言葉はコミュニケーションを妨げる 佐々木健一「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」
2014年 09月 14日
プライドの塊のような時期、友達は本気で傷つき、俺は素直に謝ることもせず、二人が隔たりもなく話すことができたのは数年の月日が必要だった。
『新解さんの謎』ですっかり有名になった新明解国語辞典の三版では
ばか[馬鹿]とある。
①記憶力・理解力の鈍さが常識を超える様子。また、そうとしか言いようの無い人。(人をののしる時に一番普通に使うが、公の席で使うと刺激が強過ぎることが有る。また、身近の存在に対して親しみを込めて使うこともある。)
俺はその「親しみを込めて」使ったのだが、友達は表の意味で受け取ったのだ。
一方、見坊(けんぼう)豪紀(ひでとし)は『三省堂国語辞典』をやはり一人で作ったが、そこには「恋愛」は「男女の間の、恋いしたう愛情(に、恋いしたう愛情が働くこと)。恋」とある。
小型の国語辞典の双璧・ベストセラーは様々な点で対極をいく辞書である。
1943年に刊行された『明解国語辞典』は見坊と山田が協力して(見坊が主役)作った。
二人は東大国文科同期生、見坊29歳、山田27歳のときにできた『明国』はその後市場を独占する。
その『明国』から出来たのが『新明解』であり『三国』という対照的な辞書だった。
本書は見坊(ケンボー先生)と山田先生がなぜ決別したのかという”昭和辞書界の謎・タブー”に踏み込んでいくノン・フィクションだ。
そのミステリーは、どんでん返しが用意されていたりしてなかなかに面白く読ませる(『新明解』に載っている言葉の語釈を通して謎に迫るのだ)が、同時にその謎を追う過程で二人の国語辞典に対する考え方、そこから生じる辞典の違いを明らかにし、さらには言葉とは何かを考えさせるところが素晴らしい。
山田は「言葉は不自由な伝達手段である」とし、表の意味にとどめず裏の意味をも明らかにしたいと念じた。
家族との団らんはゼロ、行住坐臥、人生のすべてを言葉の用例の収集にあてて145万例採集という前人未到おそらく後に続く者も皆無と思われる偉業を成し遂げた見坊。
辞書に呑まれた男は「言葉は変化する」「辞書は今生きている言葉の”鏡”であり”鑑”である」が信念だった。
盗用の横行、言い換えによる語釈、日本の辞書界の惨状(「暮らしの手帖」に徹底批判される)を憂え、新しい辞書を作るという自負に燃えた山田先生は言いだしたらきかない頑固者のようでありながら、仕事の切れ間には卓球をやりスタッフと親しんだ。
特異な語釈に対する批判に対しても「みんなが褒めるもの、それは八方美人であって、かえってよくない。」と恬淡としていた。
人間としても対極をなす二人の巨人像。
その妹が俳人・山田みづえ。
亡母は山田みづえに師事した。
「気難しい先生、でもなぜか私を可愛がってくれて句会が終わると食事に誘ってくれるの、うれしいような半分困ったような気がして」と笑いながら話していた。
仏壇の脇に飾ってある短冊は
街ゆけり独りを涼しと思ひつヽ みずえ本書を読むと山田家にはそんな気風があるかのようで、それはまたみずえ先生が亡母にも見た我が家の風なのかもしれない。
文藝春秋
二人が別離して,「三国」と「新国」(番組では「新明解」をこのように呼んでいたように思います)を作る過程を面白く見ました。
番組では,二人が別離する理由として,言葉に対する考え方の違い,つまりは辞書に対する違いだけでなく,見坊が言葉集めに夢中となり,明解国語辞典の改訂作業が滞ったことに対する山田の苛つき,さらには見坊が山田を助手のようにしか見ていないと思う山田の不満があったとしてしいたと記憶しています。
その裏には、深い物語があったのですね。私も読むっぽ‼︎
「バカみたい」と言いますと、「みたいではなく本当のバカなのよ」と返されて続かなくて終わりです。
ケンボーと山田の決別には会社の意図も働いていたとか、会社がそうするに至る経緯、とくに金田一春彦の言葉が思いがけない結果を招来するとか。
言葉の神様みたいな二人が言葉の行き違いでその後の人生を大きく変えるというシニカルなストーリーがありました。
それにしてもよく昔のテレビの内容を覚えていらっしゃるなあ。
独り暮らしをしていた母の唯一の趣味が俳句でした。
貸してくれる人の選択で読む本の半分が決まってます。
独断も多いですね。覚悟の上だということです。