オロナミンCなんかチューチューやってないで 冨田均「聞書き 寄席末広亭」北村銀太郎述

夕べは、次から次へと嫌な、気持ちの悪い夢ばかりオンパレードだった。
イスラム国のこと、きょう歯根の残りを抜くことなども、あったのかも。
そんなわけで、今日は気楽なお噂で気分を変えよう。
この間、山梨に法事に行くときに車内で読んだ本だ。
オロナミンCなんかチューチューやってないで 冨田均「聞書き 寄席末広亭」北村銀太郎述_e0016828_1256898.jpg
北村銀太郎(1890年・明治23年~1983年・昭和58年)、戦後廃墟の新宿に末広亭を開場、37年にわたって”大旦那””お父さん”として落語界を育て見守ってきた人。
志ん生とは同年の北村・九十歳翁の語るところは冨山の聞書きの良さも相まって、芸人たちの人となりや喜怒哀楽が彷彿する。
戦後の落語界の紆余曲折の裏幕も知ることができる。
一本筋金の通った江戸っ子、粋人北村の語る芸人たちの素顔も面白いが、その闊達、ベランメエの語り口が楽しい。
オロナミンCなんかチューチューやってないで 冨田均「聞書き 寄席末広亭」北村銀太郎述_e0016828_125723.jpg
昭和の名人、絶対不動のトップ・文楽、そのあと志ん生、金馬についで円生だとは思うが、その人間性にはやや辛口になる円生が死んだ日のこと。
あの人も運の悪い日に死んだもんだよ。よりによってそんな日に死ぬこたあねえんだ。新聞見たってパンダの扱いの方がずっと大きいしね。テレビのニュースもパンダを長々とやったあと、あの人がちょっと出てくる。パンダが終わったから、今度あの人が映るなって思ってると、決まって映るんだもん。パンダが真打で、円生さんは前座並みの扱いだよ
この辺りまでは今も寄席でときどき噺家が面白く語る。
大旦那の真骨頂はその次のセリフ、
一日ずらしゃあよかったんだ、前か後ろに。そのくらいの芸を見せたってよかったのにさ。あのくらいの芸をもってれば、そのくらい出来ただろうに。それとも、その程度の芸も出来ないほど弱っちゃってたのかな
そして
惜しい噺家だよ。もう少し人間に太っ腹なところがあればね、申し分のない噺家なんだ
と続くのだ。
パンダがいつ死ぬかなんて知ってるはずもないのに、無茶を言う、円生があの世で苦笑してるだろう。

戦後すぐの芸人たちがヒロポンに夢中になって、楽屋一同、打たないもんはいないっていうくらい、一世を風靡したこと。
馬風(先代)なんてヒロポンの特攻隊、三亀松あんと二人でヒロポンの王様だった。
まったくあのころはヒロポンの黄金時代だったな。活気があったよ。今なんかオロナミンCかなんかチューチューやってんだもんね。
あのヒロポン黄金時代は落語黄金時代でもあった。大御所、名人、上手、奇人、変人がいろいろと揃っていたからね。おもしろかったよ。
芸術協会には元老の五代目(左楽、北村の盟友ともいうべき大御所)を始め、会長の柳橋さん、それに副会長の小文治、ほかに大阪からきた先代の小南、そして今輔がいて、柳好、可楽、円なんてのもいた。円は後の三木助だ。
落語協会の方には会長の四代目小さん以下、文治、文楽、志ん生、円歌、円生、先代正蔵、それに馬楽。馬楽は今の正蔵さん。それから柳枝に右女助。右女助は後の小勝ね。あとは小円朝、馬風、それに談志ってところかな。馬風も談志も、むろん先代だよ。ただ、こっちの会は戦後すぐのころに志ん生と円生が欠けていたのが痛くてね、入りが極端に悪かった
固有名詞をあげる大旦那、芸人がかわいくてかわいくてたまらなかったのだろう。
オロナミンCなんかチューチューやってないで 冨田均「聞書き 寄席末広亭」北村銀太郎述_e0016828_1364628.jpg
音曲師の柳家小半治のあだ名は”五十銭の小半治”、だれにでも「五十銭貸してください」、律義に借用証を書いて日記にもつけたが、むろん返さない。
小半治っていうと、やっぱり金と酒のことがついてまわるよ。仕様がねえんだ、そんな話ばっかりだったんだもの。なにしろ、この末広亭から外へ出て、そこらに坐ってる乞食の前に突っ立ってね、じっと空き缶の中を見つめて、「あるところにはあるもんだな」っていうんだからね、乞食だって逃げるよ。
まあ、最後の芸人と言っていいな。
あるとき、小半治の所属していた落語協会が団体の生命保険に入ったんだよ。死んだら二十万円もらえるってやつだったけど、小半治のやつ、すぐに死んじゃった。どこか、おかしいんだよ
「馬鹿馬鹿しいんだよ」が色物芸の理窟なしの褒め言葉だったと冨田は書く。
馬鹿馬鹿しかった色物芸人のことも出てくるが、そろそろおあとがよろしいようで。

平凡社ライブラリー
初刊は昭和55年
Commented by hanamomo06 at 2015-02-02 19:36
おばんです。
落語いいですね。
私の友達の間でも少しずつ落語の輪が広がりつつあります。

梅が満開、私は責めて・・・・と梅の手ぬぐいを飾りました。
手ぬぐいの梅はsaheiziさんの写真と同じ位満開ですよ,あ~でもめじろは留まっていないな。

歯医者さん痛かったですか?
歯医者さんに行くって本当にいやですよね。
Commented by saheizi-inokori at 2015-02-02 20:02
hanamomo06 さん、落語世界の住人はグローバリズムとは無縁です。
梅にメジロ、距離の離れたところから撮ったのでようやくかすりました。
歯医者、今日は痛くなかったです、緊張しましたが^^。
Commented by 小言幸兵衛 at 2015-02-02 21:25 x
末広亭の写真は昨年末のものですね!

この本からは、良くも悪くも北村銀太郎という人の大きさが伝わります。

末広亭に行きたくなります^^
Commented by unburro at 2015-02-03 02:29
「馬鹿馬鹿しいんだよ」が、褒め言葉、いいですねぇ。
最高です!
馬鹿馬鹿しい、を楽しんで、「馬鹿馬鹿しいヤツだったなぁ、」と
思われて、消えてゆきたい。
「それでいいのだ!」と思います。

まあ、そんな粋なことは出来ないけれど…
Commented by ikuohasegawa at 2015-02-03 09:37
南伸坊の装丁がいいですね。
Commented by saheizi-inokori at 2015-02-03 10:33
小言幸兵衛 さん、北村の生き生きと活躍した時代(私も少しは重なりますが)から見ると、世の中は見せかけの度合いがひどくなりましたね。
ヤクザとの付き合い、言葉の自粛、表から消えたものが潜って悪質陰湿になったような気がします。
Commented by saheizi-inokori at 2015-02-03 10:34
unburroさん、バカバカしいやつほど菩薩に近いのかもいしれないです。
Commented by saheizi-inokori at 2015-02-03 10:36
ikuohasegawa さん、得も言われぬ温かさ、純なものを感じます。今の多くの落語家はもっとイケメン、悪く言えばぎすぎすしてます。
権ちゃんの笑い顔に通じますね。
Commented by c-khan7 at 2015-02-03 14:54
メジロはいつもツガイで行動してますね。
かあいい。
Commented by saheizi-inokori at 2015-02-03 15:59
c-khan7 さん、動きが早いからもっといいカメラじゃないと写せないなあ。
Commented by ほめ・く at 2015-02-03 17:20 x
北村席亭の語り口、面白いですね。この人が高座に上がった方が良かったのでは。
戦後、私の両親が中野で喫茶店をやってまして、その当時に店に来るのはヤクザかミュージシャン(バンドボーイって呼んでましたけど)でしたから、皆揃ってヒロポンを打ってました。私も大人になったらヒロポンを打てるんだと思っていたほどで、当時の芸人は皆ポン中だったんでしょう。
Commented by saheizi-inokori at 2015-02-03 22:00
ほめ・くさん、私はヒロポンは経験がないです。
ちょっとしたすれちがいなのかもしれないです。
その後禁止になった睡眠薬などはかなり(危ない)量まで飲んでいました。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2015-02-02 13:00 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori