得なくなった。
映画の寅さんには、地元の親分さんとのやりとりは登場しませんが、啖呵バイの品を仕入れる場面など、見たかったなぁ(^^)
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saheizi-inokori at 2015-08-14 13:12
by saheizi-inokori
| 2015-08-13 10:53
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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