教育の本質は「気長に待つこと」 岡田斗司夫&内田樹「評価と贈与の経済学」+山本太郎の大事な質問
2015年 08月 01日
FREEexというのは彼に月一万円払って働かせてもらっている連中と作っている会社。
岡田が好きで岡田と一緒に本を書いたりしたい人が金を払うという仕組み、その代わり岡田はノーギャラ。
内田もわかったようなわからないような。
ポスト・グローバリズム、経済成長なきあとの日本の共同体・交易はどんなものになるのだろうか。
「情けは人のためならず」、人に尽くす、贈与するところから始めよ。
反対給付を期待してはだめ。
すでに自分が多くのものを贈与されていることを自覚してそれをお返しするという気持ちが大事だと。
才能がある、ナンテのは自分の手柄じゃない。
才能も恵まれたもの、っていうのは好きな考え方だ。
東大なんか出た奴は人より記憶力が良いという「お恵み」があったからと心得て少しでも世の中にお返しする生き方をすべきだと(俺は)思う。
安倍の腰ぎんちゃくになって「法的安定性」を壊すようなことを言っちゃあいけねえ(と俺は思う)。
まして砂川判決が集団的自衛権の合憲性を保証しているなどと放屁、じゃない、包皮、でもない、法匪でもいわねえ屁理屈にもならねえバカなことォ言って日本を破滅(ほろび)の道につれて行っちゃあいけねえ(これも俺の思い)。
とくに教育論。
岡田は大学不要論、一般教養なんて専門学校で付録的に教えりゃいいじゃん。
その点、内田の言葉には我が意を得たなあ。
教師が若者に絶対伝えなくてはいけないことのひとつは
彼らの中の知的な潜在資源に対してある種の敬意を示すことなんです。物理や漢文や世界史なんか、子どもにはその価値や有用性がわからない。それでいいんです。それを教えるのは、いまの君にじゃなくて、君の眠ってる知性に対してだから。そういう姿勢で接しなければ、学びということは成り立たない。(略)
学校教育の必要条件は「気長に待つ」ということ、極論すればそれだけなんです。
時代遅れの新自由主義かぶれの下村文科相などは逆立ちしてもわからないだろう。
徳間書店
昨日アップした↓山本太郎の国会質疑。
民間人を無差別に殺戮するという戦争犯罪を犯したイラク(だけじゃないけれど)の米軍。
それに対して抗議したか、これからそういうことがあったら制止するか、と問われた安倍がイラク戦争は正しかったとすれ違い答弁をした。
イラク戦争に対する総括をしないで集団的自衛権を解釈改憲で容認していいのか?
まさに、そこだね、急所は。
どんなにきれいごとをいってもイラク戦争を正当化し、追随した日本も正しかったというのなら、集団的自衛権という名で武力行使が認められたら、イラク戦争より以上の無法な殺戮に加担する道が拓けるということ。
殺られる前に殺っちまえ!
戦争の意思表示をしていない国に対しても武力行使がありうる、という安倍の言葉はその邪悪なたくらみを漏らしたものだ。
原発が攻撃された時のシュミレーションをしてない。
「国民の安全を守る」気などまったくない安倍政権。
主要メデイアが無視した山本の質問と安倍の答弁、これもぜひごらんください。
17分くらいからが佳境。
聞けば聞くほど腹が立つ
山田さんのいってる通り 彼らは都合のいいときだけ仮定想定を使い 一番想定しなければいけないものを無視する
それは彼らの利益に繋がらないからですよね
瀬戸内静寂さんが 今までで一番酷い政府だと言っているけど、まさにその通り
始めには 書類も見ず、むしろニヤニヤしていた安倍が 最後の方では書類をめくりだした、のが 笑えます
一体いつまでこんな糞に劣るチンピラを抱えていなければいけないのでしょうね
で、度胸のないやつに限って 固まる
悪の連鎖だよね
与党になっても言葉尻取られない素晴らしい政治を行えばいいだけなのにね
民主なんて ごみの掃き溜めみたいなもん
彼らには何もできないと思います
人間の質の問題ですから、修正のしようがない、、、