人々は貧しくても美しかった 壺井栄「柿の木のある家」

1993年発行のこの本を読んだことはないが、所収の「柿のある家」は子供の頃に読んだ。
というより、それを思いだして図書館から借りてきたのだ、もう一度読みたいと。
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読み終わるのが惜しいような、うっとりしみじみした気分に浸って午後のひとときを過ごすことができた。

兄弟姉妹、親に祖父母、叔父さん叔母さん、貧しくてもしっかり結びついた家族。
子供たちの成長。
登場する子供たちが俺たち兄弟であり、母親がまさしく俺たちの母親なのだ。

節分には氏神様や恵比寿様、荒神様、明神様、いろんな神様に参って豆を撒き赤飯を一箸づつ備える。
子供が産まれて6日目には「六日ざり」、名前を決めてお食い初め、お膳には石を置く。
桃と柳を軒に飾ったひな祭り。

筆者の育った小豆島にあったのだろう、土地の風俗・慣習に何とも言えない懐かしさを感じる。
俺の育った長野のそれとは形は違うけれどそこに流れている人々の感情は同じなのだ。
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(久富稲荷神社のお祭り、100メートル近い細長い参道に家族単位で店を出すフリーマーケット。お店屋さんごっこを思い出した)

俺は11歳のときに童話を書いて、それを母がガリを切ってくれて文集を作ったことがある。
貧しい兄弟が母が働いている間、喧嘩をして夜に仲直りする、そんな筋書の童話は今思いだしても、壺井栄の「柿の木のある家」や「母のない子と子のない母と」の影響を受けていたと思う。
テーマもさることながら言葉遣いもふだん自分たちのつかわない言葉を気取って書いたり。
(ふだん働いている母が仕事の休みで)井戸ばたにしゃがんでいるおかあさんのせなかが見えるだけで、みんなはもうなんだか日なたぼっこでもしているようなきもちで、朝から上きげんです。(「赤いずきん」)
なんて俺のことみたいだ。
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7つと5つの孤児、乞食暮らしをしていたのを一人の男が引き取る。
おじさんが働きに行って帰るのを外で二人が待つていると、おじさんの家の電燈がともる。
「ああっ。」
「ああっ。」
ふりかえると、おじさんの家の中の電燈も明るく輝いています。たった一つしかないへやのまん中に、その電燈はともっていました。ふたりは、めずらしいものをみつけたように、ぞうりをぬいで、電燈の下に行きました。
明るい電燈、まぶしい電燈、ふたりの心の中に、去年死んだおかあさんのことがふっとうかんできました。でも七つと五つの子どもは、それを思いだしても、話し合うことばをわすれていました。ただうれしくて、へやの中をぐるぐる見まわしては、また電燈を見あげました。ひさしぶりに自分の家へかえってきたような気になったのかもしれません。(「あばらやの星」)
壺井栄の両親は10人の子持ち、栄は幼くして郵便局に働きに出た(「ヤナギの糸」)ほどで暮しは楽ではなかったが、ふたりのみなしごを引き取って育てていたそうだ。
誰もいない部屋に電燈がともるとほっとすると同時に残業で帰ってこない母の不在が改めて強く意識されたことを思い出す。
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(境内の屋台で売られていた[栗おこわ」、並んで買った)

貧しくても助け合って、人としての道を外さない、やさしくも凛とした生き方を示す童話が11編。
今の子にも読ませたい。

こさかしげる 画
あかね書房
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おまけ。
けさ、久しぶりに小沢一郎の散歩と遭遇。

無法・非道な解散がそのまま通ってあいつらの馬鹿笑いになるのかと思うと何ともかんともやりきれない。
小沢よ、なんとか奴らにストップをかける知恵はないものか。
Commented by otebox at 2014-11-17 14:45
私の参加している団体の発表会に、よく坪井栄を取り上げる方がおられます。つい最近のが「あばら家の星」でした。年恰好はsaheiziさんくらいでしょうか、育った時代が感じられるようです。ワタシより少し上ですかね。彼女は関西弁を直すことはできませんと、徹底しているところがいいなあと思っています。ちなみに、私はその時「玉虫厨子の物語」(you-tubeアップ済)をやりました。
へへ、そんなんで私の読書は昔っからずっと児童文学一辺倒でございます。
Commented by mi-mamam1 at 2014-11-17 20:43
目白で月に一度開かれる「語り」の研究会に、大阪からシニアの男性が参加されるようになりました。こういう物語は、男性の大阪弁にピッタリでしょうね。

さて、両親が揃っていても幸せでない子どもがいっぱいいる今の日本って、どうしたらいいのでしょう。選挙で何がくぁるのでしょうか?何か変わってほしいと思い投票しますが、いつも投票した候補が落選します。
Commented by saheizi-inokori at 2014-11-17 20:47
otebox さん、ああ、そうだったのですか。
児童文学一辺倒、なんだか怖れを抱きます。
よほど純な心がないと、、。
怖れながらも惹かれます。
Commented by saheizi-inokori at 2014-11-17 20:51
mi-mamam1 さん、何か欠けているあの時代の人たちがわずかなことに幸せを見出したのに、すべてが満ち足りている今の人々がいつも足らざるを憂い、うつ病も増えているということですね。

方向を基本から変えなくちゃいけないのでしょうね。
琉球は独立すべきだし。
Commented by sora at 2014-11-17 21:46 x
きょうの記事は、胸に沁み入る事ばかりでました。
文を書く11歳の男の子とガリを切るお母さまを想像したり。
母が大切にしていた壺井栄さんのオレンジ布装丁の岩波全集で「裲襠」の題だけが長い間読めなかったと思い出したり。

ニュースで見た沖縄の方々の表情が
まぶしかったです 
Commented by unburro at 2014-11-18 00:20
早速、読まれましたか!
素早いなあ~ 感服します。

四季折々のつつましい暮らし、人(弱者)を思う気持ち、
沢山の大切な事が、ほんの数十年の間に消えてしまった事に愕然とします。

ブータンの人々の暮らしなどを、桃源郷の様に憧れているけれど、
我々の父母の時代では、当たり前のことだったのだよ、
と、今の人々に分かってもらう事は出来ないのでしょうか。
懐古趣味ではなく、未来図として描く事は…
出来ないのか…むむ…
Commented by kotoko_s at 2014-11-18 07:58
タイトルだけ聞き知っていて、読んだことはありませんでした。抜粋してくださった箇所だけでも、この本を手元に置きたいなあと思います。できれば地元の、放課後の子どもたちの図書コーナーにも。
衣食足りて忘れてしまったたいせつなこと。
おとながまず気づかなくては、子どもたちに伝えることなどできませんね。
Commented by saheizi-inokori at 2014-11-18 08:36
sora さん、私も書きながらいろいろ思いにふけりました。
沖縄はいよいよ独立しなきゃならないかもしれない。
Commented by saheizi-inokori at 2014-11-18 08:38
unburro さん、懐古趣味、センチメンタリズムではなく!まさにそう思います。
アベノミクスの失敗というのは新自由主義にまで突き進んだ資本主義の限界だと思います。
Commented by saheizi-inokori at 2014-11-18 08:39
kotoko_sさん、私も再発見したような気持ちです。
Commented by ikuohasegawa at 2014-11-19 02:49
トンチンカンンで申し訳ありませんが、柿の木坂の家といえば、青木光一になってしまうなあ。
地方のシティボーイだったから、♪カキノキサカノー~♪と歌って田舎のお爺ちゃん家を思い出していました。
トンチンカンついでに、ちあきなおみの『柿の木坂の家』滲みます。
Commented by saheizi-inokori at 2014-11-19 10:14
ikuohasegawa さん、青木光一のは今でもたまにカラオケに行くとよく歌います。
「思いだすなあ~故郷のよ~」、明日はこれを歌いながら散歩しよう、歌詞を覚えていないかもしれない。
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by saheizi-inokori | 2014-11-17 11:26 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
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