オオカミのように生きる マーク・ローランズ「哲学者とオオカミ 愛・死・幸福についてのレッスン」
2014年 12月 18日
オオカミが文明社会に居場所がない理由は、彼らが危険な動物だからではない。

1962年生まれ、オクスフォード大学で哲学博士。
アラバマ大学、アイルランドのコルク大学、マイアミ大学などで哲学を教える。
一頭のオオカミ・ブレニンと出会い、兄弟としてともに暮し(いつも教室・パーテイ・旅行、、なんでも連れて行った)、その死を看取る。
読んでいるとブレニンがオオカミであることを忘れて、高倉健のような男に感じられてくる。
子犬や子供など弱きものにやさしく強い者には敢然と戦い、茶目っ気もある。
素晴らしいオオカミ物語として読むだけでも本書は十分に面白い。
感動の物語だが、それ以上に本書がエクサイティングなのは、オオカミとの共生を通して人間=サルの価値観を徹底的に見直していく哲学の書としての面白さにある。
サル(人間)は、知能が高いから社会生活をするのではなく群れる(社会生活)から騙しと陰謀を身に付ける、そうしないと生き残れなかった。
複雑さ、繊細さ、芸術や文化、科学など、人間の偉大さと呼びたがるものは陰謀と詐欺という代償を払って買ったものだ。
正義感ですら、悪意に満ちたこの群を崩壊から守るために必要とされた。
邪悪な人間は普通にどこにも存在しているのだ。
さらに人間は弱さをつくりだしてきた。
オオカミをイヌに変え、バッファローをウシに変え、、生命の好ましくない部分を取って、それを精励し、強化した。
つまり人間とは自分自身の邪悪の可能性をつくりだす動物なのだ(著者はベジタリアンになる)。
差別、格差、競争至上主義、、言うまでもないなあ。

俺はなぜサンチが好きなのか。
あれは俺のオオカミ的な領域が震えているのか。

幸せを追求する人間は感情を何よりも大事なものと崇拝している。
それはオオカミから見たらおかしなことのようだ。
オオカミはウサギを捕まえることの方が大事なのだ。
愛にはいくつもの形があるが、ブレニンが死のうとするときに味わったものは、アリストテレスならフィリアと呼んだだろう。
エロス、アガペーとは異なり、どんな類の感情でもなかった。
意志の問題、自分の群れの仲間に何かをしようとする意志だった。
人間が瞬間を透して時間をみるために瞬間を見る・瞬間を生きることができないのに対して、オオカミは瞬間を見る・瞬間に生きる(その代わりに時間を見ない)。
時間に生きる人間は、不釣り合いに大量の時間を、もはや存在しない過去やこれから起こる未来に関わることに使う。
時間性がわたしたちにくれた贈り物は、わたしたちが理解できないこと(人生の意味)への欲望なのだ。
だから
分かったようでわからない。
だが峻烈・峻厳でありながら優しさを感じる。
借りた本だが、自分でも買おうかと思う。
今泉みね子 訳
白水社
(キューバ万歳!)
本当の理由は、彼らが危険さや不快さの点では、文明には遠く及ばないからだ。文明化は、非常に不快な動物にのみ可能なのだと思う。真に文明化することができるのは、サルだけなのだ。サルとは人間のことだ。

アラバマ大学、アイルランドのコルク大学、マイアミ大学などで哲学を教える。
一頭のオオカミ・ブレニンと出会い、兄弟としてともに暮し(いつも教室・パーテイ・旅行、、なんでも連れて行った)、その死を看取る。
読んでいるとブレニンがオオカミであることを忘れて、高倉健のような男に感じられてくる。
子犬や子供など弱きものにやさしく強い者には敢然と戦い、茶目っ気もある。
素晴らしいオオカミ物語として読むだけでも本書は十分に面白い。
感動の物語だが、それ以上に本書がエクサイティングなのは、オオカミとの共生を通して人間=サルの価値観を徹底的に見直していく哲学の書としての面白さにある。
サル(人間)は、知能が高いから社会生活をするのではなく群れる(社会生活)から騙しと陰謀を身に付ける、そうしないと生き残れなかった。
複雑さ、繊細さ、芸術や文化、科学など、人間の偉大さと呼びたがるものは陰謀と詐欺という代償を払って買ったものだ。
正義感ですら、悪意に満ちたこの群を崩壊から守るために必要とされた。
わたしたちがもつ最高のものは、わたしたちがもつ最悪のものから生じた。これは必ずしも悪いことではないが、この点をわたしたちは肝に銘じなければならない。邪悪とは「身を守ることができない者を守ってやらない、不作為」であり、そこには自分の信念が正しいかどうかを批判的に検討する義務を果たさないことも含まれる。
邪悪な人間は普通にどこにも存在しているのだ。
さらに人間は弱さをつくりだしてきた。
オオカミをイヌに変え、バッファローをウシに変え、、生命の好ましくない部分を取って、それを精励し、強化した。
つまり人間とは自分自身の邪悪の可能性をつくりだす動物なのだ(著者はベジタリアンになる)。
差別、格差、競争至上主義、、言うまでもないなあ。

イヌはわたしたちの魂の、久しく忘れられていた領域の奥底にある何かに語りかける。たしかに、サンチのことを考えていると胸の奥底に熱い何かが湧いてくる。
そこには、より古いわたしたちが住みついている。わたしたちがサルになる前に存在していた部分だ。これはわたしたちがオオカミだった頃の魂だ。このオオカミの魂は、幸せが計算の中には見出せないことを知っている。本当に意味のある関係は、契約によってはつくれないことを知っている。そこでは、忠節心が最初にある。このことは、たとえ天空が落ちても、尊重しなければならない。計算や契約は常にその後にくるのだ。わたしたちの魂のサル的な部分が、オオカミ的な部分の後に来るように。
あれは俺のオオカミ的な領域が震えているのか。

それはオオカミから見たらおかしなことのようだ。
オオカミはウサギを捕まえることの方が大事なのだ。
人生でもっとも不快な瞬間が、もっとも貴重な瞬間でもありうる。甘い追憶とは別レベルで感じる、「苦しかった懐かしい思い出」は俺にもある。
愛にはいくつもの形があるが、ブレニンが死のうとするときに味わったものは、アリストテレスならフィリアと呼んだだろう。
エロス、アガペーとは異なり、どんな類の感情でもなかった。
意志の問題、自分の群れの仲間に何かをしようとする意志だった。
人間が瞬間を透して時間をみるために瞬間を見る・瞬間を生きることができないのに対して、オオカミは瞬間を見る・瞬間に生きる(その代わりに時間を見ない)。
時間に生きる人間は、不釣り合いに大量の時間を、もはや存在しない過去やこれから起こる未来に関わることに使う。
時間性がわたしたちにくれた贈り物は、わたしたちが理解できないこと(人生の意味)への欲望なのだ。
希望というのは、わたしたちを時間的な動物にする欲望の一つの形だ。筆者がブレニンの死に寄り添って不眠不休で介護したときに得た感想だ。
最良であるためには、何の希望もなく、続けることから何ものも得られないような窮地に追い詰められなければならない。そうなっても、わたしたちはとにかく進みつづける。
死が自分の肩にのしかかって、もはやできることは何もなく、自分の時間はほとんど終わったときに、わたしたちは最良の状態にある。わたしたちは「コン畜生」と人生の線(時間のベクトル・俺注)に向かって言い、線の代わりに瞬間を歓迎する。私は死のうとしているが、この瞬間は気分が良いし、強いと感じる。そして、私は自分がしたいことをしようとしている。こうした瞬間はそれ自体で完結しており、過去や未来の他の瞬間において正当化する必要はないのだ。
だから
人生で一番大切なのは、希望が失われたあとに残る自分である。そして、そういう瞬間を思い出すのは自分自身のことではなくて他者についての記憶を通してなのだ。
時が来たときに一番大切なこと、そして常に大切であろうとすることは、人生をオオカミの冷たさをもって生きるということだ。そのような生活はあまりに辛く、あまりに寒々としていて、わたしたちは萎えてしまうほかない。それでも、そこにわたしたちが生きられる瞬間が訪れる。これらの瞬間が、わたしたちを生きるに値する人物にする。なぜなら、究極的には、挑む意志(反抗・ディファイアンス)によってのみ、わたしたちは救われるのだから。
分かったようでわからない。
だが峻烈・峻厳でありながら優しさを感じる。
借りた本だが、自分でも買おうかと思う。
今泉みね子 訳
白水社
(キューバ万歳!)

読んでみたいよ、探せるかなぁ、こっちで。。。
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英語版ならありそうですがね。
済みませんが、動画の入り方が妙で、読みにくいです。
ikuohasegawa さん、本文自体が読みにくいですね。
いいかげんな要約でした。
いいかげんな要約でした。
フランスではオオカミは絶滅したと言われていたのですが、近年になってアルプスを超えてやってきたオオカミが増え、家畜の被害も増えているのだそうです。オオカミは保護の対象なので簡単に駆除するわけにもいかず、農家の人たちが猛烈に怒っているのをテレビで見ました。
調べたらフランス語にも翻訳されていました。やったー!
読んでみたいので図書館で探してみます。
調べたらフランス語にも翻訳されていました。やったー!
読んでみたいので図書館で探してみます。
子供の頃小学校の図書室で見つけた本に、オオカミに育てられた二人の子供の事が書いてありました。二人はやがて保護されるものの、間もなく死んでしまった。。。。人間の生活に適応出来なかった事が原因だった。。。。そんな話思い出しました。
我が家の愚犬は、
オオカミの血の濃い種類と言われていますが、
全くのマイペースで、
全然いうことを聞きません。
走るわ、穴掘るわ、
しかも力が強いので、
毎回引っ張らます。
でも、そういうところが
何かいいんですよね、
ペットっぽくなくて。
オオカミの血の濃い種類と言われていますが、
全くのマイペースで、
全然いうことを聞きません。
走るわ、穴掘るわ、
しかも力が強いので、
毎回引っ張らます。
でも、そういうところが
何かいいんですよね、
ペットっぽくなくて。

> 通りすがりこさん、これを読んだ年の年賀状には「狼のように生きたい」と書いたことを思い出しました。
読んでくださっていたのですね。嬉しいです。
> Solar18さん、もう一度読みかえそうかと思っています。
by saheizi-inokori
| 2014-12-18 12:43
| 今週の1冊、又は2・3冊
|
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Comments(17)