新治を聴いてお彼岸だ 第4回「まいどおおきに露の新治です」
2014年 09月 22日
自分のブログをくってみたら野菜スープの写真、変わり映えの無い日々だ。
記事の内容は同性愛に対する偏見批判。
世の中は?ググってみたら、大雪!
都心積雪20センチ超 20年ぶり 東日本、9日も警戒、交通も麻痺したんだった。
それで行かなかった第3回「まいどおおきに露の新治です」、落語決死隊が70名ほど雪をついて行ったので予定通り挙行したらしい。
その決死隊を招待し、そのうえ俺のような意志薄弱組も今回の入場料を無料にしてくれる、太っ腹な新治さん(さんをつけます)。
金坊だったかが初天神に連れて行ってもらって、よその子が買ってもらっている綿あめ、たこ焼きなどを羨む感じがよく分かる。
俺も何かと羨む心持だから、コスモスが見たい!ピクニックに行きたい!って。
新治「大丸屋騒動」
2012年の6月にこのネタを聴いたのが新治初体験だった。
ぞっこん、できるだけ追いかけて、今日はこの噺の3回目。
物のわかった兄・宗兵衛が弟・宗三郎にやさしく、3か月祇園の芸者・お時と会わずにいたら悪いようにはしないからと諭す。
宗三郎が蟄居している木屋町の家で喜助が冷やしておいた柳影と冷奴を嗜む場面、涼風がわたる。
縁側から見える四囲の山や寺を、あれは南禅寺、永観堂、、知恩院、八坂、、祇園、そこにはお時がいる富永町、喜助がつい洩らしたお時の名前。
おりしもどこかから聞こえる、小唄「京四季」、
思いぞ積もる円山に、、そして櫓のさし向かいお時と連れ弾きをした唄だ。
お時のおーも祇園のぎーもなんにも考えていないという言葉と裏腹に胸中に高まる思慕の念。
辺りの空気まで濃密な気配を漂わす。
静かな座敷から解き放たれた(飛び出した)宗三郎が駆ける、お時のいる富永町へ。
場内の照明が落とされて、お松お時とのやりとり、一転、妖刀・村正が勝手に人を斬り殺す場面の芝居がかり。
あとは狂気の世界だ。
3回目であり筋書きは先刻承知、それなのにあっという間の40分だった。
端正で怖くて、、イイです。
帰りにふと思ったのは妖刀・村正って集団的自衛権みたいなものじゃないか。
抜く気もなかったのに抜いてしまい、斬る気もなかったのに斬ってしまい、持っているだけで死体の山が出来る、オオコワ!。
お葬式の噺です、と言って葬式は生きている人の都合優先で亡くなった人には「早よあっちイケ」の冷たいものだと、地方の風習の紹介で笑わせる。
お悔みは何も言わない、「なんと申しあげてよいやら、、」、あとは下唇を噛んで顔を縦と横に振っていればいい。
取るものもとりあえず炭で真っ黒な手のまんまやって来た炭屋はなんだかんだと結局自分の家の炭の宣伝、山なりとか夏越しとか俺も勉強になった。
次に来たのが最上やのおなごさん、若くて美人なので受け付けの佐平さんは独身を売り込む。
のろけの又兵は全編これ女房ののろけ。
面白くなくはないのだが、メリハリが少なく爆発する笑いにならないのがチト残念。
入門18年、ようやく来春真打になると嬉しそう。
よく聴く「道具屋」と違って毛抜きを冷やかす男とのやりとりをたっぷりやって終わる。
素朴な愛嬌がある。
新治「豆狸(まめだ)」
市川右三郎、下っ端の歌舞伎役者が時雨に広げた唐傘にどさっと重い物が、、見ると何もない、歩きはじめると又どさっ、ははあ、こりゃあマメダのテンゴウやな、間合いをはかって、役者がトンボを切ったから狸は地べたに叩きつけられる。
右三郎の家は「びっくり膏」という貝殻に軟膏を売る店。
三津寺の門前で店を守る母と右三郎の静かで心満ちた(貧しいだろうが)暮しの感じがいい。
大きな寺の銀杏並木、秋の雨、小さな軟膏や、母と子の暮し、、、豆だぬきでも出なくちゃ静かすぎるやん。
傷だらけになった豆狸が人間の子に化けて銀杏の葉っぱで作った一銭で軟膏を毎日買いに来る。
そうとは知らないお母さんは勘定が一銭足りず銀杏の葉が一枚入っているのを、帰ってきた右三郎と首をかしげる毎日だった。
子供が来なくなった。
当たり前が今では不思議やなあ。
参道に横たわっていたのは身体じゅうに貝殻をくっつけた豆狸の亡骸。
可哀そうに、訊いてくれれば軟膏の使い方を教えてやったのに
右三郎はお寺に頼んで狸を埋めてもらい経をあげてもらう。
ハラハラと散る銀杏の葉が風に吹き寄せられて狸の塚に集まる。
ほら、狸の仲間たちが別れを惜しんで香典持ってきはったほろほろと胸中に湧く温かいものはなんだったろう。
ソーセージにビールにワイン、、いつもとずいぶん違う取り合わせ。
プロ野球のあれこれ、これはいつもながら実に情報に詳しく分析が鋭いお二人にひたすら驚き頷く。
明日の買い物なんかもして歩くとどこからかスキ焼のイイ匂い。
日曜日の夕方、スキ焼って家庭の幸福の象徴だなあ。
子供たちの笑顔が見えるようだ。
そういう休日の過ごし方もいいですね。
「まめだ」は三年前に米二でも聴きましたよね。三田純市作で、秋のネタが少ないので助かる、と米朝も本に書いていますね。
居残り会、私がいないと健康的なようで^^
被害にしたって、村正は辺り一面が血の海になる程度でしょうけれど、集団的自衛権は見渡す限り焼け野原になってしまうので始末に負えません。
築き上げる屍の山も、桁が3つぐらい違います。
なのになぜか忙しい^^。
村正は本人も死ぬのでしょうが、自衛権は振りまわした権力者は知らん顔ってのがもっとも腹が立ちますね。
今年の2月8日どんな日だったにーーー私もsaheiziさんの行動を追いましたよ、戻ってみたら、手作りスープの赤い色が彼岸花・ハイビスカスの色に重なりました。
私も時々思う事があって過ぎた日に戻ってみます。
saheiziさんの幅広いジャンルの読書、おかげさまで私も本との出会いのチャンスを頂いて、なお選択もできるの、ラッキーです。
わずか2,3年でも今思うと若かったなあと、、。
こんど会場を見渡して、2番目に人相の悪い男がいたら、それが私です。一番はイシイさんに譲りますので。
四季の花が移ろいを教えてくれなければ秋なのか夏なのかも気がつかないようです。
石井さんなんて問題じゃないです^^。
ぜひぜひ!