3・11は日本の「風景」をどう変えたか 武田徹「暴力的風景論」

同じ風景を見ていてもみる人の気分や世界観または抱懐する物語によってその「風景」は異なっている。
にもかかわらず、人は眼の前の「風景」を現実そのものと誤解して現実の世界に働きかけようとする。そうした短絡は多くの問題を起こすだろう。それは同じ「風景」を見ていない「他者」にしてみれば、理解不可能な暴力の行使になりかねないし、誤解に基づく拙速で誤った行為の影響が自分自身に対しても致命的被害として還ってきてしまうことにもあるかもしれない。
こうして「風景」が「暴力」の源泉になる。
「風景」に惑わされないように「風景」と距離を置くこと。
「風景」の成立プロセスや、その在り方を理解する、過去には今と違う「風景」が見えていたことを学ぶ。
自分と違う「風景」を見ている人がいることを意識する。
3・11は日本の「風景」をどう変えたか 武田徹「暴力的風景論」_e0016828_1131479.jpg
筆者(1958年生まれ、ジャーナリスト・評論家)が、沖縄の米軍基地、連合赤軍事件のあさま山荘、田中角栄・「日本列島改造論」のウラ日本、村上春樹が暴力的になった「風景」、宮崎勤の見た風景、オウム真理教信者の見た風景、酒鬼薔薇聖斗事件と神戸、マッカーサー道路と秋葉原連続殺傷事件の現場を訪ねて、当事者を含む人々がどんな「風景」を見ていたかを考察する。

沖縄には嘉手納基地を垣間見ることができる「安保の見える丘」があり、その背後には「道の駅かでな」があって中国人観光客が戦闘機の離陸を喝采している。

連合赤軍の革命戦士たちは死すら隠蔽してしまう消費社会の進行に抗する「物語」を信奉するなかで仲間を傷つけた。
そういう暴力の構図は今なお生き残っているのではないか(今、消費社会は終活などを有力マーケットと位置付け、死をも消費化している、赤軍派諸君がいたらどう対処するのだろう)。
3・11は日本の「風景」をどう変えたか 武田徹「暴力的風景論」_e0016828_11313292.jpg
3・11後の急進的な脱原発運動家が見る「風景」には一種の既視感を感じると筆者は言う。
注意深くしていないとオウムの作ったロータス・ヴィレッジ、悪いやつらは淘汰(ポア)すべし、一度は行きづまったニューエイジ思想の蘇生に繋がらないか、と。

日本列島改造論はウラ日本をなくさなかったし、高度経済成長は東京など大都市のしかも既得権者と富裕層に潤いをもたらしても、格差は広がり、受容してくれる社会への欲求は満たされず、連合赤軍、宮崎勤、オウム真理教などの若者たちは自ら描いた虚構を現実に重ねて、その実現(凶行)に走った。

虎の門ヒルズに象徴される開発当事者たちの(特権階層の)「塔の夢」に対して均質で横に繋がる「根の夢」。
一方には「根(ネットワーク)の夢」からも疎外された秋葉原の加藤。
2020年、東京五輪にはお台場などの人工の大地に多くの「塔の夢」が現実化する。
しかし、その「風景」の背後ではウラ日本や地方の切り捨てが進み、依然として加藤と同じような境遇の人を疎外し続けているのだとしたら、そして彼らが自分たちを優しく包摂してくれる「根の夢」に希望をかろうじてつなごうとして、なお裏切られ、孤独のままにい続けているのだとしたら、日本社会は3・11を経ても何も学ばず、何も変わらなかったことになる。
震災のショックですっかり変わったように感じられる日本社会のイメージを「風景」として重ねて見ていただけで、社会構造そのものに本質的な改造の手を及ぼさなかった結果、つまり2011年に「風景」に惑わされた結果が、2020年に新しい「風景」を生み出す。そんな未来の「風景」を予見しつつ、振り返って今、眼の前に広がる「風景」の権力性、共同幻想性を意識し、そのヴェールを剥ぎ取って社会の実相を見定める必要がある。そして、それを改革する必要性を認めれば、今度こそその手立てを着実に打ってゆくべきなのだ。
村上春樹の警告
あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物語なのだろうか?あなたの見ていいる夢は本当にあなたの夢なのだろうか?それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?(『目じるしのない悪夢』)
あえて難しい言い回しを多用しているのか暑さにゆだっている俺の頭にはなかなか素直に入ってこない文章にますます頭はぶすぶす沸騰した。
3・11は日本の「風景」をどう変えたか 武田徹「暴力的風景論」_e0016828_12232939.jpg
とはいえ、戦後の凄惨な事件をもう一度現地でおさらいしていくのに付き合っていると知らなかった事実(だいたい俺はテレビを見ないから)を教えられもし、いまさらながら事件の異常性に驚くとともに、いささか春秋の筆法の感もあるけれど、なるほどかくほどに消費社会というものは恐ろしい病理を胚胎しているのかとも思う。

さいごにも引いた「ウラ日本や地方の切り捨て」については、TPP交渉などに顕著な日本の農業の企業化・”効率化・競争力強化”の進行は、地方に壊滅的な影響をもたらすと思う。
規制緩和(特区設置、労働法制、金融、医療、教育、、)、なりふりかまわぬアベノミクスの強行は、ますます異常な、身の毛のよだつ事件を続発させ、日本の「風景」を醜いものにしていくだろう。

「改革する必要性」と筆者はいう。
どのように?
そこでまた「風景」「物語」の違いが相克を繰り返すのではないか。
暴力を伴う「風景」が。
悲観的な隠居なのだ。

新潮社
Commented by at 2014-08-13 22:30 x
3.11である意味、それがあるから目が覚めて、それがあったから目をつむる,
ドンドン状況は悪くなって、けど、それが人類の選んだ道なのかも知れん。
残念です。
そぉそぉ、あっちゃで名前,まちごおて ごめんな!
Commented by wawa38 at 2014-08-13 23:46
「風景」の共同幻想性というのは、解るような気がします。
私も同じようなことを思ったことがあります。
Commented by jarippe at 2014-08-14 07:01 x
綺麗な光景 美味しい食べ物 幸せを感じる家族・・・・・
心地よいものに触れていると嬉しいし楽しいし平和をさえ感じます
それは感じる人の目によって違うのでしょうが・・・・
皆が美味しいといえば美味しくなる 綺麗といわれればそう見えてくる
そんな人間社会の中で 生き物の原点みたいな
動植物の命の繋がり繋げ方に多くを学びます
“無”になれない凡人ですが 
せめて謙虚に自然界宇宙のなかの自分を感じていたいです
Commented by ikuohasegawa at 2014-08-14 07:14
また一冊読むべき本を紹介いただきました。有り難うございます。
Commented by reikogogogo at 2014-08-14 09:27
saheiziさん、この本は読みます。
遥か昔に成りますが徳間書房の「メイドインジャパンヒストリー」武田著の本が我家の本棚にあって読みました、あれから武田徹著は目につきます。
Commented by saheizi-inokori at 2014-08-14 10:43
蛸さん、目が覚めたつもり、何も変わらない、もっと悪くなるのかも。
Commented by saheizi-inokori at 2014-08-14 10:45
wawa38 さん、独りで別の風景を見ていると八分になる、殴られる、意識的に共同幻想を作り出しそこに埋没していたい、そんな気持ちは無縁ではありませんでした。
Commented by saheizi-inokori at 2014-08-14 10:47
jarippe さん、おっしゃる通り、うわべだけでなくその底にある紛れもないものに注意深くありたいです。
Commented by saheizi-inokori at 2014-08-14 10:50
ikuohasegawa さん、緑陰の読書の選択肢になるでしょうか。
Commented by saheizi-inokori at 2014-08-14 10:51
reikogogogo さん、私は初体験でした。
もう少し私にもわかりやすく書いてくれるとありがたいのですが。
Commented by namiheiii at 2014-08-14 11:10
うかうか風景写真など撮っていられなくなりそうです^^;
Commented by saheizi-inokori at 2014-08-14 12:36
namiheiii さんの風景には namiheiii さんの刻印がありまっす!
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by saheizi-inokori | 2014-08-13 12:52 | 今週の1冊、又は2・3冊 | Trackback | Comments(12)

ホン、よしなしごと、食べ物、散歩・・


by saheizi-inokori
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31