ヨーロッパ経済危機を脱するために トマ・ピケティ「21世紀の資本」(2)
2015年 02月 06日
ドイツの強硬な壁を突破して二月末に期限切れとなる支援の延長を取り付けられるか、予断を許さない。
トマ・ピケティは、
現在のヨーロッパの巨大な公的債務を大幅に減らす手法は、資本税、インフレ、緊縮財政の三つあり、それを組み合わせることもできるが、民間資本に対する例外的な課税がもっとも公正で効率的な解決策だ。それがだめなら、インフレが有益な役割を果たせる。歴史的には、ほとんどの巨大公的債務はインフレで解決されてきた。公正の面でも効率性の面でも最悪の解決策は、緊縮財政を長引かせることだ―それなのに、ヨーロッパは現在、まさにこの手法を採っている。という(568頁)。
ユーロという”国家なき通貨”は、政治、税務、財政統合に繋がり、メンバー諸国の密接な協力関係へ向かう、長期のプロセスのごく一歩だったという。
確実なのは、ユーロ圏は公的な、民主的かつ主権的な形で予算戦略を決めるような、まともな議会機関なしではやっていけないということだ。そしてその機関はもっと一般的には、ヨーロッパが現在抜け出せずにいる金融銀行危機を克服する方法を議論しなければならない(589頁)。2013年春、新しいイタリア首相がドイツが提案していた普通選挙によるEU大統領選出に支持を表明したことを評価しつつ、それにフランスのオランドがほとんどコミットしようとしないことを批判する。
フランスは他の国に対しては、ヨーロッパの連帯だの債務相互化の必要だのについて、真っ先に説教して見せたがるくせに、これは不思議なことだ(589頁)。
世襲資本主義と私的利益に対するコントロールを回復でき、さらに21世紀のヨーロッパ型社会モデルを促進できる全大陸的政治当局の構築ができても問題は解決しない。
たとえばギリシャの金持からもっと税金を取れ、といって、ギリシャ当局がその気になっても、最も金持ちのギリシャ人たちは簡単に外国に金を移せる。税収がなければ、ギリシャは公共資産を売るしかない。
それは叩き売り価格になるし、買い手はギリシャ人や他のヨーロッパ人たちだ。
すなわち諸国が協力して銀行情報を共有し、誰が世界中でどんな資産を持っているかが明確になる必要がある。
財産の新しい形態や、資本への新たな民主的コントロール形態を開発しなければならない。
公的、私的の境界線がかつてのように明確ではなく、教育、保健医療、文化、メデイアなど多くの分野で中間的な組織形態がある。
経済と金融の透明性が必須だが、それは個人の所得や富についてではなく、民間企業の口座(そして政府機関の口座)の詳細を公開することだ。
ヨーロッパの公的債務について以下のように言う事はより一層切実に日本にもあてはまるのではないか。
債務や財政赤字の適切な水準を判断するには、国富に影響する他の無数の要素を考慮しないわけにはいかない。あらゆる手持ちのデータを見ると、何より驚かされるのが、ヨーロッパの国富が空前の高い水準にあるということだ。(略)空想、夢物語ともとられるだろうことはピケティも承知の上でいうのだ。
だからこそ、私たちが恥ずかしい債務負担を子孫の代に遺そうとしているとか、ボロをまとい灰をかぶって許しを請うべきだなどという発想は、まるっきり筋が通らないのだ。ヨーロッパがこれほど豊かだったことはない。一方、恥ずべき真実は、この巨額の国富がきわめて不均等に分配されているということだ。民間の富は公的な貧困の上に成り立っているし、これがもたらす特に不幸な結果のひとつは、私たちが高等教育に行う投資よりも債務の利払いに費やすお金の方が今でははるかに多いということだ。(略)
だからこそなるべくはやく債務を減らさねばならないのだし、その手法は民間資本に対する累進的な一回限りの課税か、それがだめならインフレによるものであるべきだ。いずれにしても、この決定は民主的な論争の後で独立した権限を持った議会により行われるべきものだ。(597頁)
この理想に近いものすら当分の間は実施できないにしても有益な参照点として使える。これを基準にして他の要素を評価するわけだ(540頁)。この方向に向けて段階的に動いて行くことができるはずだと。
夢物語として門前払いをしていればタックス・ヘイブンのような闇が広がり、結局は金融危機にもつながる。
グローバル資本主義の断末魔を回避する、その気になればできることなのだ。
バルザックやブロンテが出てきたりするのです。
どれほどの人がちゃんと読むのかは分かりませんが、悪いことではないと思います。