横浜・六道の辻を通って六道めぐり 小満んの会
2014年 09月 27日
ホテルの小部屋じゃなくて関内駅前を歩く隠居なのだった。
2年しかいなかったし仕事人間だったからなあ、ただでさえあまり知らない街がますますみしら~ぬま~ちになっている。
落語会の時間より少し早く来てあちこちうろつく。
さりげなく夜の居残り会の会場探しも兼ねて。
会場は関内ホール、上の大ホールでは文珍の会、こっちは地下の小満んの会。
2000円、奥様に娘さんが受付から扉の開閉をやり、本人も受け付けに立っていろいろやっている。
それで充実の三席、ここは間違いなく天上への入り口だ。
前座・緑太が「弥次郎」を息切れしながらもがんばって、
小満ん「粗忽長屋」
吉原天上(地獄か?)の入り口から観音様の方に足が向いたら行き倒れ、死んでいるのにイキだおれ。
死んだ心持がしねえ、だっておめえ、まだ死んだことが無いから分からねえんだよ、
雷門で死んでいるといわれて熊さん、自分の死体を見に行く心持は修羅だったか。
ああ、俺だ、情けねえことになっちゃって、こんなことなら夕べちゃんと(吉原の店に)上がっとくんだった、冷やかしだけで帰るんじゃなかった!「冷で呑んどけばよかった」、「夢の酒」のおとっつあんみたいなこといってやら。
小満ん「お札はがし」
圓朝作「牡丹燈籠」から。
「お露新三郎」のなれ初め(手水の前で二人が手を握り合う場面、古風な恋愛の粋!)から幽霊になったお露と女中のお米が新三郎と再会、新三郎には現身の姿としか見えず、それからは夜ごと訪れて契を交わす。
垣間見た伴蔵が幽霊の姿を見て恐れおののき、人相見の老人に相談、見ると死相が。
谷中三崎の新幡隋院の和尚がお札与えて、家の入り口という入口に貼りなさい、寺の本尊を貸してやるから肌身離さず持っていなさい。
今夜も、カラ~ンコロン、駒下駄の音を鳴らしてやって来た幽霊の二人、お札があっては入れない。
そこからの「お札はがし」の部分は端折って50分近い高座。
やや、もたついたが、ここはまさしく地獄への入り口だったなあ。
伴蔵が覗いたときに、お米の幽霊が縁側の柱に寄りかかってぼんやり月を見てるってところはゾクゾクきたぜ。
小満ん「寝床」
10分足らずの休憩の後、今日新橋演舞場でやっているという銀座の旦那衆の「鞍馬会」のことなどをマクラにしてすぐネタに入る。
「お札はがし」のゆっくりした語りから一変、猛烈な早口で旦那の、準備段階の浮ついた感じ、繁蔵の報告を聞いて上機嫌がだんだん不機嫌に最後は怒りの爆発へ、長屋の衆の”義太夫聞かせてコール”で再び上機嫌に、ジエット・コースターのように上がったり下がったりするのが、じつに見事。
嬉しいとほっぺたが落ちる?笑い顔が何ともいいのだ。
大袈裟なギャグではなく、うっかりしていると聞き逃してしまいそうな軽口がおかしく、小満んの独壇場。
「子供を連れてきて、いいのかい」「小さい頃から忍耐力をつけようと思いまして」(ああ、俺も義太夫聞いて育つんだった)とか、「四十・五十だって、重箱みたいに年ばかり重ねやがって」(俺のことかい)とか「(刺身を食って)ワサビ効いたか、目に涙、義太夫じゃ泣けないからって調理方は気が利いてる」などなど。
旦那が餓鬼のごとく修羅のごとく天上にいるかと思えば畜生!
六道の世界をさまよえば聴いてるおいらは極楽極楽。
公約通り、8時半ピッタリにはねて、みちたりた気持ちで、今夜はKさんが初参加。
子供の頃から落語体験の長くかつ深い方で話が面白く、気がついたら11時近い。
この年になって新しい友達を得るってことは、人間界の歓びここに極まった。
目が覚める思いでした。
小出樽重の随筆があったのですね。知りませんでした。あの自画像が思い浮かぶ人です。興味深いです。
♪ちゃんちゃんちゃらら、ちゃららっらちゃらら、ヨコハマ~タソガレ~、
笑 いったいどれだけの人がこれにメロデイーつけられるか?
ちなみに、わたしはつけられます
あーーおいしそー
saheiziさんは 勘って言うか、鼻が利くのよね
ちゃんちゃらちゃらら、、♪
あの店又すぐに行きたいです。今度はサンマを焼いてもらって鮎なン家もありそう^^。
今朝、秋刀魚の生姜煮にしました。美味しかったです^^。
やろうかな^^。
それが苦手だったのですが秋田でピリッとしたのを食って目が覚めて、この夜のも良かったです。