鉄拳が砕けたら、歯を以って敵兵を噛み殺せ 片山杜秀「未完のファシズム 『持たざる国』日本の運命」
2014年 12月 22日
そこを優秀な成績で卒業した愛国心に燃える男たちが、どう考えても勝ち目のない戦争に突入して国を滅ぼした。
今また国を滅ぼしそうな男たちはどう見ても彼らより頭も悪そうだし愛国心も乏しそうだが。
なぜ優秀な軍人たちが馬鹿な道に日本を引っ張ったか。
第一次世界大戦の教訓は、これからの戦争は物量戦、科学戦、消耗戦、補給戦、国の総力をあげての戦いだ。
日本は早急に国力の増強を図り軍隊の近代化を進めなければならない。
歩兵主体の戦いではなく兵器の近代化・充実が必須だ。
日露戦争の勝利に浮かれている国民大衆はともかく軍隊のエリートたちはそういう認識だった。
だがしかし、「持たざる国」と「持てる国」の間の懸隔はいかんともしがたい。
頭ではそうするのがいいと分かっていても体がついていかない。
「持たざる国」がどんなに背伸びしても急に「持てる国」になれるわけがない。
そこで荒木貞夫や小畑敏四郎のような「皇道派」の軍人は、劣った物質力を強烈な精神力で多少なりとも補って、それでやっと日本の勝てそうな相手とだけ、なるべく短期で決着する戦争をすればいい、それ以外は負けるからやれないと、思い詰めてゆきました。軍部としての建前からそういう本音は言えないので、すべての戦争に短期決戦・精神力の勝利があるかのように云ったのであってよもやアメリカと戦争をすることなど論外だった。
国家何十年かの計で日満経済ブロックか何かに閉じこもり、どんなに挑発されようが大戦争には踏み込まず「持てる国」になるまで待って、そこで初めて石原の考える最大の仮想敵国、アメリカに挑戦する(世界最終戦争)という、遠大な計画を抱きました。しかし、元老たちが亡き後の大日本帝国の政治の仕組みでは軍が内政も外交も主導できない。
さらに戦争は向こうが仕掛けるかもしれない。
軍人が思念し考慮し準備しておくべきなのは、いつ如何なる相手とでも戦って勝てるようにすることのみだ。
中柴末純は少将に進級後、予備役に編入され、東大の倫理学教授・吉田静致に学び、「精神力を無限大に評価できるような戦争哲学」の構築に取り掛かる。
合理的に考えれば考えるほど、そういう(無茶苦茶な)哲学にしか救いの道はないのだ。
そこで行き着いたのは
自らの生命を「みこと」と言い表してきた日本人にはすべて「まごころ」がある。その「まごころ」は「すめらみこと」の心と一体化して、個々人が死んでしまおうが、天皇の存在する限り生き続ける。死して「悠久の大義に生くる」という論理(詳しくは本書に当たってください、もう少しは分かりやすいです)だった。
しかも真善美の「まこと」を求める「まごころ」はそれを阻む偽・悪・醜と戦わなければならず、その戦いは勝ち負けの合理的・現実的予測と関係がない。
そして中柴たちが作った『戦陣訓』が「生きて虜囚の辱めを受けず」、玉砕を強いた。
日本陸軍の初めての玉砕となった、アッツ島の玉砕に際し、司令官の山崎保代大佐の訓示
弾がつきたら銃剣を以って突撃せよ。銃剣が折れたら、鉄拳を以って踊りかかれ、鉄拳が砕けたら、歯を以って敵兵を噛み殺せ、一人でも多く敵兵を仆すのだ。一兵でも多く殺してアメリカを撃砕せよ。身体が砕け、心臓が止まったら、魂魄を以って敵中に突撃せよ。全身、全霊をあげて栄誉ある皇軍の神髄を顕現せよ。このように玉砕することが必勝に繋がると中柴は激賞した。
どこまで本心だったかは疑いがある。
馬鹿でも精神異常でもない大秀才(しかも中柴は工兵出身)なのだから。
天皇の股肱の臣としてこのように言い、それを信じたふりをするしか方途はなかったということ、アナ恐ろしや、スメラミコトだ。
全333頁の結語は次のようだ。
この国のいったんの滅亡がわれわれに与える歴史の教訓とは何でしょうか。背伸びは慎重に。イチかバチかはもうたくさんだ。身の程をわきまえよう。背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだときの痛さや悲しさを想像しよう。そしてそういう想像力がきちんと反映され行動に一貫する国家社会を作ろう。物の裏付け、数字の裏打ちがないのに心で下駄を履かせるのには限度がある。そんな当たり前のことも改めて噛み締めておこう。そういうことかと思います。アベ君、聴いてるか!
新潮選書
歴史に学ばないのが自民党でしょうね。3〜4年前の事故にも学ばない位ですもの。
恐ろしやアベ君の思い上がり
クリスマスの贈り物を探していて、ドイツ語の美しい
短歌本を見つけました 開いたらヒロシマがありました
大きな骨は 先生ならむ
そのそばに
小さき あたまの骨 あつまれり 正田篠枝
ホントに恐ろしいです。
なんとも言えない悲哀ですね。
『背伸びがうまく行ったときの喜びよりも、転んだときの痛さや悲しさを想像しよう。そしてそういう想像力がきちんと反映され行動に一貫する国家社会を作ろう。物の裏付け、数字の裏打ちがないのに心で下駄を履かせるのには限度がある』
然り。
杞憂だといいですが、本当に国を滅ぼしそうな感じです。
サンチ君も私もそれを見ないであの世に行けていいのですが、無責任に自分のことばかり喜んでもいられないです。