鎌倉アカデミアをご存知ですか 鎌倉半日旅・光明寺
2015年 05月 22日
カミさんの用事にくっついて鎌倉に行った。
車で1時間、近いのに10年以上も来ていない。
なんか人ごみを連想してしまうからね。
ついでだから光明寺に行ってみようと思ったら、カーナビが狭い道を教えてくれて、変わった墓の群れが見えてきた。
江戸時代初期からのもので、大小さまざま100基以上ある墓碑や燈籠など異観だ。
写真↑は山門、弘化4年(1847)、間口約16m、奥行約7m、高さ約20mで鎌倉の寺院の門では最大の格式を備えている。
それにしては光明寺は広い境内に車を留められて拝観料も取らない、鷹揚なお寺だ。
犬を散歩させている人もいたり、市民の憩いの場という感じ。
阿弥陀仏・観音・勢至の二菩薩、釈尊(印度)善導(中国)法然・鎮西・記主(日本)の浄土宗五大祖師を石で表現されている。
右端がお釈迦様だったかな。
帰宅してから調べてみると、
これからの教育は、自分の頭で考える人間づくりにある。教育に携わる人間は、大胆に思い切った教育を進める野人の中から選び、学校は寺子屋でもいいから、文部省の中央集権的な教育統制は無視すべきであるこんなコンセプトをもとに1946年、光明寺を使用して開校。
服部之総、西郷信綱、千田是也、宇野重吉、吉野秀雄、高見順、三上次男、青江舜二郎、中村光夫、林達夫、 三浦光雄、 邦正美、藤間勘十郎などが教鞭をとった。学科は、文学科、産業科、演劇科、映画科の四学科編成だった。しかし、創立時からの資金難に加え、自治体や企業からの援助も得られず、わずか4年半しか存続できなかった。
いずみたく、鈴木清順、山口瞳、川久保潔、、いろんな人材を輩出。
そういえば山口瞳が吉野秀雄のことを書いた文章を読んだような気がする。
新しい日本、自由な日本、燃えていた時代があった。
そういう日本こそ取り戻したい。
母さんに数回、連れてってもろた。
けど、寺の名前も何所やったかも覚えてへん。
とゆう、縁がある鎌倉ですゎ,;p
60周年と同様、なにかイベントがあるかもしれません。
かまくらの学校
http://kamakuranogakkou.com/about.html
や、鎌倉・市民アカデミア、西御門サローネなどは
かつての鎌倉アカデミアとは大分性格が異なりますね。
世の中は逆の流れです。ほんとはだからこそ、なんですがね。
かまくらの学校なんてコンセプトは面白そうですね。
家のことを宿というと、叱責され家に直された、とか、
吉野が「やると思えばどこまでやるさ」という歌謡曲を聴いて、
「どこまでも」だと怒鳴った、とか・・・
同じ「ひでお」だけに許せなかったのか。
いずれにせよ、情熱的な歌人だったようです。
ぶらり歩きは忘れていたくさぐさに再会させてくれます。