日本人は四等国民のままか 高見順「敗戦日記」with砧公園
2014年 11月 22日
病院でペースメーカーの定期検査、電池の余命は7・5~10年だと。
俺が死んでも動き続けるってか。
気もちが好い秋の午後、砧公園を歩く。
とちゅうの花卉園では職人たちが三時のおやつ、ラジカセから歌謡曲が流れていたりして長閑な光景にみえたが、かきいれどき、忙しいことだろう。
砧公園名物?「ジュウガツサクラ」、もう終わりなのかこれからなのか、パッとしない解散だ。
静かな公園、桜の紅葉は終わったのか、これもパッとしない解散。
鴉が行水したり我が物顔に飛び交っている。
政界鴉もかきいれどきかな。
山田風太郎「戦中派不戦日記」、大佛次郎「敗戦日記」についで今度は高見順の「敗戦日記」。
三人の中ではもっとも戦争末期の地獄図絵が詳細に描かれている。
鎌倉に住みながら、あの交通もままならぬ中を月に何度も上京し、銀座・浅草・吉原・本郷・新宿、、歩き主体でどんどん歩く。
そして「書き魔」のニックネームがあった通り、書きに書く。
3月10日払暁の空襲のあと12日には、東京駅の歩廊にいる乞食のような罹災者、とくに小さな兄妹がうずくまって放心しているさま、上野の惨状、そして浅草。
高見が『如何なる星の下に』に書いた「染太郎」「どじょうや」、レビューの子と行った「ふぐや」、六区の映画館、仲見世、新仲見世、観音様、「大黒屋」、、みんな焼けてしまって、死んだ葬儀屋の娘の遺体が葬儀屋の焼け跡のトタンの上に置いてある。
今、俺が歩きまわる東京の町が灰燼に帰した直後の様子、そこにいる人々の言動がひとつ一つ記録されている。
それは大佛や山田の日記には見られない、「事実への執念」だと思う。
当時の新聞や物の値段もつぶさに。
それにしても高見も人々も酒を飲みたがった。
僅かしか飲めないビールを求めて長い行列を作り、顔の利くつてを求めて一杯でも余計に呑もうとする。
それでも飲みたらず飲ませてくれる店を探して何キロでも歩き、法外な料金を払って飲んだくれて鎌倉に帰る。
高見も大佛もよく立小便をするのだ。
公衆便所なんてなかったからなあ。
三人に共通するのは酒と立小便だけではない。
こんなときに、こんなときだからこそか、読む読む読みまくる。
そして自省、自己を叱咤する。
とくに高見日記にはまるで真面目な中学生のような求道心が吐露される。
まっすぐな作家魂、「最後の文士」と言われた高見らしい。
大佛日記にも出てきたが鎌倉に住む作家たちの付き合いが記される。
みんなで本を持ち寄って「鎌倉文庫」という貸本屋を経営する件は詳しい。
道楽ではなく食って行くための苦肉の策だったのだ。
川端康成が自宅の裏に槌と鑿をふるって横穴を掘って、それを小島政二郎にも勧め、「頼むと3千円かかりますからね」と笑った。
高見が川端と誘い合わせて世田谷の志賀直哉の家を訪問する(作家同士はホントによくお互いの家を訪問する)時のくだりは詳しく書いている。
高見にとっても事件だったのかもしれない。
そのとき志賀がくれた名刺に書いてある住所、この間ブログにアップした稲荷神社のすぐ近くだ。
こんど俺もここを探してみよう。
繰り返して書くのは政府・軍部の秘密主義、大事な情報が隠されて、嘘ばかりが流され、人びとは本心をしゃべることもできない、暗黒のことだ。
広島に原爆が落とされたときですら、大したことはない、肌を露出しないようにして上方を遮蔽し伏せの姿勢をとれば大丈夫と現地を視察した中佐が発表する。
琉球の人々の尊厳を踏みにじり、フクシマのことに触れもせず、集団的自衛権や秘密保護法は国会解散もせずに強行、、そして「問題は経済だけだ」といいはなつ安倍政権。
それを許している国民、ともに戦後米兵に縋り付いた人びとと本質において変わらないのではないか。
もし安倍がまたにんまり笑うようなことになるならば、天の高見は「国辱だぞ!」というのではないか。
中公文庫
俺が死んでも動き続けるってか。
気もちが好い秋の午後、砧公園を歩く。
鴉が行水したり我が物顔に飛び交っている。
政界鴉もかきいれどきかな。
鎌倉に住みながら、あの交通もままならぬ中を月に何度も上京し、銀座・浅草・吉原・本郷・新宿、、歩き主体でどんどん歩く。
そして「書き魔」のニックネームがあった通り、書きに書く。
3月10日払暁の空襲のあと12日には、東京駅の歩廊にいる乞食のような罹災者、とくに小さな兄妹がうずくまって放心しているさま、上野の惨状、そして浅草。
高見が『如何なる星の下に』に書いた「染太郎」「どじょうや」、レビューの子と行った「ふぐや」、六区の映画館、仲見世、新仲見世、観音様、「大黒屋」、、みんな焼けてしまって、死んだ葬儀屋の娘の遺体が葬儀屋の焼け跡のトタンの上に置いてある。
愛する浅草。私にとって、あの、不思議な魅力を持っていた浅草。山の手育ちながら、なんとも言えない愛着を、愛情の感じられた浅草、その浅草は一朝にして消え失せた。再建の日は来るだろうが、昔日の面影はもうとどめないに違いない。まるで違った浅草ができるだろう。あのゴタゴタした、沸騰しているような浅草、汚くごみごみした、だからそこに面白味があり、わけのわからぬ魅力があったあの浅草はもうない。永久に、ないのだろう。震災でも残った観音様が焼けて、本堂の裏手には死体がごろごろと積み上げてある。
それは大佛や山田の日記には見られない、「事実への執念」だと思う。
当時の新聞や物の値段もつぶさに。
それにしても高見も人々も酒を飲みたがった。
僅かしか飲めないビールを求めて長い行列を作り、顔の利くつてを求めて一杯でも余計に呑もうとする。
それでも飲みたらず飲ませてくれる店を探して何キロでも歩き、法外な料金を払って飲んだくれて鎌倉に帰る。
高見も大佛もよく立小便をするのだ。
公衆便所なんてなかったからなあ。
こんなときに、こんなときだからこそか、読む読む読みまくる。
そして自省、自己を叱咤する。
とくに高見日記にはまるで真面目な中学生のような求道心が吐露される。
まっすぐな作家魂、「最後の文士」と言われた高見らしい。
みんなで本を持ち寄って「鎌倉文庫」という貸本屋を経営する件は詳しい。
道楽ではなく食って行くための苦肉の策だったのだ。
川端康成が自宅の裏に槌と鑿をふるって横穴を掘って、それを小島政二郎にも勧め、「頼むと3千円かかりますからね」と笑った。
高見が川端と誘い合わせて世田谷の志賀直哉の家を訪問する(作家同士はホントによくお互いの家を訪問する)時のくだりは詳しく書いている。
高見にとっても事件だったのかもしれない。
そのとき志賀がくれた名刺に書いてある住所、この間ブログにアップした稲荷神社のすぐ近くだ。
こんど俺もここを探してみよう。
広島に原爆が落とされたときですら、大したことはない、肌を露出しないようにして上方を遮蔽し伏せの姿勢をとれば大丈夫と現地を視察した中佐が発表する。
日本はどうなるか―そういった会話は、憲兵等の耳を恐れて、外ではしないのがふつうかもしれないが、外でしたってかまわないはずの対ソ戦や新爆弾の話も遂にひとことも聞かなかった。民衆は、黙して語らない。それが戦後すぐの米兵にタバコをねだり、米兵をとりまく女たちのような、だらしない民衆をみると、
大変な訓練のされ方、そういうことがしみじみと感じられる。同時に、民衆の表情にはどうなろうとかまわない、どうなろうとしょうがないといったあきらめの色が濃い。絶望の暗さもないのだ。無表情だ。どうにかなるだろうといった、いわば無色無味無臭の表情だ。(8月11日)
なんともいえない恥ずかしい風景だった。この浅間しい女どもが選挙権を持つのかと思うと慄然とした。(10月14日付与、そのだいぶ前に高見は女性の選挙権付与をきいて「明るい気持ちになった」と書いているのだが)面白がって見ている男どもも、-南洋の無智な土着民以下の低さだ。日本は全く、底を割って見れば、その文化的低さは南洋の植民地と同じだったのだ。アメリカ兵に英語で煙草をねだる紳士に「国辱だぞ!」と言って殴り合いになりそうなこともあった。
自惚れていたのだ。私自身自惚れていたのだ。(10月23日)
それを許している国民、ともに戦後米兵に縋り付いた人びとと本質において変わらないのではないか。
もし安倍がまたにんまり笑うようなことになるならば、天の高見は「国辱だぞ!」というのではないか。
中公文庫
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jarippe at 2014-11-22 14:00
パッとしない解散
なんとかパッとさせる方法を・・・・・
打倒一致団結は無理?
無職になったお金持ちの方々
誰から貰ったお金?どうやって使うの?
穏やかな青い空の今日です
なんとかパッとさせる方法を・・・・・
打倒一致団結は無理?
無職になったお金持ちの方々
誰から貰ったお金?どうやって使うの?
穏やかな青い空の今日です
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chaiyachaiya at 2014-11-22 14:20
「テロリストの側につくのか、私たちの側か?」と子ブッシュが言い放った時のノリを、なんとなく思い出してます。
海外では、「郵政民営化」の選挙の時と同じ捉え方が多いそうです。
「国民の皆様の意見を仰ぐ」って、それならば、原発や集団的自衛権とか、いっぱい様々、仰いで喘いで(?)もらいたいな。
海外では、「郵政民営化」の選挙の時と同じ捉え方が多いそうです。
「国民の皆様の意見を仰ぐ」って、それならば、原発や集団的自衛権とか、いっぱい様々、仰いで喘いで(?)もらいたいな。
今日から、旧暦の十月です。サクラは季節を知っているンですね。
高見順の日記から思い出したことがあります。
昭和二十年八月十四日に、岡山にいた永井荷風が勝山の谷崎潤一郎を訪ね、米さえ入手困難な時に谷崎は二貫目(八キロ)の牛肉と酒二升調達し、二人ですき焼きを食べた、という話です。
漱石の孫娘、半藤末利子さんの『夏目家の糠みそ』にあった逸話です。
作家によって、戦争への向き合い方はいろいろですが、反戦の思いはみなに共通であるに違いありませんね。
高見順の日記から思い出したことがあります。
昭和二十年八月十四日に、岡山にいた永井荷風が勝山の谷崎潤一郎を訪ね、米さえ入手困難な時に谷崎は二貫目(八キロ)の牛肉と酒二升調達し、二人ですき焼きを食べた、という話です。
漱石の孫娘、半藤末利子さんの『夏目家の糠みそ』にあった逸話です。
作家によって、戦争への向き合い方はいろいろですが、反戦の思いはみなに共通であるに違いありませんね。
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sora
at 2014-11-22 21:04
x
下の写真のお店は、ほかほか愛が感じられますね、
私こういうお店は素通りできません
「おねだり」や「あわよくば」や「極みーいずむ」や
国民の多くが、躊躇せずこういう行動をとる国に
まさか日本がと思いながらも。。。
こんどの選挙は、最後のチャンスかもしれませんね
私こういうお店は素通りできません
「おねだり」や「あわよくば」や「極みーいずむ」や
国民の多くが、躊躇せずこういう行動をとる国に
まさか日本がと思いながらも。。。
こんどの選挙は、最後のチャンスかもしれませんね
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saheizi-inokori at 2014-11-22 22:08
jarippe さん、私は会社から貰った金です。
でも若い人が戦うなら応援します。
でも若い人が戦うなら応援します。
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saheizi-inokori at 2014-11-22 22:10
chaiyachaiya さん、これだけいろんなメデイアや現場で意見が出ているのは毎日官邸で分析しているのです。
はなから馬鹿にしているんですよ、国民の皆様を。
はなから馬鹿にしているんですよ、国民の皆様を。
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saheizi-inokori at 2014-11-22 22:34
小言幸兵衛さん、永井荷風の「断腸亭日乗摘録」には昭和20年8月14日に勝山(なんでしょね)で谷崎に牛肉などをご馳走になり翌日、谷崎の世話で切符を手に入れ牛肉を添えたむすびを貰って「欣喜措く能わず」と書いています。
15日の欄外に「正午戦争停止」としか記述はないのですね。
15日の欄外に「正午戦争停止」としか記述はないのですね。
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saheizi-inokori at 2014-11-22 22:38
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reikogogogo at 2014-11-22 23:35
葉牡丹・ジュウガツサクラ・紅葉の公園、歩けていいなと思います。私は100メートル歩いて一休み。
せっかく膝が完璧になったのに、根源は脊柱管に有りでした。
せっかく膝が完璧になったのに、根源は脊柱管に有りでした。
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ikuohasegawa at 2014-11-23 09:45
特にフクシマを無かったかののような振る舞いは特に赦せません。
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saheizi-inokori at 2014-11-23 10:37
reikogogogo さん、ホントに歩けるのは幸せです。
お大事に。
お大事に。
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saheizi-inokori at 2014-11-23 10:38
ikuohasegawa さん、仮設を追い出されて住むところに難儀している人もいるというのに無駄な選挙は度し難いです。
by saheizi-inokori
| 2014-11-22 13:54
| 今週の1冊、又は2・3冊
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