かっこいいねえ、大旦那 冨田均「[聞書き]続 寄席末広亭」
2015年 03月 17日
「[聞書き] 寄席末広亭」の続編、これは北村大旦那の一代記。
明治時代の寄席、ほとんど百人も入れば満員、だいたいがおやじとかみさんのふたりでやってた、俗に路地構えってやつ、
路地口には必ず行灯が上がってる。突き当りが木戸で、丁度パノラマへ行って、まっくらな道を通ってから絵を見るように、この路地のあいだに寄席が入る気分が自然とつくられるわけだよ。雨の降ってる晩なんか、傘をこう傾けて路地は入ってゆくと、奥から明るい灯影が差して、賑やかな太鼓の音が聞えて来るんだけど、実際楽しかったよ。そうだったろうなあ、俺が覚えているのは根津の何とかいう寄席がちょっとそんな面影だった。
今じゃ、そんなゼイタクは望むべくもないが、大旦那が遺してくれた末広亭で俺は何とか正気を保つことができているんだ。
ありがとう大旦那。
亡妻の母が働いていた家の二階から末広亭が覗けたもの。
女にもてて男にも好かれて、やりたい放題。
奇跡的人生だよ、ったく。
大笑いの人生。
羨ましいぜよ。
誰か映画化しないか、明治大正昭和の市井の三代史。
平凡社ライブラリー
法律の抜け穴をくぐれればそれでよしという連中ですから。
ぎりぎりまでかくしゃくとして遊んでいたのですから。
子どもは大人の事をよく見ているから、今道徳教育なんてやっても子どもには何も通じないと思います。健康な大人が我先にと人を押しのけて席をとる様子を毎日見ている子どもが、どうやって「人にやさしくする」なんて実感できるでしょう? 子どもではなくて、完全に大人の問題だと思うのですけど。
愛国心とかを叩きこむのは倫理・哲学、それこそ個人によって(家庭によって)いろんな価値観がある。それをお互いにぶつけあって多様な価値観を学ぶのはけっこうですが、安倍たちが考えているのは教育ではなく押しつけなんでしょうね。引きだすのが教育なんでしょうに。
誰か作ってくれないかな~。
こんなすごい人がいたんですね。
たくさんの人に知って欲しいです。
東京は春爛漫ですね。
>大旦那が遺してくれた末広亭で俺は何とか正気を保つことができているんだ。
ありがとう大旦那。
寄席は人間を全うにしてくれるところなのですね。
あの方達にも通ってもらいたいものです。