旅の終わりに待っていた至芸 柳家小満んの会
2015年 05月 19日
長野、鰍沢、桧原の旅のあれこれ、思ったことなど書きたいことばかり。
でも今日は落語のお噂。
旅のくさぐさはしまっておいて発酵を待つことにしよう。
(喜多方・「志ぐれ亭」昼、大根葉を混ぜ込んだ「にしん飯」がうまい。これに手打ち蕎麦がつく)
旅の終わり、荷物は郡山駅で宅急便にして、東京駅から横浜・関内に直行。
車中で勧められた缶ビールの酔いも手伝い、正直言って予定変更して帰宅しようかと思ったくらい疲れていた。
それなのに、居眠りひとつせずに大満足の三席、行ってよかった。
行かなかったら我が落語人生の痛恨の一事になるところだった。
(喜多方、新宮熊野神社・長床、間口27メートル柱44本、棟高4・3メートルの拝殿)
開口一番は小かじの「二人旅」、明るくのびやかに勤めたあと、小満ん「大師の杵」。
西海きってのイケメンにしてスパコン頭脳の持ち主・空海が18で大学寮に入ったものの、あまりの程度の低さにあきれたか中途退学、その後の行動がはっきりしない。
だから何を言っても文句が出る気遣いはない。
おそらく「くうかい食わずにコウボウ歩いていた」んだろう。
滞在していた川崎の平間村の庄屋の娘・おもよが片思いの苦しさに耐えかねて愛の告白。
坊主は五戒を保ち、病人はおかゆで保つ。
されど、想いがいれられなければ死ぬまでと短刀を自らの喉に擬するに至っては、もはや嘘も方便、今夜忍んでいらっしゃい。
おもよがカリスマ美容師に入念に作ってもらって高鳴る胸を押さえて空海の部屋に忍びこむと、布団がこんもりと人の形、そっとはぐってみるとそこにあるのは空海ならぬ杵一本。
杵、おもよは「ついて来い、ついて来い」の謎かと一人合点して家をでる。
半狂乱になって空海を追いかけるが、とどのつまりは絶望して杵を抱いて入水自殺。
空海はわが身の罪障を強く恥じて川崎大師を建立、厄除けのお札を売る。
ただしそれは女難除けのお札。
こんなふうに書いてもあの絶妙の間で、知性と教養を軽妙洒脱でくるんで語られる弘法伝説の面白さ・味わいはほとんど伝わらない。
だから、行ってよかった。
(猪苗代湖)
小満ん「転宅」
泥坊の話題をいくつかマクラにするが「曲(くせェ)者」「臭う(仁王)か」のような定番はやらず、日清ごま油で釜茹でになった五右衛門のことから仕立て屋銀次などの「世界遺産にしたいような」スリの列伝。
見世物を夢中になって立ち見している人のくるぶしを松葉でくすぐって片足でくすぐられた足を掻く隙に下駄を自分のちびた下駄と取り換える。
もう片足も同じ手口、という知恵者・泥坊の話、映像が目に浮かぶ。
お妾さんの家に忍び込む泥ちゃん・「ミミズク小僧フクロベイ」の粋なこと、間抜けぶりまで様になってる。
帰宅して泥ちゃんを軽々とあしらうお妾さんの婀娜なこと、「203高地で大砲を撃った男」が二階にいる、「でも大砲のせいで耳が遠くなってる」だとか、泥ちゃんの財布を覗いて「猪、十円札が一枚二枚、、八枚」なんて解説抜きでさらっと言ったりするのに笑える・年を取ってるってことの優越感。
「私が三味線弾いてたら入ってらっしゃい」、「そりゃ噺家みてえだ」、こんなのもどうってことのないようで笑わせる。
煙草屋の親父とのやりとりもなんとも言えない飄逸。
他の誰も出来ない「転宅」だった。
くどいようだが、行ってよかった。
小満ん「江戸の夢」。
雑談をして時間を過ごしながらゆっくりと淹れて飲む茶の作法のこと。
新緑を満喫してきた身には格別の一服だ。
鞠子在の庄屋夫妻がどこから来たかも判然としないけれど、まめまめしく働き、気働きも優れている住み込みの店員・藤七を婿養子にする。
満ち足りた老夫婦は若い二人に留守を頼んで江戸見物に行く。
藤七は自分の作った茶葉を浅草雷門前、茶葉の目利きと、その名も高い奈良屋主人に見てもらってほしいと義父母に頼む。
奈良屋の主人はその茶葉を鑑定、「玉の露」といい、飲んだくれて死んだ息子しか知らない茶葉だという。
では、藤七は?!
いいえ、息子は死んだのです。
妻が何か言いかけると「何も言うな」とひたすら句作に耽るふりをする庄屋。
帰途につく老夫婦を奈良屋は深々とお辞儀をして見送る。
(桧原で)
落語会が終わっての居残り会で、幸兵衛さんが、この噺について、能になぞらえると庄屋夫妻はワキで藤七がシテだという見方があると教えてくれた。
その一言で、藤七という人物にある種の異界性も感じられて、小満んの芸を反芻することができた。
というわけで、「軽くにしようね」という前約束はすっかり忘却の彼方へ。
やっぱり行ってよかったのだ。
でも今日は落語のお噂。
旅のくさぐさはしまっておいて発酵を待つことにしよう。
旅の終わり、荷物は郡山駅で宅急便にして、東京駅から横浜・関内に直行。
車中で勧められた缶ビールの酔いも手伝い、正直言って予定変更して帰宅しようかと思ったくらい疲れていた。
それなのに、居眠りひとつせずに大満足の三席、行ってよかった。
行かなかったら我が落語人生の痛恨の一事になるところだった。
開口一番は小かじの「二人旅」、明るくのびやかに勤めたあと、小満ん「大師の杵」。
西海きってのイケメンにしてスパコン頭脳の持ち主・空海が18で大学寮に入ったものの、あまりの程度の低さにあきれたか中途退学、その後の行動がはっきりしない。
だから何を言っても文句が出る気遣いはない。
おそらく「くうかい食わずにコウボウ歩いていた」んだろう。
滞在していた川崎の平間村の庄屋の娘・おもよが片思いの苦しさに耐えかねて愛の告白。
坊主は五戒を保ち、病人はおかゆで保つ。
されど、想いがいれられなければ死ぬまでと短刀を自らの喉に擬するに至っては、もはや嘘も方便、今夜忍んでいらっしゃい。
おもよがカリスマ美容師に入念に作ってもらって高鳴る胸を押さえて空海の部屋に忍びこむと、布団がこんもりと人の形、そっとはぐってみるとそこにあるのは空海ならぬ杵一本。
杵、おもよは「ついて来い、ついて来い」の謎かと一人合点して家をでる。
半狂乱になって空海を追いかけるが、とどのつまりは絶望して杵を抱いて入水自殺。
空海はわが身の罪障を強く恥じて川崎大師を建立、厄除けのお札を売る。
ただしそれは女難除けのお札。
こんなふうに書いてもあの絶妙の間で、知性と教養を軽妙洒脱でくるんで語られる弘法伝説の面白さ・味わいはほとんど伝わらない。
だから、行ってよかった。
小満ん「転宅」
泥坊の話題をいくつかマクラにするが「曲(くせェ)者」「臭う(仁王)か」のような定番はやらず、日清ごま油で釜茹でになった五右衛門のことから仕立て屋銀次などの「世界遺産にしたいような」スリの列伝。
見世物を夢中になって立ち見している人のくるぶしを松葉でくすぐって片足でくすぐられた足を掻く隙に下駄を自分のちびた下駄と取り換える。
もう片足も同じ手口、という知恵者・泥坊の話、映像が目に浮かぶ。
お妾さんの家に忍び込む泥ちゃん・「ミミズク小僧フクロベイ」の粋なこと、間抜けぶりまで様になってる。
帰宅して泥ちゃんを軽々とあしらうお妾さんの婀娜なこと、「203高地で大砲を撃った男」が二階にいる、「でも大砲のせいで耳が遠くなってる」だとか、泥ちゃんの財布を覗いて「猪、十円札が一枚二枚、、八枚」なんて解説抜きでさらっと言ったりするのに笑える・年を取ってるってことの優越感。
「私が三味線弾いてたら入ってらっしゃい」、「そりゃ噺家みてえだ」、こんなのもどうってことのないようで笑わせる。
煙草屋の親父とのやりとりもなんとも言えない飄逸。
他の誰も出来ない「転宅」だった。
くどいようだが、行ってよかった。
新茶つぐそのしたたりを惜しみつつ虚子の句から、茶の歴史、煎茶趣味が江戸半ばに明・宋から入ってきたことなどを語る。
雑談をして時間を過ごしながらゆっくりと淹れて飲む茶の作法のこと。
新緑を満喫してきた身には格別の一服だ。
鞠子在の庄屋夫妻がどこから来たかも判然としないけれど、まめまめしく働き、気働きも優れている住み込みの店員・藤七を婿養子にする。
満ち足りた老夫婦は若い二人に留守を頼んで江戸見物に行く。
藤七は自分の作った茶葉を浅草雷門前、茶葉の目利きと、その名も高い奈良屋主人に見てもらってほしいと義父母に頼む。
奈良屋の主人はその茶葉を鑑定、「玉の露」といい、飲んだくれて死んだ息子しか知らない茶葉だという。
では、藤七は?!
いいえ、息子は死んだのです。
妻が何か言いかけると「何も言うな」とひたすら句作に耽るふりをする庄屋。
帰途につく老夫婦を奈良屋は深々とお辞儀をして見送る。
落語会が終わっての居残り会で、幸兵衛さんが、この噺について、能になぞらえると庄屋夫妻はワキで藤七がシテだという見方があると教えてくれた。
その一言で、藤七という人物にある種の異界性も感じられて、小満んの芸を反芻することができた。
というわけで、「軽くにしようね」という前約束はすっかり忘却の彼方へ。
やっぱり行ってよかったのだ。
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unburro at 2015-05-19 14:59
今更ながら、こんな事を申し上げるのも、
恥ずかしいようなものですが、
saheiziさんの、ブログは見事ですねえ。
文章力と語り口、味わいとリズム、そして、お人柄。
出会えて良かった、としみじみ思う今日なのです。
恥ずかしいようなものですが、
saheiziさんの、ブログは見事ですねえ。
文章力と語り口、味わいとリズム、そして、お人柄。
出会えて良かった、としみじみ思う今日なのです。
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kogotokoubei at 2015-05-19 18:16
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福
at 2015-05-19 20:17
x
「転宅」ではむしろ騙された泥ちゃんに同情をしてしまう変なわたし、です。
今までに市馬、白酒、菊六(聴いたときはそうでした)を聴きました。
さて、小満んです。含羞、ハードボイルド、しかも本格派。
あのうるさい小朝が一目置くのもうべなうことができます。
今までに市馬、白酒、菊六(聴いたときはそうでした)を聴きました。
さて、小満んです。含羞、ハードボイルド、しかも本格派。
あのうるさい小朝が一目置くのもうべなうことができます。
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蛸
at 2015-05-19 20:28
x
疲れがでんことを祈っとります!
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saheizi-inokori at 2015-05-19 20:32
unburro さん、おやまあ、それこそいつも素晴らしい文章でうならせて下さるお方からそんなことを言われるとどうにかなっちまいます。
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saheizi-inokori at 2015-05-19 20:34
kogotokoubei さん、旅も一種の異界訪問、その締めが噺の世界、それも小満んの至芸に導かれての異界訪問だったとは有難き幸せでした。
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saheizi-inokori at 2015-05-19 20:35
福さん、含羞、たしかに、粋ですよね。
小朝も見習え^^。
小朝も見習え^^。
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saheizi-inokori at 2015-05-19 20:36
蛸さん、今日は断酒、早めに寝ることにします。
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reikogogogo at 2015-05-20 00:00
喜多方、新宮熊野神社、猪苗代湖いいですね。
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j-garden-hirasato at 2015-05-20 06:38
旅の最後は落語で〆。
これまた、粋ですね。
これまた、粋ですね。
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saheizi-inokori at 2015-05-20 11:06
reikogogogoさん、二日間でみるのはもったいないような・味わいつくせないようなさまざまです。
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saheizi-inokori at 2015-05-20 11:07
j-garden-hirasato さん、そのまま自宅に帰って日常に入るよりもワンクッション置くというのもいいものですね。
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sheri-sheri at 2015-05-30 16:26
江戸の夢・・・いいお噺ですね。・・粋で人情もあって。・・
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saheizi-inokori at 2015-05-30 20:36
> sheri-sheriさん、鞠子の庄屋夫妻が江戸見物に行っても人混みにすぐに飽きてしまって、やっぱり俺たちは田舎住まいがあってるなあ、と言いかわす、そんなとこも好かったのですよ。
by saheizi-inokori
| 2015-05-19 13:56
| 落語・寄席
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Comments(14)