こんなふうに生きなくちゃこんな文章は書けないな 出久根達郎『隅っこの四季』
2014年 08月 15日
茨城の中学卒業後、集団就職で月島の古書店の小僧になり長じて自らの古本屋を開店する。
両親が新聞配達をして、俺が新聞配達をした貧乏よりもう少し貧乏だったようにもみえるが父親が健在であっちこっちに歌や句を投稿して賞金を稼いでいたというのは、イイ親父に恵まれて俺はちと羨ましい。
父親と一緒に移動図書館で架空の兄弟名を騙ったりして脱法借り出しをする、味のある噺も載っている。
いつか扇辰がこの人のエッセイだったかを朗読したのを聴いて感心した(書き手と読み手に)。
『隅っこの四季』とは言い得て妙、練馬の小さな?家に住む一作家(元古書店主)が愛妻と親友たち(登場するのは4人)や愛犬と移りゆく四季に託して眼前の喜怒哀楽、過ぎし昔のことどもをユーモアに包まれた一筆書きにつづっている。
本人も「散文でつづる私の生活句集」。
苦労して古書店を経営し作家になった人らしく随所にみられる、謙虚で目配りの利いた生き方が粗雑粗放な生き方をしてきた者に甘酸っぱい悔恨を感じさせる。
朝風呂に、入る。ぜいたくすぎて、後ろめたい。とか、出盛りの時期に集中的にいただいた筍の始末、食べきれない分を知人に配るときに糠も添え、お礼状を書く、日本舞踊のおさらい会へのさしいれは何がいいか、、。
ほぼ同い年、貧しい地方生活という共通点があるから、昔の思い出噺も懐かしさがひとしおだ。
賃餅、白いダスターコート、都電の系統番号、雑巾、缶ポックリ、、。
『立春出世』と題して中卒集団就職組の就職五十年記念同窓会を”やらなくなった”経緯を書いた文章がいい。
三十年前に二十年記念をやったときに五十年のときは幹事をやると張り切っていた男と中学の修学旅行で写真を撮った上野公園で偶然遭遇するのだ。
その男は写真の石段のどこにだれが立っていたかをつぶさに覚えている。
「よく覚えているね」
忘れるもんか。いやなことがあった時は、旅行の写真を眺めて、自分を慰めていた。修学旅行の二日間が、おれには一番楽しいことだったからな五十年、変わらないよ、この感触、と言いながら石段を撫でている。
「五十年記念、開くつもりだったんだ。だけど、やめた。もしかしたら、あんた一人しか参加しないような気がしてさ。あんた以外、出世とは無縁だもの」中学の先生が書道の時間に立春大吉と書かせたとき「みんなまじめに働いて立春出世するように」と言った。
「出世だなんて、そんなことない」
といって広場に出た。
五十年前と変わらない。
立身出世を間違えたのだ。
そんな思い出話をして(出久根は忘れていた)、「立春出世というタイトルで随筆を書きなよ」と言った、その結果のエッセイだ。
これからはどうして生きると妻が聞くどうして食べると昔は言ったが猛烈に勉強し始めた。
九十歳近い年で『ブルターク英雄伝』を読み、英語や親ドイツ語の本も読んでいた。
なんといってもカミさんと二人で相談して(カミさんの方が知恵者)他人との交わりや日々のさまざまなことをきめ細かな気配りでいとも楽しげにやりおおせていくのが読んでいて楽しい。
花でも買ってくるかな。
岩波書店
昔ながらの商店街の物語、商店主と作家の兼業、しっかりものの奥さん、直木賞作家、そして何んといっても庶民の生活の味わい、
などの共通点の為だと思います。
しかし、出久根さんは茨城からの集団就職、
ねじめさんは、東京生まれ。
色々、雰囲気も違うのに、なんとなく同一人物の様に勘違いしていたのです。
最近は、このラインナップに、saheiziさんも参入してきて、
ややこしい・・・のですよ(笑)
言葉を楽しむ人っていいですね。
私が彼らに少しでも似ているところがあるなんて信じられないですが、うれしいお言葉です。