ウマイの三連発! らくご街道”雲助五拾三次”
2015年 06月 09日
嬉しいような困ったような気持ちでいたら目が覚めた(G7ニュースで見たアルプスの会場と新国立競技場映像の合成かもしれない)。
なんと、10時!
夕べ寝たのが11時ころ、ここ数年の長時間睡眠の新記録だ。
落語が早く終わって、買い物をした後、酒を飲まずに初めてのラーメン屋によって帰って寝たのが良かったか。
知らぬ間に疲れてもいたのか。
冷は後から利くってからね。
ガラケーの天気予報が強い雨だったからサンチの散歩はなしと、寝坊をしようと思って寝た。
夜中に二度ほど目が覚めたとはいえども、かほどに眠りつづけるとは、わが眠る体力も残っておりしか。
前座なしで、雲助「宗論」
オトッツアンが南無阿弥陀仏の浄土真宗の強い信者、賢治ならぬコータロー坊ちゃんは南無妙法蓮華経じゃなくて、アーメン・キリスト教。
「天にましますわが父なる神は私の造り主であります」妙な節をつけて歌うように言うコータロー。
「バカ云え、お前は俺と死んだ母さんが夜なべをして造ったのだ」
オトッツアンは色を成す。
「おとーさま、目覚めてください」「朝からずっと目覚めているよ」
そのまま、大山詣り
熊と仲間のケンカなどの弾け方を少し抑えていい塩梅、テンポも申し分なし。
オカミサンたちのしゃべりは雲助一流。
亭主たちが死んでしまったと騙されてみんな青々と尼さんになってしまったオカミサンたち、悲惨なはずなのだが、センダチの「みんなお毛が(怪我)なくてよかった」のさげがイイ感じで終わる。
噺家の修行、扇子のつかい方、刀のように長いものは目の動きも加えてそれらしくみせる。
同じ茶碗でも、茶を飲むときは茶碗(手真似)を口に持ってきて飲み、酒の場合は、酒飲みは意地が汚いからこぼさないように口を茶碗に近づける。
目の不自由な人、生まれついての盲人は怖いもの知らずだから杖より顔を前に出して歩き、大人になって見えなくなった人は怖いものがあることを知っているから杖を前に出してあちこち確かめながら歩く。
と言って、盲人定次郎の噺に入る。
負けん気の強い定次郎、日朝さまに21日の願をかけて目があきそうになるのだが隣で拝んでいる女の盲人にちょっかいをかけようとして元の木阿弥、「やい、日朝!やきもちを焼くんじゃない」。
石田の旦那に諭されて今度は上野の清水観音に100日の願かけ。
やっぱり駄目で、定次郎が観音様にタンカを切る。
「賽銭泥坊!」「覚えてろ!」
雷にうたれたか、気絶して、気がつくと、「ぜんざいぜんざい」、「なんだ?みはし(上野の甘味や)か?」ローカルなクスグリ、なんと千手観音様のお出まし。
三味線のハメモノ。
「こいつはイイ、直談判だ、やいやい観音様、100日の間一日も欠かさずにお参りしてお賽銭を上げたのに何で目を開けてくれないのだ?」と定次郎は威勢がいい。
「おまえは罪業因縁が悪すぎるから願をかなえてやれないのだが、お母さんの誠心誠意の信心を愛でて、平の景清がくりぬいて預けていった目玉を貸してやろう」
能で観た景清、源氏のはびこる世の中を見たくないとわれとわが目をくりぬいて観音様に預けていって、のちに尋ねてきた娘と再会する哀しい噺だった。
勇将であり、テロリストであり、乞食であり、芸能者でもあった景清の目玉が日本橋で蘇えった。
切なく暗い噺だと思っていたら、定次郎とシュールで陽気な観音さまの造型がイイから、楽しい噺になった。
ウマい酒を飲んでウマい噺を聴いてウマイ(熟睡)を貪る。
落語もウマいの三連発、俺もウマいの三連発。
ありがてえ、南無妙法蓮華経!
とは、いい話を聞きました。
明後日のために、今日飲む。
これで、いいのか、ま、いいでしょう。
「景清」とか、「犬の目」とか、
目玉(眼球)の噺は、凄いですねえ。
お孫さんの嬉しそうなお顔が印象的でした。
医学の進歩を疑う、偽りの薬、患者を裏切り、利益を食らう物達を許すな!本の帯、迫力ありですね。
昨夜は、政治家がきめた、医薬分業の事をテレビで見てました。処方箋で同じ薬なのに、院内薬局・病院の門前に並ぶ薬局・街の薬局とだんだん高くなる。院内と、病院門前に並ぶ薬局とで250円の差があり、街になるともっと高くなると言ういう事、初めて知りました。
うまい噺・うまい(上手な)熟睡・うまい酒がsaheiziさんのエネルギーをうまくコントロールしているのですね。
ほぼ毎回、二日酔いになってます(笑)。