百歩を一万歩分で歩く大西巨人 大西巨人「神聖喜劇 第一巻」(1)
2015年 04月 14日
2008年3月稚拙な読後感を書いた「神聖喜劇」。
再び一巻を読了。
なんと面白かったことか、557頁、気分は一気読み。
”虚無主義者”東堂太郎が1942年1月、対馬要塞の重砲聯隊に教育召集される。
そこで出会う、内務班長の大前田文七・陸軍曹長。
大陸で歴戦の勇士、チャンコロは2分もあれば丸焼けにできる、と豪語する。
ストイックの塊のような東堂は超人的な記憶力の持ち主でもある。
しかも怜悧、恐るべき分析力と論理展開によって高校教師(回想)や神山上等兵などを完膚なきまでにやり込めるのが痛快。
兵隊やくざをちらっと思いだす。
BGMのように、万葉集、石川啄木、古今東西の映画、ニーチェ、マン、トルストイ、四書、、ジャンルを問わずにその状況、東堂の思いなどに即し、あるいは深める断簡が提示されめくるめくようだ。
快感でもある。
日本人の標本採集。
まさに喜劇だ、神聖なる喜劇。
たとえば、対馬生まれの吉原二等兵は、嘘かまことか法政大学中途退学の学歴をみずから言いふらし、東京に一時暮らしていたことがよほど自慢の種らしい「東京かぶれ」。
彼が「トテシャン」「ダンチ」「イミシン」などの流行語や「おっかない」「しちゃった」などの東京辯?をひけらかすのを、斎藤緑雨の
さらに、石川啄木が、永井荷風の『新帰朝者の日記』を評して、
ここにこそ本書の掬すべき味わいがある。
ペダンチック・教養のひけらかしではなく、吉原二等兵の人間性が古今東西の人間(永井荷風)にも通じる普遍性があることの証明である。
他の事例では、レーニンであったりスターリンだったりもする。 巻末に収録された、多くの作家や映画監督などの評のなかで、埴谷雄高は大西巨人の文章を
さすがにうまいことを言うもんだなあ。
さいしょに読んだときより、読みやすく感じる。
前にななめ読みしたところが今は面白い。
あと4巻、楽しみだ。
読み終わったらまた読めばいい。
なんと面白かったことか、557頁、気分は一気読み。
”虚無主義者”東堂太郎が1942年1月、対馬要塞の重砲聯隊に教育召集される。
そこで出会う、内務班長の大前田文七・陸軍曹長。
大陸で歴戦の勇士、チャンコロは2分もあれば丸焼けにできる、と豪語する。
どっちみち戦争ちゅうもんは、強姦もありゃ掠奪もありゃ嬲(なぶ)り殺しもあるで、敵ちゅう敵は殺して殺しあげて、なんでもかんでも取って取り上ぐるとじゃ。敵と味方とで、それのやり比べぞ。、、せずに済むもんか。するごとなっとるが、戦争じゃないか。そうとも、それが戦争よ。東堂は大前田を憎み・否定しつつも、この論断については、そこに由々しい実力(現実性)の存在を認めずにはいられない。
しかも怜悧、恐るべき分析力と論理展開によって高校教師(回想)や神山上等兵などを完膚なきまでにやり込めるのが痛快。
兵隊やくざをちらっと思いだす。
BGMのように、万葉集、石川啄木、古今東西の映画、ニーチェ、マン、トルストイ、四書、、ジャンルを問わずにその状況、東堂の思いなどに即し、あるいは深める断簡が提示されめくるめくようだ。
快感でもある。
日本人の標本採集。
まさに喜劇だ、神聖なる喜劇。
たとえば、対馬生まれの吉原二等兵は、嘘かまことか法政大学中途退学の学歴をみずから言いふらし、東京に一時暮らしていたことがよほど自慢の種らしい「東京かぶれ」。
彼が「トテシャン」「ダンチ」「イミシン」などの流行語や「おっかない」「しちゃった」などの東京辯?をひけらかすのを、斎藤緑雨の
汝士分の面目をおもはば、かの流行語(はやりことば)をいふを耳にすとも、決して口にする勿れという文章(東堂の愛読文章)を引いてみたり、幼少時に父親が伝家の宝刀の手入れをしながら垂れた孔子の言葉を思い出したりしてみせる。
さらに、石川啄木が、永井荷風の『新帰朝者の日記』を評して、
譬へて言へば、田舎の小都会の金持の放蕩息子が、一、二年東京に出て新橋、柳橋の芸者にチヤホヤされ、帰り来たりて土地の女の土臭きを逢ふ人毎に罵倒する、その厭味たっぷりの口吻其儘に御座候と書いた文章を引いて、「おなじような事情にかかわる」と言う。
ここにこそ本書の掬すべき味わいがある。
ペダンチック・教養のひけらかしではなく、吉原二等兵の人間性が古今東西の人間(永井荷風)にも通じる普遍性があることの証明である。
他の事例では、レーニンであったりスターリンだったりもする。
もし目的地まで百歩の距離があるとすると、ただにそのすべての一歩一歩を熟視して踏みしめゆくばかりでなく、その一歩と一歩のあいだにあるところのまことに微細な、他のものなら決して見おろさぬ、長さも幅も僅か数ミリといった一種「隠れひそんでいる」小さな事物までも、まるごと見逃さぬほど「探索的」で、また、「徹底的」に「論理的」である。つまり、この世の事象も人物も、いってみれば、強烈なサーチライトの光で照らされた上、レントゲンで透視されてしまうといった「全勦滅的」(そうめつ・すっかり滅ぼす)解明をうけることになるのである。「百歩を一万歩分で歩く」手法だと評している。
さすがにうまいことを言うもんだなあ。
さいしょに読んだときより、読みやすく感じる。
前にななめ読みしたところが今は面白い。
あと4巻、楽しみだ。
読み終わったらまた読めばいい。
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sweetmitsuki at 2015-04-14 19:25
今、中国出身(日本に帰化予定)の若者の指導を任されているのですけれど、素直で利発で可愛くて仕方ありません。
日本の未来も世界の平和も、大丈夫なんじゃないんでしょうか。
日本の未来も世界の平和も、大丈夫なんじゃないんでしょうか。
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saheizi-inokori at 2015-04-14 20:56
sweetmitsuki さん、そうありたいですね。
好い人もたくさんいるもんね。
好い人もたくさんいるもんね。
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tona
at 2015-04-15 10:50
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30代後半に読みましたが、どんな内容だか全く覚えていませんでした。saheiziさんの頭脳は柔軟性に富んでいるのですね。絶対にボケないですね。少しでも見習わなくては。一日1回はちょっと難しいことを考えても良いのではと思いました。
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旭のキューです。
at 2015-04-15 11:12
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後、4巻一気読みの楽しさが、伝わってきます。
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saheizi-inokori at 2015-04-15 12:06
tona さん、ぼけてきたからちょうどいいのかもしれません。
めちゃくちゃ面白いです。
めちゃくちゃ面白いです。
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saheizi-inokori at 2015-04-15 12:07
旭のキューです。さん、他の本が読めなくなりそうなほど面白いです。
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蛸
at 2015-04-15 12:26
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そそられる!!
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saheizi-inokori at 2015-04-15 12:37
蛸さん、アマゾンなら古本があるかも。
by saheizi-inokori
| 2015-04-14 12:35
| 今週の1冊、又は2・3冊
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